新しい生活

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お久しぶりです。なかなか更新できなくてすみません。

 

母は毎朝毎晩ペシャンコに潰されながらフルタイムでの通勤生活をおくってます。「都内で働くとはどういうことか?」を知りたかったのですが、通勤ラッシュは思ったより大変どすな。

 

 

土日も1週間分の買い出しや家事、掃除などでバタバタです。

それでも本人が楽しく学校へ通うことができるということだけで、私はどんなに忙しくても幸せに頑張ることができてます。夕食を作ってくれることもあります。息子よ、ありがとう。

 

 

新生活スタートして1か月半。

 

みんなと同じ学び。集団の中で、いったいどうなることやら?と疑問ではありましたが、意外と友達がたくさんできて楽しいと言っています。


「〇〇学級のりょうくん。」

 

そんなくくりではなくなり、同等の目線でお互いに接することができるようになりました。今までは上から目線な感じでしたけど、からかわれたりということもありません。

 

心配したパニックもないようです。だんだん、社会性も出てきました。

 

保育園、小学校、中学校と、徐々に成長してきましたが、高校も充実した学校生活を送ることができそうです。

 

部活動も入部届を出しました。

練習して、日本一になるのだと言っています。

 

本人も家族も、忙しいですが、楽しみがいっぱいです。

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ふぅ~

昨日、引っ越しやさんに我が家の荷物を預かってもらい、送り出したあとは、遅ればせながら私の入学式の式服を買いにいきました。

 

が、ツーサイズもアップしてた・・・笑い泣きあせる

 

クロゼットに入っているお気に入りの細身のスーツたちを泣く泣く諦めて置いていくことにしました。(これ着てたのそんなに昔じゃないんだけどなぁ) でも、結局捨てられなかったという。

 

わたし、こんなに小さい服着てたんや・・・ほっこりとしみじみ思いました。

まあ、これからガツガツ働きますからたぶんちょっとは痩せますけどねw

 

息子の学校の制服も送られてきました。

ネクタイも締めてみたら、かっこよくて、すごくうれしい気持ちになりました。

 

夕べはご飯を作るのがしんどくて、息子が夕飯づくりを全部やってくれました。

あ、写真は、この前作ってくれたおいなりさん(中身がパンパン。笑)と、焼きそばです。

色々頼りになるので助かっています。

 

私が引っ越しの荷づくりをやっている間、息子はというと、友達と伏見稲荷大社へお出かけしていました。みんなそれぞれの進路に向かうので、その前に支援学級の友達と集まって遊んだのです。

 

屋台で、やきとりとたこ焼きを買ったと言っていました。

こんな風に遊べるようになってよかったなぁ。

 

友達と別れるのは寂しいものですね。

でも、次の環境でも、よい出会いがあることを願っています。

 

 

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おたべを作って来た!

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おたべ(八つ橋)を作る体験ができる見学コースがあるんですが、

 

 

そこに友達と二人で行ってきました。

 

 

本気で楽しめるあたり、やっぱり幼いんですけど。笑

 

 

普通のこの世代のダンシは何して遊ぶんでしょうか。

 

 

友達の家に行ったり、デートする子もいるのかな。笑

 

 

この先、デートなんてありえない気もしますが・・・

 

 

 

お土産も買ってきてくれましたよ。

 

 

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移動はほぼ徒歩+公共交通機関、が生んだメリットかデメリットか。 

相変わらずこだわっているのは、「和食」

お金がかかりますよ、特に京都では(大汗) 観光地プライスなので悶えそうです。

 

お母さん、お寿司くいてえ!

というので、どこに行きたいのかというと、またまたテレビで出てきている高級すし店を指差すので焦りました。


寿司くらい、と思うかもしれませんが、彼の場合、ひとりで行ってカウンター席に座りたいのです。

 

うーん、せいぜい、和菓子にしない?(ごまかし)

ということで、観光地めぐりを。伏見の夢百衆で、酒饅頭と八つ橋を添えたチョコアイスと。

ここ、昔の月桂冠の事務所をカフェにしてあって、レトロ感たっぷりでお洒落なんですよ。

 

 で、結局息子は ごまかせず、回る寿司屋に一人で行きましたとさ。(それもちょっとアレなかんじですが。)


春休みをめいいっぱい満喫する息子。

これまでにひとりで行ったのは、

太秦映画村 

漫画ミュージアム

銭湯♨️

甲子園球場(高校野球観戦)

奈良公園+東大寺大仏殿


昨日は、鹿に追っかけられながら鹿せんべいを買って与えたのだとか。


今日は友達と、防災センターに出かけましたが、地震体験や暴風体験をしているところだと思います。

こうやってひとりで移動できるのは、わたしが車の運転できないかわりに、幼少時にヘルパーさんや私と電車やバスを乗り継いであちこち行ったからですが、

遠方へ行くと、親が見てないときどうしているのか心配です。

かわい子には旅をさせたいけど、何かトラブルに巻き込まれる可能性もゼロとはいえないので…


義務教育が終わりました。

 

ここの学区の雰囲気が気に入ったので、生活圏はほとんど変えず、隣接の市に引っ越して9年。


 引っ越したことは良かったと思います。


でも、せっかく引っ越したのに、思い通りにならないことが多かった小学校時代。中学では成長の幅が大きかったので、もう少しどうにかならなかったのかと思います。


幼児期に、下見に行ったときの先生とは違う先生が、息子の担任になられました。この方、古き良き時代のふわっとした先生という雰囲気の方でした。特別支援的な対応をして解決を図ることは皆無でした。


光とともにの漫画でも同じような登場人物がいましたね。しかし厄介なのは、美人で優しい雰囲気なので、この先生の言うことをうちの爺様や校長が鵜呑みにして母親が悪者になることでした。クソッ


6年間同じ先生でしたが、最後の2年間は、何か自分じゃ解決できないと思うとすぐに校長を呼んできました。校長は説教調で私に接してきました。


(経験上、学校で仕事してたら、当然保護者からは尋ねられる質問やお願いごとをしただけで、無理難題は何一つ言ってないなのですが。この学校の基準では無理難題だったのでしょう。)


連絡帳に書いたことに「分かりません」とか、「調べます」といった返事がないことがあり、これはイケズかしら?と思っていたら、同じクラスの上級生のお母さんも同じことを言っていたので、私だけじゃないんだと、なんとなくほっとしたり。(おかしな安心感だな。苦笑)

 

隣の支援学級の保護者の目撃情報や、本人の話からも、授業中は、プリントを一枚させたらあとはその時間を遊ばせているという話を聞いて、これはいけないと思い、くもん教室に通わせはじめたのですが、


その熱心なくもんの先生は、自分のお子さんが、息子と同じ小学校区なので、フリー参観のたびに支援学級を見に行ってくださっていました。


すると、息子の担任は、私も知らないような息子のことをくもんの先生にぺらぺらと喋っていたのです。


支援学級の事情を話していなかったので、くもんの先生には何の罪もないのですが、担任が保護者に話すべき情報が、くもんの先生ルートから聞かれたことで、担任の先生に対しては完全に、心のシャッターが下りました。


障害を理解して接すると言うよりは、目の前の子どもを見て対応されるかたでしたが、それでは困ることも多かったです。


卒業式では、本人が聴覚過敏でその場にいられない「呼びかけ」の大合唱も改善されることもなく、担任は対策もとらず、夫婦で申し入れた改善願いに対し、校長と教頭から、ただのわがまま扱いをされただけで何も変わらず、小学校は最悪の卒業式でした。

 

このあたりの理解については、聴覚過敏が分からない方にはただのわがままにしか映らないかも知れません。まあ、どちらにしても改善されることがなかったので、その時間、息子は体育館から出て、終わるまで待ってから自分で体育館に入りました。

 

「自分で行動を選んで、待つことができるんですね。」

 

そんな風に前向きの評価をされることもありました。実際、イアマフさえあれば、どうにでもなることです。しかし、こういった児童生徒への配慮が必要なことをあえて、立場上、訴えていく必要があると思い、そこはあえて改善していただくようお伝えしました。可能性はないことは承知でしたが。

(自閉症の感じる世界を捉えるため、こちらの動画も見ていただきました。Auti-sim)

 

 

 

あれから3年。

私の住んでいる市は小中一貫という形を表向きにはとっています。

 

でも、中学校は様子がだいぶ違いました。

支援学級は、担任の先生だけでなく、色々な先生が関わってくださっています。生徒数も多いからこそ、教科担当の先生も複数おられるため、専門の先生が直接支援学級の生徒を指導してくださるという形式をとっておられました。

 

おかげさまで、色々な先生と関わることができ、教科担当の先生から、直接息子の様子を聞くこともできました。数学の先生からは、「その一生懸命な気持ちをどうぞこれからも伸ばしてください。」と何度も言われ、とてもありがたいと思いました。支援学級に途中から入級してきた同級生の数も多かったので、よい刺激になったと思います。

 

音楽や英語など交流学級も行かせていただき、自閉症なので、なかなかスムーズな会話による交流はできなかったようなのですが、帰りを一緒に帰ってくれる子や興味を示してくれる子も複数いたようです。

 

ここに何度も書いているように、部活動では、入部後、最初の処遇はかなり冷たいものだと感じましたが、徐々に本人が練習に励み、少しずつ認めてもらえるようになりました。その後、顧問の先生から、本人の頑張る様子を聞かせてもらい、演奏会などの参加後の感想文の内容も良くなったと褒めていただけるようになりました。ソロを吹かせていただくまでになりました。

 

卒業式の最中、吹奏楽部の演奏の指揮をしながら、顧問の先生が振り返って、退場する息子を見つけ、手を伸ばして声をかけてくださいました。息子はこの先生を心から尊敬して、一生懸命練習していました。

 

卒業前に支援学級の生徒が、カレー作りや劇発表をしましたが、学校じゅうの先生や用務員さんや事務の先生も来てくださり、ひとりひとり、心温まる感想を述べてくださいました。

↑息子の担当は激辛カレーほうれん草入り
家でも、よく食事を作ってくれるようになりました。

 

いじめや、交流学級での授業、部活動などでイライラしたり、ひとつうまくいっては、またトラブル発生、一筋縄ではいかないことが多く、何度も学校へ足を運び、先生たちと話をし、本人をたしなめ、時には感情的になってしまうこともありました。

 

でも、そのたびに息子が成長し、先生も一生懸命解決策を考えてくださり、小さなトラブルを乗り越えてきたことで、経験は必ず自信につながっていくと確信できるようになったのです。

 

ですから、一歩一歩の積み重ねが、息子と私たち夫婦にとっては宝物の経験で、本当にありがたい、充実した3年間でした。

 

小学校1年生から知っているお母さんには、「卒業式では、うちの娘より、りょうくんの入場で泣けたわ。」と、言われ、ありがたいやら、複雑な心境になるやら。

 

この思い出を胸に、次のステップもきっと素敵なものになると信じています。

先日、第一希望の高校にも合格して、春から関東に引っ越しすることになりました。

 

ずっと息子が入学できたらいいなと思っていたた学校です。

 

発達障害に理解があり、研究の進んでいる学校です。

 

私自身にとって、とても勉強になりますし、もちろん息子にとっても安心して過ごせると思います。

 

充実した高校生活は、かけがえのない時間になると思います。

 

子どもの視点で学校づくりをされてこられた創立者の先生をとても尊敬しています。

 

この学校については、見学も含めて中学1年のときから、動いてきました。

 

沢山の人に支えていただき、協力していただきました。

 

特に、発達検査のWISCⅢを何時間もかかって取ってくださったT先生には感謝しています。


夫や義母も行くことを了承してくれました。(本当は夫が先に行く予定だったけど)

 

ですから、合格したときは本当に嬉しかったです。

 

支援学校を選ばなかったのは、色々な理由がありますが、

 

一番の理由は、就労メインの授業になるより、色々な経験をさせたいと思ったからです。

 

「障害者には障害者の学校があるだろう。」

 

同じ障害のある子どもの親からも、先生からも、そんな風な批判をされたこともあります。

 

でも、私は障害があるからこそ、色々なことを知ったり体験して欲しいと思っています。

 

今じゃ、私の周りでは、「障害者のエリートが行く」という感覚になっている仕事一直線の

 

いわゆる高等養護と呼ばれる職業訓練専門の支援学校の在り方には違和感を持っています。

障害があるからこそ、仕事の訓練とは別に、体験や学習で、その子の住む世界、知識の世界を広げて欲しいと感じるからです。でも、この感覚は、あまり一般的ではないようです。

 

いずれにしても、卒業後は、障害者としての就労になります。

 

なんとか、無事三年間を終えて欲しいです。

 

本人も希望に満ちています。

 

準備がホント大変です。

合格

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まずは、私学のひとつに合格しました。
校長室で合格証書を貰い、ガッツポーズ。
職員室で職員の皆さんから拍手を受け、「ありがとうございます!がんばります!」と宣言し、温かい雰囲気で見送ってくださいました。
 
来月、同じ学校法人の学校を受験します。
一応そちらが第一希望なのですが、どちらの学校に行っても、息子は幸せだと思います。
 
 
 

あこがれの人

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息子の夢は「気象予報士」である。

ずっと幼少時からぶれていない。

リンク先は、三歳のときの記事。

こうやって長年ブログを続けていると、三つ子の魂百までというのを実感するものだ。

http://ameblo.jp/ryouchan01/entry-10948145633.html

 

しかし、いい加減に、自分自身の実像に合っていないということに気が付いてほしいものだ。

息子に気象予報士って何をする仕事か分かっているか?と聞くと、テレビに出て、指示棒を持ちながら、天気図を指してしゃべる人だと最近まで思っていたようだ。

 

ここからは私の話なのだけど、一度、有名な天気予報士さんに会ったことがある。

 

20年前、学校を卒業して就職した会社で、しばらく宣伝広報の部署にいた。

古い京都の会社だったが、秋の風物詩として、その作業が絵になるのである。毎年、立冬の時期になるとと多くのメディアがカメラ機材をもって、しゅっとした人がマイクをもって取材に来た。みるからにマスコミだぞ!って感じのオーラなので、とても緊張するシーズンだった。

 

そんな中、某テレビ局のコーナーでその作業風景をバックに、気象予報士のあの有名なおじさんが中継するという依頼が来た。最近はあまりテレビに出ていないが、たぶん多くの人が知っているおじさんである。

 

奥さん以外の女性と旅行していたとかで、しばらく週刊誌におっかけられていたが、

あの風物詩の取材の日、現場に入っている社員の私に顔を近づけてきて、髪を直してとか言ってきたような人なので、週刊誌の記事を見た時は、あ~そうなんだろうな(笑)とちょっと笑ってしまった。

 

現場に来たときは、頭をくっしゃくしゃのままできて、この人は本当にテレビに出る人なのだろうか?と思ったけど、いざ仕事モードになって、すごい集中して等圧線がぎっしりと詰まったような天気図を何枚もめくりながら分析している様子に、

 

当然なんだけど、あらためて、

 

気象予報士って、本当に気象を予報する仕事なのね、と思った

 

私も彼に会う前は、お天気オジサンやお姉さんは指示棒で天気図を指して何か言っている人という部分しか見えてなかったので、息子がそんな風に思うのも無理はないかもとは思う。

いや、普通の中学生は知っているか・・・笑

 

ちなみに、仕事場ではあったけれども、私がそのおじさんと会った話は、息子にとってはとても夢のような出来事なのだそうだ。

 

テレビの表と裏、見えていないところは、多岐にわたるものだ。

息子にはどれだけ理解できるのだろう。

手帳の更新日は定期的にやってくるので、あらかじめ更新日の4か月前に地元施設に予約の電話を入れていました。

 

皆様ご存じのとおり、発達検査は予約を入れても、順番が回ってくるまで、だいぶ時間が掛かりますからね。

 

ところが、来月の休みの日に入れておいたはずの検査の予約が入っていなかったことが分かりました。

 

検査にあたって、検査をしてもらうA施設と、判定をしてもらうB施設の間でやりとりをしてもらっているのですが、判定のB施設から問い合わせしたときに、予約がないですよ、と言われたのだそう。

 

慌ててA施設に電話をすると

 

「お電話をいただいたのはこちらの施設でしたか。」

「そんなはずはないですけど」

 

って、ここ以外にどこがあるんじゃ~い?!

 

A施設に電話を掛けたときに、後で連絡をするからと折り返し電話を貰い、指定された日時なんですけどね。

 

こういうことに休みの時間を取られるのがもったいないです。

 

つくづく、予約などの大事な用をお願いするときは、電話口の方の名前を控えておくという事務の基本を怠ってはいけないなと思いましたです。

 

愚痴ですみません。

 

 

 

ところで、某所で個人的に別の発達検査を受けたときに、検査の数値があがっていることが分かりました。

 

手帳がはずれてしまったらどうしようというくらい最近成長してきています。

 

私の県では大丈夫ですけど、他の都道府県ではアウトかもという感じです。

 

といっても、ボーダーなのですし、自閉症であることは丸わかりです。

 

もし、数値だけで切られて支援が受けられなくなると大変、という話です。

 

こんなことで悩むことになるとは思いもしませんでした。