2015年6月28日にこのブログを書いて、そのまま放置してた。
今更ながらUP!
ポコちゃんももう10カ月になりました。
ちょうど1年前の今日この時間、切迫早産で入院し、
仕事もそのまま退職となり、絶対安静の寝たきりで過ごしていたんだったなぁ。
早いものだ。
その時は、やっぱり突然にやってきた。
出産予定日まであと5日での、検診。
診察では、まだ子宮口は開いておらず、出産ばまだまだかかりそうだね。って言われ、
最後にモニターをつけて。
赤ちゃんの心拍と子宮の張りをチェック。
張りもこないし、心拍もいつもとおりで、計測しながらリクライニングソファーでうとうとしていた。
が、ふと目を覚ますと、看護師さんがモニターを確認して焦ってる。
「心拍が低下してる時がある」と。
突然2分間、半分位になっている時間があった。
寝てたし、胎動も少ない子だったから何にも気が付かなかった。
切迫早産で入院していたときも毎日モニターしてたし
退院してからも検診で毎週モニターしてたけど、今まで何にもなかったのに。
酸素マスクを装着され、看護師もたくさんきて、先生もやってきて。。。。
あれれれ??何か大変なことになっている。
「今すぐにご家族と連絡とって来てもらえますか?」
あれれれれ。
入院とのこと。
もうビックリな展開過ぎて、ついて行けず。
不安になってうるうるしていまいました。
仕事を抜けて夫がきてくれて、先生から
誘発剤を使って軽い陣痛を起こして、胎児が陣痛に耐えられるかのテストをするとの説明があった。
テストは問題なかった。あれ以降、心拍がさがることもなく。
でも、もう産まれてもいい週数なので、産みましょうということになった。
子宮口が開いていないので、翌朝にバルーンで広げると。
それから促進剤を使うと。
入院は、部屋が空いていなくて特別室とやらになった。
翌日は夫も仕事が休みなので、その日は病院に泊まっていった。
日付が変わって、午前1時ころから1時間おきくらいに陣痛らしきものが。
4時ころには10~15分おきくらいになる。
昨日ので誘発されてしまったのか。
助産師に伝え、みてもらったけど、子宮口は2cmしか開いていないと。
バルーンは使わずに自然にいくことになった。
朝ごはんは食べたけど、食欲がなく昼ごはんは食べることができなかった。
ちょうどこの日、千葉から私の両親がくることになっていたので
昼過ぎに夫が迎えに行ってくれた。
夫がいない間に、嘔吐。朝ごはんが出てきた。
夫が戻ってくるまでのことは、あまり覚えていない。
夫が両親を連れて戻ってきてくれたが、話しもほぼできないまま陣痛室へ向かった。
そこでも嘔吐。
モニターもつけ、子宮口がどれくらい開いていたかは覚えていないけど、
8cmくらいになっていたような気がする。
分娩室へ移動。
もう、何がなんだかよくわからなかった。
横向きになり、陣痛の痛みが来たら、おしりの方へおろす感じで力をいれる。
と、言われても、とにかく腰が痛い。
言われてたことをやろうとするので精いっぱいだった。
痛いし、できてるのかわからないし、なんだか力も入らない。
痛みと暑さとかで朦朧とし、とにかくよくわからない。
自分は、取り乱したりしないと思っていたし、そうはなりたくないとも思っていたけど、
あまりの激痛に大声を出して痛みを逃さずにはいられなかった。
ぐっと歯を食いしばって耐えられる痛みではなかった。
出産が痛いっていうのは、出てくるときのおまたが痛いものかと思っていたけど、
私の場合とにかく陣痛中の腰が痛かった。
真っ赤に焼いて、砕かれたんじゃないかってぐらい痛い。
いきんだり、腰を動かしたり、仰向けになるために下に着けたりするだけで、
それくらいの痛さを伴い「イタイーーーっ!!!」と声が出てしまう。とにかく苦痛。
そういうことを何回繰り返し、何時間やったのだろう。
気が遠くなるくらい長く感じた。
夫は利き腕を骨折しているというのに、痛がるわたしの腰をずっと押したりさすったりして
痛みを逃してくれる手助けをしてくれた。
いきむときも、呼吸の合図や体を支えてくれた。
「髪の毛がみえてきたよ」
と言われてからも、どれくらいの時間がたったのだろう。
痛みと戦い、いきんでもいきんでも、ぜんぜん出てこない。
ちょっとずつは進んでるらしいけど。ちょっとずつ。
あとどれくらいかかるのだろう。
この痛みにもうわたしは耐えられないよ。もういやだよ。
わたしの力のないいきみでは出てこないんじゃないかなぁ~と何度も思った。
もう痛すぎるし、いきみすぎて、力もはいらない。
そんなに体力自信ないし。へろへろで。ぼろぼろ。
朦朧としながら、分娩代の手すりにつかまって力を入れるだけで精いっぱい。
陣痛の合間に、意識が飛んで寝てしまったり。
どうやら、脳が強い陣痛の痛みで、脳内麻薬がでるからとか。
そういえば、痛みで3回気絶したっていってた友達がいたっけ。
赤ちゃんが恥骨でひかかってそこからなかなか出てこないらしい。
手を突っ込んで赤ちゃんがでるように誘導してくれたりもした。
最後に次のいきみをやってみて、ダメだったら帝王切開に切り替えることになった。
先生も2人がかり、助産師さんにおなかも押され、
周りにも助産師さんが数人スタンバイしていて、いったい何人がかりだったのだろう。
陣痛が来て、いきみを1回、2回、3回、4回。
「出たよーー!!!」
引っ張り出してくれ、にゅるるんとした感覚が。
やっと終わったーーーーーーーーーーーーーー
やっと解放されるーーーー!!!!
出産の感動とかよりも、正直そんな気持ちだった。
そして、何よりも気がかりなのは
五体満足健康で産まれてこれたのか。
赤ちゃんを横に置いてくれた時、まっさきに指の数とかを数えてしまった。
高齢出産だしね、何か障害があったりするんじゃないかと不安もいっぱいで。
胎盤を取出し、切開した所を縫合し、そのまま分娩台で2時間の休息。
壮絶な戦いデシタ。
世のお母さんたちはほんとにスゴイ。
こんな痛みを経験しているんだね。
そして、助産師さんにも本当に助けられた。
助産師さんの存在が偉大過ぎた。
感謝してもしきれないくらいに、ありがたかった。
トイレで出産とか、この前も飛行機で出産とか。
信じられません。
恐ろしいほどに安産なんだろうな。
きっとお産もひとそれぞれ。
安易に、昔の人はそうしてきたから、自宅で自然に出産がイイとは言えないと、
しみじみ思った。
現代医学のおかげで、わたしも赤ちゃんも安心してお産ができた。
ちなみに、タイトルのポコちゃんというのは
お腹にいたときの胎児ネームです。
おなかをポコポコと蹴っていたので。