熱海殺人事件(1986) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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熱海殺人事件

1986年 ジョイパックフィルム(製作:フジテレビ、仕事、ジョイパックフィルム)

監督:高橋和男 主演:仲代達矢、風間杜夫、志穂美悦子、竹田高利


つかこうへいの代表的舞台の映画化である。監督は、新人でこれ一本しか劇場映画を撮っていない高橋和男。まあ、映画としては見事に玉砕という感じの作品だ。企画に角川春樹事務所はついているが、金は出していないらしく、演劇のつたないフィルム化という感じである。


熱海で幼馴染を絞殺した罪で警視庁につかまった竹田。取り調べは名物刑事の仲代だ。仲代は愛人の部下志穂美が結婚するので機嫌が悪い。そして富山からやってきた妾の産んだ弟の風間も一緒に捜査することに。仲代は、事件を一級の文学作品に仕上げるとして、シャブをうとうとしたり、裁判官が乱入してきたり、ズレタ事ばかり。あげくに過激派人質事件が起こるや竹田を放ってそちらに介入。そして風間と愛人の痴話げんかの現場を見せ、何かひきだそうとする。最後の取り調べが始まる志穂美が殺された女で再現ドラマ。竹田がソープ嬢に結婚を申し込んだが、思い出をけがされ絞殺したという話。仲代はいい事件だったと竹田と握手をかわした。


演劇とは、板の狭い空間で、セリフを投げつづける事で世界を作り上げるものだと思う。コアな空間に役者の色で空間の臭いを作り上げ、観客は生で行われていることに感動する。しかるに、全体で何をいいたいかというよりは、シーンシーンで、言葉を投げかけることで印象づけ大きな感動の動力とするものだ。しかし、それに対し映画は、セリフはなくてもいいようなしろものだ。そして、カメラは縦横無尽に空間を駆けることができる。そしてシーンの積み重ねがモノを言う。基本的にメディアが違うのと、やはり映画には小回りの芝居はあわない。


つかの舞台は見ていないが、舞台としてのおもしろみはわかる気がする。ハレンチな言葉を連打する仲代も、舞台だったらおもしろそうだ。映画ではただの下品な時間にしかならない。人質事件の部分で、仲代が、「包茎」「早漏」と連打するのは、不愉快だった。つかこうへいが自分で映画監督をやらなかったのは、このあたりが理解できていたのかもしれない。映画はセリフだけでは笑えないのだ。


昨日書いた、「蒲田行進曲」は深作がそのあたりをうまくアレンジした活劇にしたわけである。しかし、こちらは映画としての活劇追求がまったくといっていいほどできていない。つづけて見るとそのテンポの違いに唖然とすると思う。


最後の熱海の海岸でのシーンが舞台じたてだが、所詮、竹田は最初から自由に外にもでているのだから、本当の熱海でやるくらいの絵がほしい。映画で舞台のままやられてはあまりにも陳腐なのである。これが終わって「いい事件だった」と言われても納得いかないのが本音だ。


仲代の無謀な刑事も、せりふだけで、実際は仲代らしからぬ空演技になってしまっている。このあたりは、監督のセンスのなさ、映画を作る上でのムード作りができていない気がする。全体的に熱を感じられないのは、やはり監督の技量だと思われる。


志穂美悦子が、最初に下着シーンをやったりするのも、ビルを飛び越えるシーンも、何か無駄になっている気がする。彼女のシーンで「恋人が濡れる街角」が流れるが、パロディーだとしてもおもしろくない。と思って、音楽担当誰かと思ったら、久石譲さんでわないか!こんなさえない時代もあったんだと驚いた。


映画的シーンは、最後にヘリコプターを使ったところくらいか?考えればなんの意味もないシーンである。この話も、愛の物語である。そこのところが監督にはわかっていないのではないか?


まあ、ヒットもしなければ、好評も得なかった作品だ。映画にするのは難しいかもしれないな~と私も思う。プロデューサー目線でみても、リメイクもないよね。この話は舞台のものです。そういう意味では舞台を体現した人には評価されているみたいですが・・・。


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