あっという間の1年でした。
電気が停まり、暗闇の中余震と寒さに震えて眠れなかった。
ご飯が作れず食べることもままならなかった。
お風呂も沸かせなかった。水道の冷水で顔と足だけ洗った。
日中も寒くて、家の中でもボードのウエアを着ていたけど寒かった。
携帯のバッテリーも切れた。
ラジオしか頼るものが無かったけど、電池も底をついて、遂に無音になった。
電車はもちろん動かない。
信号機もつかないし、道路はめちゃくちゃ。
通勤できないから自宅待機。
店は開いてない。食べ物も買えない。
ガソリンスタンドは行列。8時間並んで20リッター入れた。
やることない、やれることがない。
寝ることしかすることがないからもう寝よう。
今この世はどうなっているんだろう…。
そんな不安と恐怖でいっぱいだった、プチ被災生活。
それは、あっさり3日で解消されました…。
停電が解消された時の、心にともった光。
部屋にヒータをつけて温まる、お風呂を沸かす。
TVをつける。ご飯を作って食べる。
携帯を充電する。PCで情報を集める。
何気ない、当たり前の日常が、こんなにも幸せだったのか。
ありがたみを噛み締めると共に、あっけなく取り戻せてしまった無情、
同時に、津波に襲われた友人に何もしてあげられない自分が情けなかった。
1年の間に色んなことがあった。
いっぱい考えたし、いっぱい傷ついた。
いっぱい悩んで、いっぱい泣いた。
ボランティアさん達みたいなお手伝いはできなかったし、
お金持ちみたいな寄付もできなかった。
だけど、被災県の人間として、
少しは成長した自分でありたいと思っている。
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呆れたおはなし。
昨日TVで、秋田県での「がれき受け入れ反対集会」の様子を映していた。
驚いたことに、反対する理由は“放射能汚染の心配”であった。
100歩譲って、関西や九州の人たちが距離感覚も分からずに、
東北は全て汚染されてるみたいに感じているのならまだしも。(や、許せないけど)
秋田でしょ。お隣のことくらい多少わかるでしょ?
あ。今まで書いたことあったか忘れましたが…ひしょひしょ、岩手県民でございます。
岩手の、特にも県北のがれきなんてさ…、地図見りゃ分かると思うけど、
原発からの距離、岩手県北より東京のほうが近いからね。岩手でかいんだってw
もちろん、距離だけで一概に言えることではないのは分かってますよ。
でも、じゃあナゼ何を根拠に拒否するのでしょう?線量なら測っています。
集会の会長さんらしきご婦人が、ごもっともな顔をして「ゆっくりと話し合うことが、
岩手と秋田の双方にとって良いことだと思います、ええ。」なんて語ってましたが。
あほか。1年経ったというのに何を今更「ゆっくりと」だ。受け入れたくなくて、
先延ばしにしたい人たちは、それでいいかもしれんけど、岩手にとっちゃ良いことないわ。
最近よく耳にするのですが「東北は家族になった」というフレーズ。
こんなの嘘。お隣さんだから、と親しく思っていたのに、裏切られた気持ちだった。
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少々荒れました。気分を害した方、ごめんなさい。
私が知らないことも沢山あるから、断片的な情報で噛み付いてごめんなさい。
でもどうしても、今の心のままを残しておきたかった。
日本中のみなさん。
もっともっと助け合いましょう。口先だけの絆なんて要りません。
復興を願うなら、がれきを受け入れてください。
がれきの街に住む子供たちに、貴方がたの大切な子供たちと同じように、
「普通の」ふるさとを取り戻させてください。