過去は今のためにあるのか?
こんばんは、おもさんです◎
前回の記事で、意味とか価値とかの話を少ししました。
前回記事はこちらから。
この記事の次に語るべき事はやはり「意味」とかの話でしょう。
「意味」というものを考えるにあたって、とても良い材料が「時間」という概念です。
「過去は何のためにあるのか?」
この質問に対してあなたならどのように答えますか?
一般的に、「過去は未来をつくるために、意味がある!」とか「現在の自分に役立てるために意味がある!」など考えるでしょう。
最近まで私もそのような考え方でしたが、今は全く異なります。
はっきり申し上げますと、「過去は過去のためにある」というのが私の解釈です。
意味不明ですよね。
それでいいんです。意味なんてないんですから。
経験主義的な捉え方からすると、人間の意識は「いまこの瞬間」しか存在する事ができません。
過去や未来を経験する事は「いまこの瞬間の自分」には出来ませんよね。
イメージ上でタイムスリップすることは出来ても、直接経験することは出来ないのです。
ということは、記憶という記録装置があるから「過去があった」ということは知る事ができますが、過去が存在するということは「いまこの瞬間の自分」には証明できないのです。
なぜなら、人間は時空をこえて存在できないからですね。
この瞬間にしか存在しません。
大切なのはここから。
過去の経験とか出来事について「意味」をつけるのは「いまこの瞬間の自分」です。
あの時の経験が今の自分のモチベーションになっているとか。
あの時の経験があるからメンタルブロックがあるとか。
そのように「意味つけ」をしているのは、「いまこの瞬間の自分」なのです。
ということは、「いまこの瞬間の自分のあり方」によって、意味などいくらでも変わってしまうということです。
それは物事の本質的な意味などではなく、「思い込み」だということです。
そうです。全て思い込みなんです。
そのような思い込みに意味なんてないんですよ◎
全てのものは関係主義的に創発されるとしたら、「その事そのものに意味がある」のであって、
「その事そのものに意味をつける」のは単なる自意識が作り出した思い込みということなんです。
つまり「意味は求めるもの」ではなく「意味はそこにあるもの」なんですね。
人間の自我は色々と意味を求めます。
ですが、その自意識の働きによる「意味付け」は「思い込み」に過ぎないということです。
だから意味なんてないんです。
ですから、冒頭の命題。
「過去はなんのためにあるのか?」
これに対する回答はただ一つ。
過去は今の自分を満足させるものでもなく、未来にいかすためのものでもないんです。
「過去は過去のためにあるもの」なのです。
そして、「未来は何のためにあるのか?」、「現在は何のためにあるのか?」という問いに対しての回答も同様ということになります。
未来は未来のために。
現在は現在のために。
そして、我々が経験できるのは「現在」。もっと言えば「いまこの瞬間」だけです。
だから「いまこの瞬間」を一生懸命生きればよいのです。
そこに意味が創発されるのであり、後から考えた「意味」なんて「思い込み」にしか過ぎないのです。
私は「意味」に非常にとらわれて生きてきました。
だからこそ、自身の中でこのような気づきがありました。
この気づきを実生活でどのように生かすか?という視点から見ると、上記に説明したことだけでは単なる知識に過ぎませんから役に立ちません。
ですから、もう少し応用的な思考が必要です。
それに関しては、上記をなんとなくでも理解できている方にシェアしていこうかと思います。
ブログで不特定多数に語るには複雑すぎますしね。
この気づきは、臨床で最も頭を抱えていた難問を解決する道へといざなってくれました。
あとは検証していく中で、確固たるものに昇華していこうと思います。
なんのことかさっぱりだと思いますが、それでいいのです。
この文を読んでさっぱりだったとしたら、それが「意味」であって
考えることに「意味」なんてないんですから。
「意味」を求めずに、ただ一生懸命やれば良いのです。
読んでいただきありがとうございます。
それでは。
んばぼ◎