約一年ぶりの更新です。

 

元々は、まんだら絵師の活動ブログだったこのブログ。

その活動に一旦終止符を打ち、しばらくお休みしたのち

心理と真理をつらつらと描くブログとして再スタートしたのが約5年前。

 

 

曼荼羅、もう描かないかもしれないな。。。

と思っていたのだけれど

ふと描きたいモードになったのが2023の秋頃。

でも、以前の(独学での)描き方ではまったく描けなくなってしまって。

うん、あの頃とエネルギーめちゃくちゃ変わってしまったからな。。。

 

で、気になった点描曼荼羅を描いてみたいとなり

点描曼荼羅の作家さんが開くワークショップに参加して

点の世界のとりこになりました。

 

その作家さん(先生は)、受容感がめちゃくちゃ高い方で。

生徒一人一人の個性、やりたい世界観などを、否定せず

いいところをどんどん見つけてくれて

どんどん伸ばしてくれる

そういう先生で。

 

全7回のディープな(笑)講座を受講して

2月に卒業しました。

 

卒業課題は、用紙のサイズも色も構成も自由に描いていい、だったので

本当に自由に(笑)好き勝手に(いや、言い方。。。爆  笑)描きました。

↓↓

 

四霊獣シリーズの一枚。

現在、シリーズ2つ目を描いています。

 

うん、また曼荼羅描きがスタートしました。

どんな展開になっていくのか。

 

以前は塗り絵ワークとか、オーダーとかを活動内容にしていたけれど

これからは、描いたものをたくさんの方に見てもらいたいなぁ

と漠然と思っています。

 

どうやっていくのか、自分ではまだ分かりません。

たくさんの方に見てもらいたい

ということだけど思って

あとは流れに任せてみようかな。

 

配慮

生きる上で大切にしていることの一つ。

 

忙しいから

時間が無いから

大変だから

 

配慮が出来ない理由にはならないょ

 

配慮はその人の本質

その人が、人生の経験から何を知り

どう思い、何を大切にしているのか

全てが出ちゃうょ、その行動に

 

言うだけなら誰でもできるもの

何を言ってるかじゃなくて

どう動いているか

その行動にその人の本当の姿がある

本質がある

 

 

お久しぶりの更新です。

 

2011年から2016年頃まで

突然、「まんだらを描こう!」と啓示を受けたかのように思いたち

完全な自己流でまんだらを描く活動を行っていました。

 

2017年に人生の大きな転機があり

私のエネルギーが大きく変化したことで

まんだらを描く

という湧き上がる想いが綺麗になくなっていき

まんだら絵師としての活動は一旦、終止符となりました。

 

その後、本当にまったく描くことは無かったのですけれど

昨秋、描きたいという想いがじんわりと湧き上がってきて。

 

久しぶりに描いてみたら

自分でもビックリするほど描けなくなっていて。

どうにも、過去にやっていた描き方では

一枚を描き切るのに物凄く時間がかかり

なにより、手が止まる、止まる。。。

 

もう、今の私には過去の描き方をそのまま同じようにやるには

違うのだろうな。。。

と思うに至りました。

 

そりゃ、そうか

だって、あれから、物凄く自分のエネルギーが変わっているから。

 

過去に描いていたまんだらへの心持ちは

前世、魔女だった頃のエネルギーで描いていた感じで。

 

今、描きたいなと想う心持ちは

仏教的な感覚かな。

 

ワタクシは

前世で僧侶だったこともあるらしく。

その頃の感覚なのだろうな。

 

祈り

 

厳しい修行の感覚を経て

それをも内在させて

その上で静かなる祈りの想いで

ただ、ただ、今この瞬間に居続けたい。

 

私の曼荼羅の活動が

きっと今年のどこかで

再開する予感です。

 

祈りとともに。

 

前回の記事

 

の続き(今回も覚書のような記事になりそ)

 

新年度になって一週間。

人生の大きい課題への挑戦中ですが

もう、どうしていいんかね~

と、もがもが もがもがしていることを前回のブログで書いて。

 

もがもが、し過ぎて、頭の中ぐ~るぐるで

天界の皆様に

「ヒントください~ 私が分かるように~~」

とお願いして、あとは待つ!という(笑)

 

そうしたところ

この一週間に起きた出来事、ふっと入ってきた、耳にした言葉

その全てが、寝起きで突如繋がるキーワードと出会うという展開。

 

そのキーワード

「曖昧さ耐性」

 

私はこの耐性が低いタイプなのだと、ストンと腑に落ちたのでした~

 

白黒つけたい

0か100

好きか嫌い

 

特にお仕事モードの時の私はこの特性が強くなる傾向があり

曖昧なこと

グレーなこと

に対して、心の奥底から嫌悪感を感じてしまう。。。

 

という、自分の癖強い部分にハッとした朝でした~

天界の皆様、ヒントを有難うございます。

 

うんうん

そうなのだ

なんか、腑に落ちたのだ

 

ここから逃げずに向き合おう。

 

 

子どもの頃からわりと

両極端な思考や行動の環境を見る機会が多くあったように思う。

 

どちらかというとボケーーっとしていた子どもの頃は

極端な状況に身を置くことになっても

心の芯(軸)にはそれが届いていない感じだったと思う。

(自分の出来事なのに、どこかで人ごとのような・・・)

その時の私の心の有り様をうまく表現する言葉が無いのだが。

 

教育系の大学に通っていたときに心理学を学んで

子どもの頃の私はもしかしたら

ボケーっとして、無意識的に自分を理解力が薄い状態にすることで

どこかで心を守っていたのかもしれないなぁ~

と思ったりした。

 

社会人になって、色々と経験する中で

後天的に、お仕事においてテキパキ出来るように努めたり

理解力を高めていくように努めてきて

今は、子どもの頃がボケーっとタイプだったとは思われなくなってきたけれど。

 

昨日は春分の日。

ここにきて

あらたな人生勉強の段階になってきた。

2月から今月にかけて

起きた出来事とか

それによって身を置く環境の変化とかがその兆し。

 

テキパキとか、理解力高めていけるよう努めてきた自分の中で

どうしても苦手なタイプの人がいて。

私の人生の中で必ずと言っていいほど、どこにいっても

どの仕事の現場でもそのタイプの人が現れる。

 

しかも、ガッツリと関わらなくてはならないポジションに

そのタイプの人がいる。

 

もう、分かっているのだよ。

私の魂の最大の課題は、そのタイプの人を通して

自分の中にある向き合わなくてはならない自分の中の感情があり、

ずっと、ずっと、ずーーーっと、どこかで逃げてきたということを。

分かっているのだよ。

 

それは、子どもの頃の

ボケーっとして生きていた頃にも通ずる

私の中の感情。

 

人生で出会ってきた数々のそのタイプの人たちが悪いのではないのよ。

究極は。

そのタイプの人を嫌うことで

本当は向き合わなくはならない自分の感情から

目を背けてきたのよね。

 

うん

とうとう、そこと向き合い、本当の昇華をする段階へときたように思う。

 

もがくわぁ

イライラもするわぁ

なんでだよ!って思ったりもするわぁ

 

そのタイプが何をしても何をやっても

心が凪いでいる日と

イライラ、イライラする時と

感情が行きつ戻りつしてて。

その振り幅が、今はまだ大きいように感じる。

 

さてさて

どうなるかな

この人生の大きい課題への挑戦は。

 

ずっと昔から

心の軸に「中庸」「中道」「調和」を掲げて

それを本当の意味で体得したい

そして体現したいな

 

今日の記事は

覚書のような感じ