虐待ブログに関する総括(前編)。 | ☆★るーたんにっき★☆

虐待ブログに関する総括(前編)。

私が虐待ブログと称していた「みずだめ」のブログが消滅して数日が経過しました。総括を以って締めくくりたいと思います。

・関連記事にコメントをいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。皆様のコメントがあればこそ私の記事、私の主張がより説得力をもって受け止められたと、誠に心強い思いでした。

・あのブログにぺタをしている人たちに不快感を示し、私にぺタがついた場合全て削除するという措置に関してはブログ消滅の翌日以降は停止しています。頂戴したぺタに関しては従来通りお返ししています。

【総括・その1 ブログ消滅後に湧いてきた人たちに関する見解】

・ブログが消滅した後になって「やりすぎた」なんてことをどうして言い始めるのですか?"まとめ奥"という方の総括ブログの中で、ブログが存在している頃から唱えていたと主張していますが、擁護するならもっと徹底的に行っていただきたい、中途半端だから「みずだめ、自演乙」と言われておしまいなんですよ。

・感情的な擁護論は存在しましたが、論理的な擁護論は存在しなかったとの認識を私は持っています。

擁護すると言ってもブログ主の主張にYESと唱えるだけでは真の擁護者ではない。

①ブログ主は炎上を鎮火させようとしていましたか?していませんでした。だから炎上は続いたのです。ブログの炎上は自然鎮火すると思っていたのですか?ブログの炎上は自然に鎮火することはありません。ブログ主の適切な処置があってこそ鎮火するものです。擁護する側の人間が鎮火に向けての提案をしたのでしょうか?結局は焼け落ちてしまいました。鎮火させようとしなかったために「全焼」です。

②「誹謗中傷に負けず頑張れ」という趣旨の励ましはあったようですが、「残酷。」というタイトルで記事にした通り、ブログ主が却って苦しみにのた打ち回るだけです。2ちゃんねるを始めとして各方面から”弾丸”は飛んでくるのです。「誹謗中傷に負けず頑張れ」という励ましは”ガンガン飛び込んでくる弾丸にもめげずに突撃せい!”このような励まししかしてくれないブログ主が却って哀れに思えてきます。

これだけ炎上して、火の手が沢山上がっている状況でさえ、擁護者の方々は「誹謗中傷」であると本心から思っていたのでしょうか?

この場合、適切なアドバイスは”退却”つまり「ブログの引越し」を奨めることだったはずです。ブログ主のあまりにも非常識、反道徳的な発言が元で炎上しているのです。ひとつの記事での失言では済まされないほど、ブログ全般にわたっていました。仮に炎上が鎮火してたとしても、その後のブログを何ごともなく進行することはほぼ不可能だったでしょう。

追手の来ないところに引越しするのが得策でした。

③”退却”つまり引っ越しはせずとも弾をくらう数を減らす手段、炎上の加速を防ぐ手段はありました。総合ランキングはさておき、ジャンル別ランキングは外すべきでした。

るーたんにっきが"子育て"でジャンル別ランキングで4位、総合で31位になった日のことです。

総合ランキングのページからの流入数は250でしたが、"子育て"のジャンル別ランキングのページからの流入数は400もありました。

ランキングから流入してみずだめのブログを見て…敵が増えることはあっても味方が増える見込みは少ないでしょう。さらに多くの弾が飛んでくるだけです。または「書いている内容がさっぱり分からんブログ」として、仮に炎上が収まったとしても、その後のブログ運営に影響が出ます。内容不明・意味不明のブログに足を運ぶほど暇な人はそうそうはいないでしょうから。

ランキングページからの流入数の恐ろしさを知るものがいなかったのでしょう。

ブログを継続する意志があるのならば、一旦ジャンル別ランキングから外れて、鎮火後に再度登録すればよかったのです。ブログ主に鎮火させる意志がなかったのだから、到底ランキングを外したところで意味はなかったでしょう。

④身を呈して「こんなことやめましょう!」と言う人がいましたか?私が見る限りいませんでした。「やりすぎだった」というならばブログの消滅前に言ってくださいな。

⑤ブログ主は「2ちゃん、ホスラブ…」となど言っていましたが、私が記事にして公然と非難をして、
一時的に取得した「捨てアカウント」通称「捨て垢」ではないブロガーさんが私の記事に公然とブログ主を非難するコメントをしていたことをご存知でしょうか?

2ちゃんねる、ホストラブではない、アメブロの世界でアメブロの住人たちが公然と非難していたことをブログ主はご存知だったのでしょうか?ブログ主に対して指摘してあげた人はいたのでしょうか?

⑥ブログ主の「妊婦は流産しろ」という記事、如何なる事情があってもあの発言は好ましくないです。

「あそこまで追い詰めるから、あのような発言も無理はない、追い詰めた側に責任がある…」、こんな趣旨の書き込みをしたものがいますが…

馬鹿も休み休み言いなさい!

「妊婦は流産しろ」なんて発言はまかりまちがっても言ってはいけない発言です。追い詰められたということを抜きにしても、ブログ主の人間性の問題です。

何故追い込まれたのか?

「妊婦は流産しろ」と発言しておきながら記事を訂正して隠蔽するだけで、謝意を全く示さない…歪んだ人間性の持ち主が歪んだ人間性のまま、ありのまま思いのたけを書き連ねたブログ、つまり非常識極まりないブログでありながら、一向に改めなかったから…

追い詰められたのですよ。

追い込まれて当然のことをしただけです。

つけ加えるならば、「妊婦は流産しろ」と発言したことの責任を他人に転嫁した人の人間性も問われます。匿名性の高い場所だから何を言っても許されるわけではありません。歪んでいます。そしてその歪みは現実の生活でも必ず現れてきて、対人関係に支障をきたすことになるでしょう。

⑦晒された人たち…ブログ主やそのまぶだちですかね?…ミクシーやコミュにおいてシャンとしているそうです。このブログ主には元々ミクシーなどのSNSが合っているということでしょう。全世界に発信され、不特定多数の目にさらされるブログは向いていないというこです。

ミクシーという安住の地を見つけることができて良かったですね。

その代わり、アメブロには二度と戻ってこないで下さい。

⑧ブログが消滅した後になって「やりすぎた」なんてことを言い出す輩が現れたことについて、"蛆虫"が湧いてきたなと思いました。

"蛆虫"と私に思われてしまった擁護者の皆さん、みずだめのブログを見殺しにしたんですよね?見殺しにしたくせにブログが消滅したあとにああだのこうだの言うのはやめてくれませんか?

死んだブログ、死んだ後に湧いてきたから"蛆虫"と私は言っているのです。

蛆虫は生きている人間には湧きません、死んでいるもしくは死期の近い人に湧きます。

さらにこのような意味も込めました。

肉体は滅んでいませんが、魂は滅んでいる…生ける屍です。

あとから「やりすぎだ」と言い出した人たちの性根も腐っている…生ける屍になって腐ってきた魂だからこそ蛆虫が湧いてくるのです。匿名性の高い場所だからといって無責任極まりないことばかり言っていると、こころの中の蛆虫が魂を徐々に食い尽くして…哀れな末路をたどるでしょう。

【総括・その2 言論の自由について】

・このブログ主は度々「言論の自由」・「表現の自由」なるものを主張していました。

言論・表現の自由とは?

国民の権利及び義務として日本国憲法第21条第1項において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定されている。

wikipediaから引用した「言論の自由」によれば…

言論の自由(げんろんのじゆう)は自由権の一種で、検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由を指す。表現の自由の根幹をなすと考えられ、今日では国際人権法で保護され世界人権宣言第19条、国際人権B規約にも規定されているものの、多くの国で保障されるには至っていない。

…とあります。

『自身の思想・良心を表明する自由』

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ホスラブ2ちゃんねる。その他の糞共へ
テーマ:ブログ

おまえらバカか

よっぽど暇人なんだね

ニートめ。おたくめ。働かない奴め!
糞人間め。おまえらこそ死ね!消えろ!

立派に私は母親してますだ?おまえらなんかに産まれた子供が可哀想だよ!陰口大好き糞親!
わかってんだからね
スレ立てたアメブロのID全員。

あぁ

ランキング高いのがそんなに羨ましい?(笑)(笑)

ばーか!(笑)おまえら頭悪い人間だからランキングもつかないんでしょ(笑)妬みだね完全に。
おまえらなんかランキングつかないわ。誰からも愛されないんだ!

全員不幸になれ!

人の痛みをわからないおまえらに生きる権利すらない!

私は嫌だね
おまえ等みたいな糞ども。それに遊ばれ続けるの

おまえ等に私の記事は読ませない。死ね!消えろ!

やったこと書いたこと
人をけなせば必ずいつかおまえ等に返るからな
覚えとけ

わかるわけないか

あんたらバカで糞だし(笑)

私は幸せに息子と生きるよ(笑)スレに書いた不妊症、子供出来ない奴ら
自分の責任だ!
そして妊婦もいたら全員流産しろ!

おまえらなんかゴミだクズだ(笑)

死ね!!!!!!!!!

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ブログ主が公開してその後、訂正した問題の記事全文です。コピーして保存してあります。

この記事のどこに「良心」が存在しますか?「良心のかけら」もない文章ですね。

「言論の自由」は社会によって保障されているものです。日本では憲法第21条によって法的にも保障されているものです。

社会によって保障されているものですから、このような反社会的な発言、反道徳的な発言においては「言論の自由」は存在し得ないと考えます。