わが町(1956) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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日本映画をひとりの男が見続けます。映画はタイムマシンです。そういう観点も含め多様な映画を解説していきます。範疇は作られた日本映画全てです。

わが町
1956年 日活
監督:川島雄三 主演:辰巳柳太郎、南田洋子、三橋達也、殿山泰司

今日から、川島雄三を何作品か続ける。以前、日活での彼の作品を書いたがその続きから。まずは、織田作之助原作のこの作品。前年に豊田四郎監督の「夫婦善哉」が公開されているから、その流れでこの作品が撮られたのだと思う。大阪の街で、さまざまな不幸に遭いながらも、自分の意志を頑固に通しながら生きた、男の一代記。それを辰巳が好演している。川島監督の日活作品は、皆、力が入っていて、見ごたえがある。隙のない感じの重みが私は好きである。この作品も、ただの人情話なのだが、なにか引き込まれる感じは、役者たちが有機的に動いているせいだろう。そう、そこに大阪の昔の空気感が詰まっている感じがたまらなくいいのだ。

辰巳はフィリッピンの道路建設にいっていて、金もたいしてもらえぬまま故郷の大阪に帰って来た。そんな辰巳のただ一つの誇りはフィリッピンの道路建設を日本人の手でやり遂げ、自分はその中心にいたことだった。帰ると、行く前に関係した女(南田)が辰巳の子供を産んで、ひとりで苦労しているという。辰巳は露店で南田が唐辛子を売っているのをみて不憫に思うが、子供が自分の子か?と疑うのだった。一緒に住むが、すぐに南田は病に倒れ、死ぬ。車夫をして、ひとりで娘を育て、やがて良い娘(高友子)になった。その娘がおけ屋の息子(大坂志郎)を好きになり、マラソンの勝負で許すかどうか決めることにし、大坂が勝ち、結婚は許されるが、新婚の日に大坂の家が燃え、ダメな男になる。そこで、辰巳は大坂にフィリピンにいき男になれといって、いやがる大坂を送り出す。そのとき、高のお腹には子供ができていた。そして数カ月、大坂はフィリピンで死んでしまい、それを聴いた高もショックで死んでしまう。辰巳はひとりでこんどは孫を育てることになる。孫が学校に行かずにいるのに困るが、両親の写真をみせて、辰巳は孫娘をなつかせるのだった。そして、戦争の時を過ぎ、戦後、その娘は大きくなった(南田、二役)。そして、子供の時に一緒に遊んだ三橋に再会する。三橋は辰巳のいわれたとおり身体を使う潜水夫になっていた。南田は三橋に惚れ、一緒になるといい、辰巳の隠居を望むが、辰巳は車夫をやめなかった。三橋を家に呼ぶ日に南田は車を売ってしまう。だが、それが悲劇を呼ぶ。南田のお腹には子供がいて、三橋もフィリピンにいく仕事を断ろうと思っていた。その上に車がないのに辰巳は荒れて、車のことでヤクザと喧嘩をしてしまう。病床で三橋と南田に手紙を書き、プラネタリウムに南十字星を見に行く辰巳は、そこで永遠の眠りに着いたのだった。

織田作之助は昭和22年に死んでいるから、この映画は、時代的に10年くらい話をずらしてあるのだと思う。たぶん、ラストのプラネタリウムで死ぬ話は、この映画での創作だろうが、なかなか綺麗な終わり方である。でてくる科学館のプラネタリウムは本当に日本で最初に導入されたものだということだ。その宣伝もかねているのではないか?

そして、途中でも、ラストシーンでもホッピングをする子供たちがでてくるが、このおもちゃも、この映画の公開当時に、はやったものらしいから、そのあたりは脚色も当時受けるように直されたものだと思われる。

だが、そんなことはどうでもいいように、辰巳柳太郎が縦横無尽に熱演している映画である。たぶん約40年間くらいの話がテンポよくすすむのだが、その中で、徐々にふけていく感じはよくでている。最後の老けたよぼよぼの感じはたいしたものであるが、調べると、当時51歳。ある意味、若い時の演技が素晴らしいともいえるのかもしれない。

そして、辰巳の妻と孫を演じる南田も圧巻である。古い女と新しい女の時代の狭間を見事に演じ分けている。そして、現代の南田は実に美しい。川島は、女優を撮るのもうまい監督だと思う。その女優をいい表情にする感じに好感がもてるのだ。

脇の殿山泰司は落語家の役である。そして、落語をするシーンがあるのだが、これは珍しい。うまくないのがこの役にぴたりなのだ。そして、当時としては珍しい、50でちょんがー役の小沢昭一もなかなかいい味をだしてる。

話としたら、ベタな大阪人情話であるが、今観ても力強く、人間の強く生きようとする姿がなかなか私にはここちよい一篇である。辰巳柳太郎という役者を確認するためにはお勧めの一本だ。


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