これで私と、きなさんは中国へ旅行へ行くと拉致される可能性大ですねw
調べてみますとこのテレビ局『北米中国人向けに放送開始。翌2003年には衛星放送での放送が開始され、現在は世界各国で視聴できるほか日本でもインターネットで視聴が可能である』とのこと。
新唐人テレビ
在日モンゴル族 駐大阪中国領事館で抗議
★南モンゴルについて知ろう★
「南モンゴル」とは、現在の中華人民共和国の内モンゴル自治区と、そこに接するモンゴル人の自治区行政区の総称です。
モンゴル語では、それぞれにゴビ砂漠の南と北を意味する言葉を冠して「ウプル・モンゴル」、「アル・モンゴル」、と呼称しており、日本語に訳す場合には「南モンゴル」「北モンゴル」とするのが、政治的中立性を保った用語法です。
中国政府が実施した民族識別工作の結果として、この地域に居住する2400万人のうち400万人がモンゴル人で、数万人の満州人、朝鮮人、回族などを除いた残りは漢人となっていますが、漢人の中にもモンゴルのアイデンティティを持っている人が大勢います。
また、20万人のダウール人もモンゴル語と非常に近い言語を話し、自分達はモンゴルの一部であるという意識を持っています。
近年では鉱山開発による目覚ましい経済成長が続いていますが、急速な都市化が進み、モンゴル語やモンゴル文化の消滅が危惧されています。
1912年、辛亥革命により清朝が倒れると、南モンゴルでは、北モンゴルに樹立されたボグド・ハーン政権と1つになろうとする動きが起こりましたが、北モンゴルを後押ししていたロシア帝国の支援を得ることができず、1915年のキャフタ条約で、南北モンゴルはロシア帝国と中華民国の勢力圏に分割されてしまいました。
1930年代になると満州に進出してきた大日本帝国の援助を受けて再び民族独立の気運が高まり、徳王を首班とするモンゴル自治邦が樹立されますが、日本の敗戦とともに瓦解してしまいます。
その後、モンゴル人は内モンゴル人民共和国や東モンゴル自治政府の樹立を試みますが、いずれも力及ばず中国共産党の勢力圏に組み込まれてしまい、現在に至っています。
文化大革命の時代、中国は北の国境を接するソ連やモンゴル人民共和国を修正主義国家として敵視していたため、南モンゴルのモンゴル人は分離主義者やスパイの疑いをかけられ、モンゴル人の官僚、軍人、知識人などのエリートの大部分が粛清され、数万人が命を落としました。
この事件以降、南モンゴルのモンゴル人は中華人民共和国を自分の祖国であると心の底から思うことができなくなってしまったのです。
そして活動仲間である、おつるさんのBlogから私も気になっていたモンゴルでの日本人の植林Tourについての記事がありましたので転載してみます↓
★内モンゴル植林ツアーをしている左翼の欺瞞★
カトリック 松浦補佐司教ひきいる9条の会、ピース9などの9条教の人たち、911テロ陰謀説など撒き散らす、エコカルトのエセ左翼、エセ環境団体、ピースボート、グリーンピース、シーシェパードなどありますが
とにかく左翼による内モンゴル植林ツアーなるものが流行っています。
内モンゴル植林をすすめる、きくちゆみのブログに内モンゴルの植林の欺瞞ついて以前、コメントしましたが返事もありません。
きくちゆみが今度は反原発しています。こちら
この反原発サヨクが、内モンゴル植林ツアーをして「植林してきもちいいー」とかくだらない事言ってます。
土曜日、本当の内モンゴル人の方々にこの植林ツアーについての真実をお聞きしました。
なんと、日本人のエコロジーおばさんや ピース9、左翼植林のおばさんたちが、内モンゴルに来ては内モンゴルのためとか 環境のためと植林しているのですが実は、日本人が帰国した後、中国共産党がその植林された苗木をすべてひっこぬいて、金儲けのために売りさばくのだそうです。
そしてまた 日本人が木を植えに来る→中国共産党が利を得るのくりかえしだそうです。
なんと、中国共産党の利益のために サヨク日本人がせっせと植林して自己満足しているということです。
内モンゴル人は、なぜ、環境のためといって中国共産党に利することをするのか・・・と冷めた目で見ている。
誰も喜んでいない。
これが、左翼の汚いやり方です。
嘘と綺麗事で裏は、結局中国と北朝鮮の利益のためです。
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こちら抗議活動の模様です。在日モンゴル人の方の悲痛な想いを聞いていると泣けてきました。
親族がモンゴルにいらっしゃるというのに彼らは命懸けの抗議なんです↓
内モンゴル人民党こちら
南モンゴル人権情報センターこちら
モンゴルの自由連盟党こちら
フリー・ハダ・ナウ、シンナ・オン・ヒューマン・ライツこちら
★中国政府はハダ氏と家族を釈放せよ!南モンゴル世界同時抗議(動画)★
モンゴル人の権利を守ろうとしたため逮捕された、内モンゴルの人権活動家「ハダ」氏。2010年12月、15年の刑期を終え釈放されるはずだった。しかし、ハダ氏出獄の直前に、妻シンナさんの経営していた書店は強制的に閉鎖。シンナさんと息子さんも警察に拘束され、釈放されたはずのハダ氏も所在不明のまま。シンナさんの妹さんにハダ氏一家の写真が5枚届けられたが、それ以降情報はない。

