こんにちは
ジュエリーデザイナーの奥野貴子です
実はですね、
先日お会いした方に私の経歴をお話したら
「それは絶対ブログに書くべき」
って言われたのです
まあね
自分でもそういうことはしないとね
とは思ってました
でもねー
あれこれ書くと長くなるし・・・
って面倒くさい思いもあり・・・
なので人に背中を押されたこのタイミングで
少しずつ書きたいと思います
主にジュエリーデザイナーである
私がどうやって今に至るか
まずこのお話をするには
自分がスタート地点だと思う話をしないとね
これは私が審美眼と言いましょうか
そんなものを養ったお話です。
ですから今回は働き始めるまで
私の子供の頃は一般的に小学校の低学年は
塾には通っていませんでした。
でもおけいこごとに通わせることは珍しいことではなかったかな?
私には兄がいて兄と同じ小学校に進み
兄の友人のお母さんに
良いお絵かき教室があると紹介されました。
(記憶はないのでね、多分そんな感じ)
(先生の家の暖炉の上にはモリエール像がありました)
そしてそこに通うようになったのですが
今考えると実にユニーク
当時は親たちはお教室に入れてって感じだったんでしょうね。
今なら
「そんなんではお受験の役に立ちません」
って言われそうな感じ
以前その絵画教室にまつわるお話を書きましたので
よろしければご覧ください。
その先生は私が一年生で通いだした頃はまだ20代。
その数年後には天才(かも?)って言われるような
新進気鋭の洋画家が小学生限定で行っていた教室でした。
そこに通うことで私は審美眼・色彩感覚、
そして立体感覚を手に入れられたと思います
同じころよく人が集まる奥野家のお正月に
父の仕事関係の若くて美人の
ジュエリーデザイナー
もいらしてました。
小学生の私はその人と出会うことで
ジュエリーデザイナーという職業を知りました
彼女は母がほとんどしないお化粧をきれいに施し、
母がつけない香水をバッグに入れていました
(ちなみに母は女性らしい人ですが単にお化粧はほとんどしなかったというだけ)
そして中学・高校と進むうちに
ジュエリーデザイナーというう仕事に就くことを真剣に考え始め
当時ジュエリーデザイナーの登竜門であった
武蔵野美術短期大学の工芸デザイン科金工コースに進むこととなりました。
ちなみ小学生~大学までの私の成績は
中間位というのがほとんどなく
学年でトップをとるものもあれば(これは容易にわかるので)
おそらく最下位に近いものもありました(これは誰もそうといわないのでわからない)
要するに興味があるものは非常に強みを発揮するけど
興味が持てない科目は
試験があるから頑張ろう
とは全く思えない自己中タイプでした
この性格は社会に出て随分と矯正されて
今に至る・・・
では次回はジュエリーデザイナーの仕事についてからを
徐々に書きたいと思います。
「こんな仕事をしてました」
などね