ここ数日、ロシアでHotな話題と言えば多分
プーチン首相VSYu.シェフチュク
の記事だと思われます。
病気の子供のためのチャリティーコンサートに参加した芸能人と
プーチン首相が面談した という話なのですが
まあここまではよくある話としても、その中に人気ロックミュージシャンの
ユーリー・シェフチュク
が居たことにより一触即発の様相を呈したというもの。
Yu.シェフチュクの歌は、私も好きなのですが、
歌う内容は叙情的なものから社会的なものまで幅広く
言葉がとても正直でストレートなのです。
例えば最近聞いた歌では要約すると
「石油とガスがなくなったら、大統領も死んで、また貧しい国になるのさ~」
みたいなの。 しかも暗く(重く)ないの。
市民 というか、特に所謂「知識人階層」に愛される歌手である所以です。
ゆえに、その歌の中には、権力者にとって不快なものも含まれます。
とくにロシアは まあそうでもしないとこの国はまとまらないけどさ 強権の国
民意というよりも、パンが欲しい民衆に支持される王様が支配する国です。
パンが欲しい限り・貰ったパンに不満を言わない限りは安穏と暮らせますが
法よりも、権力者のルールが優先され-法が権力者のルールにアジャストされ
それが守られなければ、牢屋に放り込まれる国でもあります。
そのよい例がユコス事件だよね
建前上、法治国家で言論の自由は保障されている国なので
一ミュージシャンであるシェフチュクが何を言っても逮捕はされませんが
よりストレートに権力と対峙するジャーナリスト-ポリトコフスカヤ事件は記憶に新しい-
にとっては、ロシアは危険な国の一つです。
で、件のイベントでシェフチュクが「法の前での平等」を主張したのに対し
プーチンは色んな「逃げ」をうったこの対決。
事前ブリーフィングの約束に従わず、言いたい放題言ったシェフチュクを
批判する一部もあるものの、大部分の発言する層の反応は
「よくぞ言ってくれた!」
高位の政治家や役人が私服を肥やしている
一方、一般の市民は生きていくのがやっと
そんな「不平等」が、高位の側の法を無視する行動から生まれているのを
黙ってみていていいの?
国民の暮らしを良くするための行動や政治はなくていいの?
まあ言ってみれば普通の民主主義国家にはあるべき
健全な反論の声を、権力の象徴に向かって投げつけた
シェフチュクの行動は勇気あるものと評価されました。
だけど、多分、こんな「言論の自由」が許されるのって
政治力のない音楽家だから なのかもしれません。
ソビエト時代、ヴィソツキーというフォークシンガーが
同じように社会風刺をギターにのせて歌いカリスマとなりましたが
あまりの人気に当局も手を出せなかった-
しかし一方では、わざわざそういう人物を泳がせて
いわば「ガス抜き」をしていた とも言われています。
勇気あるシェフチュクの行動と政治の関係にも
ヴィソツキーと共産党政権の関係を想起せずにはいられません。
ガス抜き程度の自由に甘んずることなく
マトモな民主国家-法に基づく政治が国民の審判にさらされる国-
にロシアがなるのは、いつのことでしょう。
批判的なジャーナリストが不審死を遂げたり
シェフチュクの音楽を自主規制するようでは
いくら「自由で開放された」国となって外資を呼んで観光客を誘致しても
そうとう遠いことだな と思うのでした。
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とはいえ。
日本もマトモな国になるのは遠そうだな 滝汗
と、本日の首相退陣ニュースを見ながら思ったのも事実です。