Jalan ☆ Jalan

Jalan ☆ Jalan

風の吹くまま気の向くまま、ゆるゆる楽しくJalan Jalan。日本や海外を季節労働しながらいったりきたり。。。していましたが、今は子供も生まれ流れ流れて石垣島生活。旅とか日々のこととかの思いつきブログ。

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一年ぶりの更新。

今日、夫が「頭が痛い」と言って寝ていた。
最近ずっと風邪をひいていたりしていて、調子が悪いみたいだった。

起きてきて「やっぱり頭が痛いよよよー」と。
そして「恋の病かなー?」
え?
私「恋してるの?」
夫「恋の病って何?ダルくなる?」

え?
たぶん恋の病は鼻水が黄色くなったり、頭痛がしてダルくなったりはしないのではないかと。。。

そして妻に恋の病かと相談してくる夫もどうかと。笑


写真は関係ないけど、1歳9ヵ月の娘と買い物にいって軽く目を離すとこうなるの写真。
島の人は寛大だよ。都会に住んでいなくてヨカッタ。



2015年6月28日にこのブログを書いて、そのまま放置してた。
今更ながらUP!
ポコちゃんももう10カ月になりました。
ちょうど1年前の今日この時間、切迫早産で入院し、
仕事もそのまま退職となり、絶対安静の寝たきりで過ごしていたんだったなぁ。
早いものだ。


その時は、やっぱり突然にやってきた。

出産予定日まであと5日での、検診。
診察では、まだ子宮口は開いておらず、出産ばまだまだかかりそうだね。って言われ、
最後にモニターをつけて。
赤ちゃんの心拍と子宮の張りをチェック。

張りもこないし、心拍もいつもとおりで、計測しながらリクライニングソファーでうとうとしていた。

が、ふと目を覚ますと、看護師さんがモニターを確認して焦ってる。

「心拍が低下してる時がある」と。

突然2分間、半分位になっている時間があった。
寝てたし、胎動も少ない子だったから何にも気が付かなかった。
切迫早産で入院していたときも毎日モニターしてたし
退院してからも検診で毎週モニターしてたけど、今まで何にもなかったのに。

酸素マスクを装着され、看護師もたくさんきて、先生もやってきて。。。。
あれれれ??何か大変なことになっている。

「今すぐにご家族と連絡とって来てもらえますか?」
あれれれれ。
入院とのこと。
もうビックリな展開過ぎて、ついて行けず。
不安になってうるうるしていまいました。

仕事を抜けて夫がきてくれて、先生から
誘発剤を使って軽い陣痛を起こして、胎児が陣痛に耐えられるかのテストをするとの説明があった。

テストは問題なかった。あれ以降、心拍がさがることもなく。

でも、もう産まれてもいい週数なので、産みましょうということになった。
子宮口が開いていないので、翌朝にバルーンで広げると。
それから促進剤を使うと。

入院は、部屋が空いていなくて特別室とやらになった。
翌日は夫も仕事が休みなので、その日は病院に泊まっていった。

日付が変わって、午前1時ころから1時間おきくらいに陣痛らしきものが。
4時ころには10~15分おきくらいになる。
昨日ので誘発されてしまったのか。

助産師に伝え、みてもらったけど、子宮口は2cmしか開いていないと。
バルーンは使わずに自然にいくことになった。
朝ごはんは食べたけど、食欲がなく昼ごはんは食べることができなかった。

ちょうどこの日、千葉から私の両親がくることになっていたので
昼過ぎに夫が迎えに行ってくれた。

夫がいない間に、嘔吐。朝ごはんが出てきた。
夫が戻ってくるまでのことは、あまり覚えていない。

夫が両親を連れて戻ってきてくれたが、話しもほぼできないまま陣痛室へ向かった。
そこでも嘔吐。
モニターもつけ、子宮口がどれくらい開いていたかは覚えていないけど、
8cmくらいになっていたような気がする。

分娩室へ移動。
もう、何がなんだかよくわからなかった。
横向きになり、陣痛の痛みが来たら、おしりの方へおろす感じで力をいれる。
と、言われても、とにかく腰が痛い。
言われてたことをやろうとするので精いっぱいだった。
痛いし、できてるのかわからないし、なんだか力も入らない。
痛みと暑さとかで朦朧とし、とにかくよくわからない。

自分は、取り乱したりしないと思っていたし、そうはなりたくないとも思っていたけど、
あまりの激痛に大声を出して痛みを逃さずにはいられなかった。
ぐっと歯を食いしばって耐えられる痛みではなかった。

出産が痛いっていうのは、出てくるときのおまたが痛いものかと思っていたけど、
私の場合とにかく陣痛中の腰が痛かった。
真っ赤に焼いて、砕かれたんじゃないかってぐらい痛い。
いきんだり、腰を動かしたり、仰向けになるために下に着けたりするだけで、
それくらいの痛さを伴い「イタイーーーっ!!!」と声が出てしまう。とにかく苦痛。

そういうことを何回繰り返し、何時間やったのだろう。
気が遠くなるくらい長く感じた。

夫は利き腕を骨折しているというのに、痛がるわたしの腰をずっと押したりさすったりして
痛みを逃してくれる手助けをしてくれた。
いきむときも、呼吸の合図や体を支えてくれた。

「髪の毛がみえてきたよ」

と言われてからも、どれくらいの時間がたったのだろう。
痛みと戦い、いきんでもいきんでも、ぜんぜん出てこない。
ちょっとずつは進んでるらしいけど。ちょっとずつ。
あとどれくらいかかるのだろう。
この痛みにもうわたしは耐えられないよ。もういやだよ。
わたしの力のないいきみでは出てこないんじゃないかなぁ~と何度も思った。
もう痛すぎるし、いきみすぎて、力もはいらない。
そんなに体力自信ないし。へろへろで。ぼろぼろ。
朦朧としながら、分娩代の手すりにつかまって力を入れるだけで精いっぱい。

陣痛の合間に、意識が飛んで寝てしまったり。
どうやら、脳が強い陣痛の痛みで、脳内麻薬がでるからとか。
そういえば、痛みで3回気絶したっていってた友達がいたっけ。

赤ちゃんが恥骨でひかかってそこからなかなか出てこないらしい。
手を突っ込んで赤ちゃんがでるように誘導してくれたりもした。

最後に次のいきみをやってみて、ダメだったら帝王切開に切り替えることになった。

先生も2人がかり、助産師さんにおなかも押され、
周りにも助産師さんが数人スタンバイしていて、いったい何人がかりだったのだろう。

陣痛が来て、いきみを1回、2回、3回、4回。
「出たよーー!!!」
引っ張り出してくれ、にゅるるんとした感覚が。

やっと終わったーーーーーーーーーーーーーー
やっと解放されるーーーー!!!!
出産の感動とかよりも、正直そんな気持ちだった。

そして、何よりも気がかりなのは
五体満足健康で産まれてこれたのか。
赤ちゃんを横に置いてくれた時、まっさきに指の数とかを数えてしまった。
高齢出産だしね、何か障害があったりするんじゃないかと不安もいっぱいで。

胎盤を取出し、切開した所を縫合し、そのまま分娩台で2時間の休息。

壮絶な戦いデシタ。
世のお母さんたちはほんとにスゴイ。
こんな痛みを経験しているんだね。

そして、助産師さんにも本当に助けられた。
助産師さんの存在が偉大過ぎた。
感謝してもしきれないくらいに、ありがたかった。

トイレで出産とか、この前も飛行機で出産とか。
信じられません。
恐ろしいほどに安産なんだろうな。
きっとお産もひとそれぞれ。
安易に、昔の人はそうしてきたから、自宅で自然に出産がイイとは言えないと、
しみじみ思った。
現代医学のおかげで、わたしも赤ちゃんも安心してお産ができた。

ちなみに、タイトルのポコちゃんというのは
お腹にいたときの胎児ネームです。
おなかをポコポコと蹴っていたので。
甘いものだ~いすきっっっ
何も気にせず自由にであるけるのもあとわずかなので気になっているお店へいってきました。

入院していた時にいただいた、読谷にある"JOIEJOIE326"のケーキが美味しかったので。

店内にもすこしだけ飲食スペースがあったので、
迷いに迷って、6月までの限定のさくらんぼのタルトをいただきました。

おいしいよ~!
タルトもサックサク。
お皿もすてき。
この界隈じゃ、わたし的にはNO.1かも!

このお店、材料にこだわっていてなるべく沖縄県産の無農薬のものや
白糖を使わないようにしているとか。
しかもブセナのシェフパティシエを務めていた方のお店だとか。。。!

とても気に入りました♪



そしてここからはパンケーキやワッフルをどどどんっと。

読谷のヤッケブース(JAKKEPOES)
外人住宅。



恩納村のマーメイドカフェ(Mermaid Cafe)
ビーチサイドにあって海沿いのテラスでも食べられる。


恩納村のカイホロカフェ(KAIHORO CAFE)
ハワイグッズや雑誌もたくさん。


恩納村のパニラニ(Paanilani)
ハワイの食堂みたい。

その時はあまりにも突然やってくるもの。

GWで世間が浮かれている4月末。
わたしも4連休だったけど、夫は仕事だったからひとりでイベントいったり
ちょっとだけ遠出してカルディ―で買い物して浮かれてました。

あ、わたし妊娠中で。
重いもの持ったらダメだよ~と言われていたのに、翌週のBBQに備えて飲み物買ったり。
その瞬間から、「あれれれ?なんかお腹痛いぞ」となりまして。
とりあえずがんばって運転してお家に帰って横になるものの
いっこうに良くならず、いつもと何かが違う…。こりゃおかしいと思い、
夫の職場にも電話し急遽帰ってきてもらい、病院へ。

なーんとそのまま入院。夜22時も過ぎていました。

まさかの、突然の24時間点滴しっぱなし、トイレとシャワー以外は寝たきりの絶対安静生活突入。
ヒマで死ぬかと思った。


病院のごはんがまぁおいしかったのが救い。
いきなりの、食べて寝てTV見て、スマホのゲームする生活。

仕事もね、GW明けに出産のため辞める予定でした。
送別会も予定してくれてました。
仕事も最後キッチリやってから辞めようって思ってた。
なーのーにー。
中途半端に。
入院したまま退職・・・・・

AUSから履歴書を送り、1年ちょっとお世話になった会社。
この辺りではなかなかない良い時給で雇ってくれ、
妊娠がわかってからも、業務内容やシフトをものすごく配慮してくれてありがたく。
なーのーにー。
こんな形で退職することになっちゃって申し訳なく。

ベビーグッズもひとつも買っていないし、お産の準備もまーったくしていなかったから
焦った焦った。

周りの切迫早産の人たちはだいたい正産期といわれる
もう産まれてもOK!って時まで入院という人が多く、
1ヶ月~2,3か月入院ってひともざらで。
そんな中私は、半月で退院することができました。

でも、おうちでも薬漬けで、入院時と同じく絶対安静。
家事もやっちゃダメ。

そんな中、ある夜中。
夫が帰宅したと思ったら、雨でずぶ濡れ悲壮な顔で「事故った・・・・」と。
バイクでね、すっ転んだと。
とりあえず頑張って運転して救急病院へ連れていきましたよ。

日付は変わって1時過ぎ。
そして診察などが終わって朝6時すぎに帰宅。
利き腕側の鎖骨の骨折だけですみました。

でもね、運転も仕事もできなーい。
2人とも動けなーい。
どどどどど、どーーしよーーーーーーー。

急遽、義母が飛んできてくれました。1週間お仕事休んで。
病院の送迎、家事、何から何までやってくれました。

そんな、踏んだり蹴ったりドタバタだった5月。
うちらの医療費ハンパない!

そして6月、夫もまだ使い物にはならないけれど仕事にも復活し、
お腹のBABYも順調で、フツーに生活して良いと言われ、とりあえず一安心。


家の前のビーチで、骨折夫と臨月妻。

ずっとずっとずーーーっと気になっていた。
わりとうちの近くの沖縄そば屋。
【山田水車屋】
58号沿いに在って、よくわからん看板がいっぱいあってとにかく怪しい雰囲気ぷんぷんぷん
すぎて、気にはないっていたけどなかなか行けないでいた。

誰かお友達が来たときに観光?でいこうかな~なんて。

な~んて思って1年たって。
この前、友達と話していたら、なんとここでバイトしてるという!!
え!!初耳!!
「だって、言ってないもん」って。
でももうすぐやめちゃうので、早速いってきました。

ホラ。怪しさむんむん~♪



なんか、バンジーなるものがあるの。
手作りの・・・・
椅子は車のシートみたい。
怖すぎるよ。
バンジーというよりはブランコみたいだけど。

赤と黄色の柱の奥に58号線が走っているのだけど、
その間は小さいけど草むらの谷になっています。
今は体を大事にしなきゃな時期なので、やるのは止めておきました。


他にも手作りアトラクションがいろいろあって、
行った日も何やら作っていらっしゃいました。かざぐるまをいっぱい木につけてた。
アイデアマンなおじー。

肝心の沖縄そば。
周囲の人の評判からまったく期待をせず、むしろ怖々だったので。
まぁフツーに食べられるよね。って感じ。
もちろん自家製めんとかじゃないです。





珍百景やナイトスクープにも登場したらしく、
まぁ気になるもんね。
でもあんまりうちなーんちゅで行ってたことある人はきかないかな~(笑)