ロシアに言論の自由はあるか | 日本出身モスクヴィチカの徒然

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いわゆるモスクワ情報ではない だけど少し紹介したいロシア人の頭の中、日々ロシアの現実と相対するニホンジンの思うこと、モスクワの子育てのこと…etcを綴っております。

ここ数日、ロシアでHotな話題と言えば多分

プーチン首相VSYu.シェフチュク
 の記事だと思われます。



病気の子供のためのチャリティーコンサートに参加した芸能人と

プーチン首相が面談した という話なのですが

まあここまではよくある話としても、その中に人気ロックミュージシャンの

ユーリー・シェフチュク
 が居たことにより一触即発の様相を呈したというもの。



Yu.シェフチュクの歌は、私も好きなのですが、

歌う内容は叙情的なものから社会的なものまで幅広く

言葉がとても正直でストレートなのです。




例えば最近聞いた歌では要約すると

「石油とガスがなくなったら、大統領も死んで、また貧しい国になるのさ~」

みたいなの。  しかも暗く(重く)ないの。

市民 というか、特に所謂「知識人階層」に愛される歌手である所以です。



ゆえに、その歌の中には、権力者にとって不快なものも含まれます。

とくにロシアは まあそうでもしないとこの国はまとまらないけどさ 強権の国

民意というよりも、パンが欲しい民衆に支持される王様が支配する国です。

パンが欲しい限り・貰ったパンに不満を言わない限りは安穏と暮らせますが

法よりも、権力者のルールが優先され-法が権力者のルールにアジャストされ

それが守られなければ、牢屋に放り込まれる国でもあります。

そのよい例がユコス事件だよね



建前上、法治国家で言論の自由は保障されている国なので

一ミュージシャンであるシェフチュクが何を言っても逮捕はされませんが

よりストレートに権力と対峙するジャーナリスト-ポリトコフスカヤ事件は記憶に新しい-

にとっては、ロシアは危険な国の一つです。



で、件のイベントでシェフチュクが「法の前での平等」を主張したのに対し

プーチンは色んな「逃げ」をうったこの対決。

事前ブリーフィングの約束に従わず、言いたい放題言ったシェフチュクを

批判する一部もあるものの、大部分の発言する層の反応は

「よくぞ言ってくれた!」 

高位の政治家や役人が私服を肥やしている

一方、一般の市民は生きていくのがやっと

そんな「不平等」が、高位の側の法を無視する行動から生まれているのを

黙ってみていていいの?

国民の暮らしを良くするための行動や政治はなくていいの? 

まあ言ってみれば普通の民主主義国家にはあるべき

健全な反論の声を、権力の象徴に向かって投げつけた

シェフチュクの行動は勇気あるものと評価されました。



だけど、多分、こんな「言論の自由」が許されるのって

政治力のない音楽家だから なのかもしれません。

ソビエト時代、ヴィソツキーというフォークシンガーが

同じように社会風刺をギターにのせて歌いカリスマとなりましたが

あまりの人気に当局も手を出せなかった- 

しかし一方では、わざわざそういう人物を泳がせて

いわば「ガス抜き」をしていた とも言われています。

勇気あるシェフチュクの行動と政治の関係にも

ヴィソツキーと共産党政権の関係を想起せずにはいられません。



ガス抜き程度の自由に甘んずることなく

マトモな民主国家-法に基づく政治が国民の審判にさらされる国-

にロシアがなるのは、いつのことでしょう。

批判的なジャーナリストが不審死を遂げたり

シェフチュクの音楽を自主規制するようでは

いくら「自由で開放された」国となって外資を呼んで観光客を誘致しても

そうとう遠いことだな と思うのでした。



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とはいえ。

日本もマトモな国になるのは遠そうだな 滝汗

と、本日の首相退陣ニュースを見ながら思ったのも事実です。