邪馬台国:モモの種大量出土 

最有力候補地・纒向遺跡

記事

邪馬台国の最有力候補地とされる

纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、

3世紀中ごろに掘られた穴「土坑(どこう)」から

モモの種約2000個が見つかった。

モモは古代祭祀(さいし)で供物に使われ、

1カ所で出土した種の数では国内最多。

卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の晩年から死後の時期に、

モモを大量に使った国家祭祀が行われた

ことを示す成果と言える。

土坑は南北4.3メートル、東西2.2メートル、

深さ80センチの楕円(だえん)形。

モモの種がまとまって見つかり一度に埋めたとみられる。

一緒に祭祀用具とみられる土器や竹で編んだかごなども発見。

果肉が残った種もあり、市教委は食べたものではなく、

モモを竹かごに盛って祭祀に使った後、

土坑に埋めたとみている。

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、

卑弥呼は戦乱の倭国を治めるため「鬼道(きどう)を行い、

人々をひきつけた」とある。

辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は

「鬼道は道教を反映したもので、モモを大量に使った祭祀で

西王母をまつった可能性がある」としている。

。。。(記事抜粋)。。。


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邪馬台国 :3世紀に日本列島に存在したとされる国

ヤマト王権3世紀から始まる古墳時代に「王」「大王」(おおきみ)

などと呼称された倭国の王を中心として

、いくつかの有力氏族が連合して成立した

政治権力、政治組織である。


倭国 古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、

当時(2~7世紀)日本列島にあった政治勢力、国家を指して用いた呼称。

7世紀後半に、対外的な国号を日本に改めている。


この国の古代がどうだったのか

当時の文書の記録は残ってない

(なぜ残っていないのだろ?)

だから、

この国の古代における「クニ」の形態は推定の域をでることは

出来ない。。。

ヤマタイ国はこの列島の大半の地域をまとめるほどの

大きなクニだったのか?

それとも多くのクニの中の一つにすぎなかったのか?

当時の列島全体=ヤマタイ国として判断して良いのかも

はっきりとはわからない

当時の中国にとっては、東方の小さな地方の存在だったから

詳しい情報は残っていない。

「倭国」自体、本来 日本が自称していた国の名前とも

考えにくい

なぜなら、「倭国」は「倭」=小さく、卑しいの意味がある。

自分の国のタイセツな名を卑下することはないでせう?

(卑弥呼の表記も悪意を感じる)

ただ可能性的には「ワ」の音感が当時のこの国の

呼び名に近いものがあったことは考えられるけれど

やっぱり

推定の域をでることは出来ない。


だから、どんな証拠が現れたとしても

ヤマタイ国は永遠に幻のままなのかもしれない。。。

キミはどう思う?