昨日、地下道の話をしたので、そのときに触れたガス爆発事故について、今日は書いてみます。
1980年、8月16日。お盆の真っ最中ですね。私は幼稚園かなぁ。ちょうど一番下の妹が生まれた年です。
朝、9時30分、静岡駅前の第1ビル地下の、準地下街で、悲劇は起こりました。
紺屋町ゴールデン街飲食店、当時屋号菊正付近でメタンガスが発生し、小規模な爆発が起こりました。
さらにその約30分後の9時56分、破損したガス管から漏れた都市ガスに引火し、大規模な二次爆発が発生しました。
これによる被害は、記録によって多少異なるので多いところでとりますと、消防職員4人、団員一人を含む15人が死亡。警察官5名を含む重軽傷者は222名。一回目の通報で駆けつけた方たちが、二次爆発でなくなってしまうなんて…。
全半壊52店舗、一部損壊78店舗。商品被害多数。
当時理事だった、原田昇左右(はらだしょうぞう)さんは次のように語ってます。
そのとき市の消防長からの説明によりますと、第二次爆発の直後、現場は多くの死傷者の発生と助けを求める人々によっていわば阿鼻叫喚の地獄と化したのであります。まだ爆発が起こるかもしれないという不安がある中で、消防は救出に当たりながら敢然と消火活動を行い、ホースから手を離さなかったという事実、また現場に駆けつけました一般市民が、負傷者の救出のために身の危険を顧みず、体を血まみれにして救出に協力してくれたという事実、これはわれわれの心を強く打った次第でございます。私は、ここに、これらの方々に対して深く感謝の意を表したいと存じます。
映画のようなワンシーンが、そこにあったんです。しかも現実に。私もこの記事を読んで愕然としました。
この事故から、消防法施行令が一部改正され、地下街への規制が新設されたと共に、ガス漏れ火災警報機などの設備の設置が義務になりました。ガス管を減らす作業も行われてきました。
本当につい最近、地下街を改装、整備するまでは、壁や、タイルなどに生々しい焼け跡がずっと残っていました。
紺屋町地下街周辺にいくと、説明のプレートがはってあったとおもいます。
これを読んで興味がわいてきましたら、一度行って見てきてください。
このニュースを聞いてから、親に手を引かれて静岡に行ったとき、ここを通るのが怖かったのを覚えています。
あのころ、被害にあった方や、身近に知っている方が、もしこの記事を読んでいただけたらコメントいただけるとうれしいです。
被害に遭われ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。