なぜ美 | RUBYBIRD

なぜ美

今日はipodを会社に忘れてしまった…
企画書書くときは、かたっぽだけイヤホンを詰めて
小さくシャウトしながら書くとうまく書けます。(多分)
そのまま今頃机の上だ。。


仕方がないので帰路、鞄をさぐると
今朝出がけに気の迷いで入れた本が出てきました。




橋本治
人はなぜ「美しい」がわかるのか
ちくま新書



2年程前、橋本治をまとめて読んだ時期があって。
この本はそのとき読んでいたもの。
二回戦。

そもそも学生時代に
「月刊 広告批評」(マドラ出版)をちょこちょこ読んでいて
その巻頭エッセイが橋本さんで、
(恐らく今もそのはず。)
このおじさんの切り口、面白いなー どこに落ちるか全く分からん。
でもすごく腑に落ちる、
と常々思っていたのだった。



まえがき より一部抜粋及び一部圧縮。



この本のタイトルは、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』です。
なぜ分かるのでしょう?
知りません。
人が美を理解するのは、きっと「脳の働きがどうとかなっているから」でしょう。
しかしその考え方には、(私は)関心がありません。
考えるのなら私は、
「どうして人には“分かる”という、主体的でそれゆえ個別的なことが起こるのか?」
と考えてしまいます。

そもそもタイトルにあるのは「美しさ」ではなく「美しい」
です。
何故かというと、それは私(橋本さん)が、
「人は個別に“美しい”と思われるものを発見する」ものだと
思っているからです。



読みすすめていくと、
ものすごく当たり前のことなのだけども、
美しさ(橋本さんの言い方だと「美しい」)とか、
さらにいうと美しさが呼び起こす感動とか興奮というのは
すごく個別的なもので、
その都度個人が体験し発見するものなんだな
ということにあたらためて気づかされます。

そしてあらためて、「美しさ」ってなんて解釈を拒否する、
ナイーブな言葉、感覚なんだろうって思います。
だからこそ安易に使われているし、
そのぶん、ひとつずつひもといていくと、面白い。

この本は、その「ひも解き」集と言っていいと思います。  


こうした当然すぎて、じっくり考えたことのなかったことを
平易な言いまわしで(かなり回りくどくしかし感覚的に抵抗の少ない言葉で)
ひも解いていくのが、橋本さんの論の特徴です。

なので最後までついていくには忍耐とスタミナがいりますが、
なんというかな、すごくカチッカチッと論旨が組み立てられているので
納得できるとすごく気持ちがいい。
 そうかー!
 そういうことだったのか。
というカタルシスが味わえるので、それをきたいしてついつい頑張って
橋本さんについていこうとします。

そこが魅力ですね。



・・・

で、内容なんですけど、
私は記憶力が著しく悪くてですね、
何も思い出せないのでもう一度ちゃんと読んでから
書き直します。

本でもなんでも、読んでる最中は
他が頭に入らないくらい没頭するくせに
あとになって内容がひとつも思い出せない。
何度も読んでるものでも、あやしい。
ノルウェイの森とか哀しい予感であっても、あやしい。
好きだったか嫌いだったかしか覚えてない。
だから短編が好きなのかもしれない。
でも10回はくだらないカーヴァーでさえ思い出せない。

大丈夫か、私。


ただこのうる覚えの感覚からいくと、
「なぜ美」よりもさらにこの本のほうが面白かったです。

橋本治
乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない
集英社新書

こちらの本は、ちょうど
「勝ち組/負け組」という言い方が世の中で市民権を得た頃に
発行されています。
昨年くらいから景気が良くなったので、
ちょっと共感がしにくいかもしれませんが、
ちょうど景気が底打ちしたときの本で、
橋本さんらしい、あーだこーだと紆余曲折した
経済の話。