プールサイドで起こる、真夏の殺人事件。秘密と謎が交錯する華麗なる官能ミステリー

『8人の女たち』の監督フランソワ・オゾンの

難解サスペンス映画。

 

『スイミング・プール』

[Swimming pool]

(2003年)イギリス・フランス映画

 

<あらすじ>

ある夏の日、イギリスの女流ミステリー作家サラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、新作のアイディアが浮かばないスランプに陥り、出版社社長ジョン(チャールズ・ダンス)の勧めで彼の南仏の別荘に出かけることになる。プール付き別荘の明るい太陽の下で、創作に取り掛かろうとすると突然、社長の娘と名乗るジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が現れる。自由奔放に振る舞うジュリーに苛立ちながらも、その溢れる若さと美しさに作家の性と本能を刺激され、彼女から目が離せないサラ。2人の関係が反発から共鳴に変わろうとした頃、スイミング・プールで殺人事件が起こる……。

 

<スタッフ>

監督・脚本 フランソワ・オゾン

脚本 エマニュエル・ベルンエイム

製作 オリヴィエ・デルボス

    マルク・ミソニエ

音楽 フィリップ・ロンビ

撮影 ヨリック・ルソー

編集 モニカ・コールマン

 

<キャスト>

シャーロット・ランプリング(サラ・モートン)

リュディヴィーヌ・サニエ(ジュリー)

チャールズ・ダンス(ジョン・ボスロード)

マルク・ファヨール(マルセル)

ジャン=マリー・ラムール(フランク・デュラン)

ミレーユ・モセ(マルセルの娘)

ラウレン・ファロー(ジュリア)

 

感想

人気ミステリー作家サラは

出版社社長の勧めで

気分転換に南仏の別荘に出向く。

そこに後からやってきたのは

社長の娘のジュリー。

奔放な性格の彼女は、

毎夜ちがう男を家に連れ込み、

サラに見せつけるかのように

刺激的な夜を過ごしていた。

サラはそんな彼女に

嫌悪感を抱きながらも、

目が離せなくなっていくが、

殺人事件が起こり……という

エロティックミステリー。

 

ストーリー自体は正直言って

面白いと思わなかった。

事件もすぐ犯人がわかる。

 

別荘で出会う若い娘役のサニエが

とにかく脱ぎまくっていて

ちゃんと服を着ている方が少ない。

ナイスおっぱい。

それだけに終わらず、

主役のシャーロット・ランプリングも

全裸になっている。

50歳を過ぎてこのヌードは強烈。

 

結末に関して、

観客の想像に委ねる部分があって

ここは解釈が難しい。

ちょっとエロいミステリーが観たい

という人にはちょうどいいだろう。

 

☆☆☆☆ 犯人の意外性

☆☆☆☆ 犯行トリック

★★☆☆☆ 物語の面白さ

★★★☆☆ 伏線の巧妙さ

★★★☆☆ どんでん返し

 

笑える度 -

ホラー度 -

エッチ度 ◎

泣ける度 -

 

評価(10点満点)

 7点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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※ここからネタバレあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1分でわかるネタバレ

○被害者 ---●犯人 -----動機【凶器】

フランク・デュラン ---●ジュリー ---衝動【撲殺:石】

 

<結末>

ジュリーの様子がおかしいことに気づいて

サラが話を聞くと、

ジュリーはプールサイドで

衝動的にフランクを

石で殴り殺してしまったという。

2人は死体を庭に埋めて

普段通りに過ごそうとする。

 

やがてジュリーと別れる日が来た。

ジュリーを主役にした小説を

執筆していたサラはジュリーから

死んだ母親が書いた小説のコピーを受け取る。

この小説を世に出すことで

母も浮かばれるだろうとジュリーは言う。

 

イギリスに戻ると

その小説を自分から売り込んで

他社から出版し、

かつてこの小説を否定した

見る目のないジョンに対する当てつけのように

ジョンにその本を渡した。

 

サラは別荘のプールサイドを回想する。

手を振るジュリアとジュリー。

その真意は……。

 

結末について

この映画のラストで

ジュリアという娘が出てきて

一瞬どういうことか混乱する。

あれ?この子が本当の娘なの?

じゃあジュリーは何者?

そう思った人も多いはず。

ジュリーはジョンの娘ではなかった

……というどんでん返しです。

 

この結末は

3通りの解釈ができる。 

 

①別荘の出来事は事実。ジュリーと名乗った女はジョンの娘ではなかった。

②別荘の出来事は事実。ジュリーはジョンの愛人の娘。

③別荘の出来事は妄想だった。ジュリーはサラの作りだした架空の娘。

 

果たしてどれが正解なのか?

1つずつ検討していきますが

先に言うと正解はありません

 

あるインタビューで監督が答えています。

「空想と現実がどのようにつながっているのか、すごくじらしていますね。現実が空想に転じる決定的な瞬間はあるのですか?」とたずねられて「鍵を渡したくありません。もちろん自分の意見はありますが、結末は謎のままにして、観客各人が思うようにしておきたいのです。観客が自分自身の映画を作ることが出来る映画なのです。

ジュリーの正体については、「(ジュリーが何者かという)先ほどの質問ですが、結末から来るものです。多くの可能性があると思うのです。最初から架空の人物なのか、出版社社長の実在の娘を基にしているのか、実在の人物で空想に入り込んだのか。」という質問に代表される。 サニエはこれに対して「それは皆さん次第ですね。この映画で私が気に入っているのは、ジュリーはサラの空想を映し出したに過ぎないとしてもいいし、出版社社長の娘で本当に頭がおかしくなっているとしてもいいし、あるいは全てサラの頭の中だと考えてもいい。どう考えるにしても、間違いというわけではないですから。」と答えている。

いろいろな解釈をしてもらうために

どのようにも受け取れる

いやらしい作り方をしている。

(正直こういうの嫌い……)

 

①別荘の出来事は事実。ジュリーと名乗った女はジョンの娘ではなかった。

ミステリーとしてならこれが正解。

全くの他人が娘になりすまして近づき

犯行を行うという2人1役トリック。

しかしながら、

ジュリーがわざわざそんなことをする

動機が無いという大きな欠点がある。

 

サラから金や原稿を

盗もうとしたわけでもなく、

殺人の罪を着せようとしたわけでもない。

フランクという男を殺したのも

計画的に見えない。

娘になって近づく動機自体が無いのである。

 

別荘に現れたジュリーが

ジョンの娘(ジュリア)ではないことは

かなりはっきりしている。

サラに「あなたも来てくれる?」と聞かれた時、

「娘がいるからね」と渋った。

これはイギリスに娘がいるから

フランスに行くのは

難しいことを示唆している。

つまりあのジュリーは

ジョンの言う娘に当てはまらない。

 

娘が別荘に行かないのに

娘役として入り込むというのは破綻している。

マルセルがジュリーのことを

娘と認識しているから

マルセルもグルだと考えないと成立しない。

よって①はありえない。

 

 

それでは②の仮説

②別荘の出来事は事実。ジュリーはジョンの愛人の娘。

ジュリーとジュリアは異母姉妹だった。

これは①より可能性があるし破綻が無い。

 

ジョンがフランスで愛人を作って

子供を産ませていた。

それがジュリーだった。

ジュリーの言い訳では

仕事が嫌になって

たまたまここに来たのだと言う。

 

これが正解なら、

若い娘と成り行きで

不思議な共同生活を送ることになり

その中でサラの価値観が変化していく物語を

監督は描きたかったということになりますね。

 

では別荘の出来事が現実だったという

証拠になりそうな点をいくつか挙げてみます。

 

伏線その①

サラはジュリーと会った夜に

ジョンへの留守電に

「娘が来るなんて聞いてないわよ!」と

メッセージを残した。

その後ジョンから娘の件で

折り返しの電話があった。

ジュリーが電話に出て

サラが代わろうとして切れた時の

あの電話がそうだった。

辻褄は合っている。

ジュリーがいる場面が妄想なら

電話のやりとりも妄想になってしまう。

 

伏線その②

別荘に父から電話があり、

ジュリーが話した後で

サラが受話器を受け取るが切れていた。

サラがジョンに掛け直したら

「外出中です」と受付に言われてしまう。

ここは皆さんも違和感があったはずだ。

 

この別荘に電話がかかってくるのは

ジョンからしかありえない。

だから電話の相手はジョンである。

父親は外出先から電話したので

会社に掛け直しても繋がらなかったと見るか、

サラと話して文句を言われるのが嫌か多忙かで

居留守を使ったかのどちらかだろう。

後半でサラが公衆電話から

ジョンに電話を掛ける場面では

ジョンが明らかに居留守を使っている。

(受付がジョンの外出を

把握していないわけがないから)

 

伏線その③

サラがプールサイドで昼寝をしている。

マルセルが見下ろしているが

サラはコンクリートの上で寝ていたが

次に物音で目覚めた時は

サラはデッキチェアで寝ていた。

どうして繋がっていないのか?

マルセルが見下ろすシーンが夢で

ジュリーの登場するシーンが現実だから

繋がっていない。

(妄想派だと逆になる)

 

伏線その④

ジュリーが殺人を犯した後で言う

「これはあなたの本のためよ」という台詞。

これはミステリー作家であるサラに対し

自分をネタに本を執筆しているなら

殺人こそふさわしいネタはないでしょ?という

アプローチだったと考えられる。

 

伏線その⑤

サラが勝手に他社で本を出したのを

ジョンが「どうして黙っていたんだ?」と怒る。

それに対して

「あなただって黙ってたでしょ」と返した。

これは「愛人の娘がいたこと」

つまりジュリーのことを

黙っていたことを非難している。

ジュリー自体が妄想だったら

この台詞の意味が通じなくなる。

 

 

最後に③の解釈。

③別荘の出来事は妄想だった。ジュリーはサラの作りだした架空の娘。

サラが別荘で体験したことに

妄想が入っていた、というもの。

ジュリーは幽霊のような

サラにしか見えない存在で

それを実写化したタイプの映画だった。

この解釈の人が一番多いと思う。

 

サラはミステリー作家として地位を築いたが

今は殺人事件より別のことが書きたかった。

情熱的な恋愛ものとか……。

その想いのまま創作に取り掛かって

自分と正反対の幻覚を作り出し

彼女の自由奔放な恋愛を小説に綴った。

 

ジュリーという娘は存在しない。

サラが生みだしたもう1人の人格。

若い頃の自分をモデルにした

こうなりたかったという理想像がジュリー。

あるいは、

ジュリーの語る「母親」が小説を書いたり

サラに酷似していることから

もし自分とジョンの間に娘がいたら

こんな娘だろうという想像の姿と推測できる。

 

この場合、

どこからどこまでが妄想なのか

線引きが難しい。

基本的には

ジュリーと一緒にいるシーンが

全て妄想ということになるだろう。

自分自身の行動は

どこまでが真実でどこが嘘なのか?

フランクは実在していたのか?

殺人事件はあったのか?

マルセルの娘も妄想?

誰も真実がわからなくなってしまう。

 

この説は

都合の悪い事は「妄想でした」で

解決できてしまうので

個人的に好きではない。

まぁ俺の解釈としては

②の全て現実の出来事で

ジュリーという娘も存在していた

支持しておきます。

(下の項目で追記あり)

 

よくある疑問

Q,サラは自分の小説が嫌いなのか?

 

ドーウェル警部シリーズで

一躍大人気のミステリー作家となったが、

このシリーズは出版元の

ジョンの好みで続けたシリーズ。

自分もミステリーは好きだが

本当に自分が書きたいものなのか、

これでいいのか悩んでいるところ。

 

Q,サラはジョンのことが好きなの?

 

そうです。

サラは作家として

ジョンのお気に入りでありたいと同時に

1人の女性として彼を好いている。

これは監督のインタビューでわかります。

 

2人が以前に

付き合っていたかどうかは

ハッキリと描かれていないが、

別荘にも何かと口実をつけて

結局行かなかったし、

プライベートな関係はなさそうだ。

 

Q,十字架には何の意味がある?

 

十字架というのが意味ありげに出てきます。

サラは別荘に来た初日に

この十字架を壁から外しました。

しかしジュリーがサラの部屋に入った後、

この十字架が壁に掛け直されている。

ジュリーは何故、十字架を壁に戻したのか?

おそらく「自分が部屋に入ったこと」に

気づいてもらいたかったか、

「勝手に部屋に入ってごめんなさい」という

懺悔の意味で

このような行動をとったと思われる。

ジュリーは信仰心の強い娘だから。

 

この時、

鏡に映った映像であるのが意味深だ。

この映像は真実ではなくて

十字架を抽象的に例えた

サラの心の表現の一部とする解釈もできる。

つまり現実の十字架は外れたままで、

心の中では十字架を

掛け直したい(やり直したい)ことがあり

心の変化を暗示させている。

……と深読みすることもできる。

 

Q,しかしそれなら

殺人の後で再び十字架が掛かっているのは?

あれは鏡の映像では無かった。

 

またもやジュリーの仕業?

ここは確かに現実の映像ですね。

そもそも十字架に何の意味があるかで

解釈が変わってきそうです。

 

ジュリーはサラと別れる時に

十字架のネックレスをしていた。

彼女にとって十字架は

大きな意味があるものと思われる。

ジュリーが殺人を犯して

神様にすがりたい気持ちで

掛けたのだとしたら

気持ちはわかるつもりですが……。

 

Q,ジュリーのお腹の傷跡は何?

 

ジュリーは「交通事故」と言っています。

後にマルセルの娘が語る

ジュリーの母親の事故死と

何らかの関係があると

俺は推測している。

ジュリーが情緒不安定になるのも

母の死に原因があるのかも。

セックスばかりしているから

妊娠中絶の帝王切開の跡という意見もある。

 

Q,プールサイドで寝ているジュリーを

フランクが見下ろしていて、

自慰を始めるのは意味がわからん。

 

あのシーンはサラの見ている夢でしょう。

ジュリーの瑞々しい身体に嫉妬して

欲望が自慰というかたちで表現されている。

フランクが登場したのは

サラの今の欲望の相手で

彼に少なからず惹かれていることもわかる。

 

Q,ジュリーは

昔のサラの姿ではないか?

サラ・モートンはペンネームで

本名はジュリーだとは考えられないか?

 

サラ自身の過去を投影したにしては

根本的に違う部分がある。

それは利き腕です。

サラは右利きで

ジュリーは左利き。

自分の投影だったら

どちらも利き腕は同じにするはずで

利き腕が違うということは

サラとジュリーは別人であると

考えた方がいいでしょう。

 

Q,サラはマルセルと関係を持ったの?

 

黙ってもらうために誘った、と考えられる。

まあマルセルのアレが

使用できるかどうかはあやしいところなので

セックスまでは至らなかったのではないかと。

 

あの手の方法は

いかにもジュリーがやりそうなこと。

おっぱいで誘う前に

何度もジュリーの方を見ています。

それをわざと真似した

サラの心境がよくわからない。

ジュリーと張り合うためだったのでしょうか……。

 

Q,マルセルの娘は

ジュリーの母親はすでに死んでいることを

サラに教えるが

急に「事故だったの」と怯えて

隠れてしまったのはなぜ?

 

あのキャラクターは姿からして謎すぎる。

小人症で老人のような顔の娘。

マルセルの「娘」なら40歳は過ぎているだろう。

どうやらジュリーの母は

不可解な事件で命を落としているらしい。

それが原因でジュリーがあんな風になったと

言いたいのでしょうか?

謎の台詞すぎてわかりません。

 

Q,あの年取ったマルセルの娘の存在意義は、サラが最初に「ご主人いらっしゃいますか?」と尋ねるように、人は夫婦というものが一般的に年が近い物である、という思い込みを否定するためにあるシーンであると思います。
つまりジュリーはジョンの奥さん、そしてジュリアのお母さんなのです。
ジュリーは若く、ジョンは歳をとっていますが、夫婦である可能性は十分考えられます。そしてジュリーのお腹のキズは、幼い時の妊娠のために行った帝王切開の跡なんだと思いました。

 

面白い考え方です。

マルセルの娘の容姿は

人は見た目では判断できない事の

伏線かもしれませんね。

 

一方、ジュリーがジョンの妻で

ジュリアの母というのは突飛すぎます。

若く整形していたとしても難しいから、

ある特殊な病気(下垂体機能不全)で

見た目が変化しないという設定を

持って来なくてはいけないからです。

この説が正しいなら

その病気の説明が無いのは大問題。

それに旦那をパパと呼び、

セックス中毒の母親ってどうなの?

何も魅力が無い。

 

Q,サラがジュリーの母では?

例の交通事故で記憶を失ったとか。

 

ジュリーがサラを「ママ」と呼んだことや

母の原稿の件も一致するけど、

それだと周りの反応がおかしい。

ジョンやジュリーが

他人として接するメリットってある?

 

ジュリーの母の原稿を

自分が書いたことになるが

全く思い出せないのはなぜ?

それなのにミステリー小説を書いて

ベストセラー作家になれるの?

マルセルの娘は

ジュリーの母に対して「死んだ」と言うなら

誰かに口止めされたってこと?

なんかヤバイ犯罪に

巻き込まれてるパターンですか?

あり得ないでしょ。

 

Q,ラストでジュリアとジュリーの姿が重なるのは

今までずっとサラには

ジュリアの姿がジュリーに見えていたということですか?

 

もし仮に本物の娘ジュリアが別荘に来ていて

その姿をジュリーに重ねたとするなら

これもまた矛盾ができてしまう。

 

出版社で2人はすれ違っていますが

ジュリアはサラに気づいていないし、

サラは「あの子が娘なのね」

みたいな表情で見ているから、

2人は初対面だったと思われるからです。

ジュリアはフランスには来なかったと断言できる。

 

ラストの謎シーンの考察。

プールサイドで手を振るのは

歯を矯正中のぽっちゃりしたジュリアだった。

手を振りかえすサラに切り替わり、

その後でプールサイドの娘の姿が

ジュリーの姿に変わります。

これが意味していることは何だろう。

 

ジョンの娘がジュリーだったらいいのに

つまり「私がジョンと結婚したかった」という

サラの願望だったのか?

しかしラストでサラはジョンに

見切りをつけたような態度をとっている。

その後に回想で

自分の願望を未練がましく

付け足すのは変だから願望ではなさそう。

 

単純にジュリアよりジュリーの方がいい娘よと

言いたかったとすれば、

「理想の方が美しくて現実って残酷ね」という

皮肉だったのかも。

 

現実派から見た矛盾点

俺は「別荘の出来事は現実だった」派なので

ネットの「妄想派」の意見をいくつか取りあげて

反論してみようと思う。

真相は全く不明なのですが、私自身が推理し、このカテでも散々意見を求めた結果出した結論は、あの一連の出来事はすべて作家の妄想であったというもの。
別荘に来て、パソコン画面に向かうところまでは現実なのですが、ジュリーという女性は彼女の理想と願望の象徴であり、自分自身がこうなりたい、あるいは心の奥底で行いたいと思っていたのに出来なかったことをすべて実行し、若さ、美貌、才能、欲望に素直な性格、奔放なセックス、出産(腹部の傷)、などを兼ね備えた女性である。
しかし、現実のジュリーは作り上げた幻想とは裏腹に、普通の平凡な少女でしかなかった。とはいうものの、そう解釈してもなお、不明な点(例えば殺人は本当に合ったのかどうかなど)は数多くあり、矛盾点は多い。
あるいは、編集長の娘は実際に来て共同生活もしていたいたのだが、作家自身が自分の理想の女性に勝手に置き換えていたという見方も有る。

う~ん、

ジュリア(本物の娘)が

別荘には来ていないと思う。

すれ違うシーンに違和感がありすぎる。

 

確かにサラは

ミステリー作家として名声を得たが

それに満足していない感じです。

そこで二重人格のもう1人のサラが

ジュリーという姿になって現れて

サラに恋愛小説のプロットを与えたと

推理するのは1つの答えでしょう。

 

しかし彼女自身も

昔は遊んでいたとジュリーに話していますし、

人生に不満があったわけではなさそう。

腹部の傷を出産と断定するには

サラ自身の過去の情報が足りない。

(サラが子供を産みたくて産めなかったとか

付き合った男の話が必要)

 

無理にジュリーとサラを

こじつけようとするから無理が生まれる。

若い娘を見て刺激を受けた中年作家が

新作のアイディアを得る物語だと

何か矛盾がありますか?

 

鏡の演出などを鑑みると、一般的なこの映画の解釈である「ジュリーはサラの空想上の人物」が一番解りやすいように思う。

ただ、どこまでが現実だったのか?
フランク殺人事件は本当にあったのか?が大きな謎でもある。

フランクの存在そのものが妄想なのか、それとも気になるカフェ店員として実在はしていたのか。もしかしたら本当にサラが殺してしまったんじゃ・・・とか自由に解釈できるが、フランクの事件のくだりがまさにミステリー小説!みたいな展開だったことや、遺体を隠蔽する時のサラのノリノリ具合を見ると、殺人事件自体は、ぜんぶ妄想の中の出来事だったように思える。

フランクねえ。

フランクを知っている人物が

他に登場しているから

妄想にしてしまうと

妄想の範囲が広すぎじゃない?

あの村で過ごした全てが妄想になったら

問題が解決するかと言うとそうでもなくて、

今度はラストでジョンに対して言った台詞と

腹を立てる意味がわからなくなってしまう。

 

フランクは存在して生きていて

殺人事件だけが妄想だと

フランクは急に姿を消したことになり、

それもまたおかしい。

①フランクは実在した、

②殺人事件もあった、

③田舎の村の捜査が杜撰で

犯罪が露見しなかっただけ、

とした方が矛盾無く繋がる。

 

あのラストシーンでこの映画の別荘での出来事がサラの小説のための空想の物語であるということはわかります。重要なのはジュリーが実在する人物であるかということ。僕の解釈から出た結論から言うとジュリーは実在しない。あくまでサラの空想の中での人物。「フランクを殺した。あなたの本のために。」というようなセリフがあったように、ジュリーはサラの思い通りに動く人物です。現に彼女はサラの「新作の構想ができた」という電話をジョンにかけてから登場しました。彼女はサラの小説の登場人物です。最後に出てきた「スイミングプール」の新作はこのジュリーについて書かれたものであるということがわかります。 
しかし、別荘についてからすべてのことがサラの空想だったとは思えません。どこかに現実があった。それはどこか。フランクとの会話とタイピングをしているシーンです。フランクはサラが好意を寄せていた人物で、この男を誘惑しようと思っていたが成熟した自分の姿を知っていました。もしかしたらここから自分とは対照的なジュリーの構想が出来上がったのかもしれなません。そして、殺人事件も現実に起こりました。殺したのはおそらくサラ。それはマルセルを誘惑したシーンから推測できます。フランクを埋めたのはサラ一人でやったこと。その場所に何か埋まっていることに気づいたマルセル。その気を引くためにサラはマルセルを誘惑するですが、このシーンでさっきまで水遊びをしていたジュリーが眠っています。これは「ジュリーが動かせない=空想の世界ではなく現実の出来事である」ということをさしているのだと考えられます。このシーンでサラは原稿を作成していることからこのシーンは現実であるといえます。 

「あなたの本のため」と言ったジュリーが

妄想の存在で、

新作『スイミング・プール』のヒロインだった。

彼女は自分が妄想であることに

気づいているわけですよね?

妄想って顔に怪我をしますか?

この怪我がサラによる追加の妄想で

自分がサラの妄想だって気付いてるんなら

「あんたいい加減にしてよね!」くらい

言いそうですよ普通。

 

『スイミング・プール』のためというなら

この小説には

「殺人」も入っているわけですよね?

ところがジョンは

この本を読んで興味を示していない。

大好きな「殺人事件」が入っているのに

それはおかしいと思いませんか?

ジュリーの母が書いたような

純粋な恋愛小説だったからだと思います。

この殺人は新作本のためじゃない。

ミステリー作家であるサラのためでしょう。

 

この部分は妄想じゃないのかな?というのは何箇所かありましたっ。もちろん今思うとなんですけどねっ。観ているときは「何かおかしい!?」ぐらいにしか思っていませんでしたけど。

まず電話のシーンです。ジュリーが出版社の社長であるお父さんと話していて、サラと変わると電話は切れています。そしてすぐに掛けなおしたはずなのに、ジュリーのお父さんは外出中で話すことはできませんでしたっ。

そして、同じく電話でサラがジュリーのお父さんに「娘が来るなんて一言も言ってなかったじゃない!!」みたいなことを怒りながら言ってましたっ。おかしいですよねっ。別荘に行く前にジュリーのお父さんはサラに「娘がいるかもしれない」と言っていたはずなのに。

「娘がいるかもしれない」ではなく

「娘がいるから(別荘に行けないかも)ね」が正しい。

つまりジョンは

イギリスにいる娘の相手をしたいから

サラの相手はできないと言っています。

 

サラに代わった途端に切れたのは

話をする気分じゃなかったか

忙しいからという理由で解決します。

上に書いたように

ジョンは他にも居留守を使っています。

 

 あと十字架を取り外したはずなのに、いつの間にか元通りになっていたりというのが何回かありましたよねっ。きっと十字架が掛かっているときは妄想のシーンなんだと思います。

十字架が掛かっている=妄想だと

サラが最初に別荘に来たときから妄想ですか?

十字架はジュリーが部屋に入った後と

フランク殺しの後の2回掛け直してありましたが

俺は十字架を掛けた理由は

ジュリーからの無言のメッセージと解釈しています。

 

十字架や鏡のシーンで

妄想と現実の区別とか考え出すと混乱しますよ?

どこからが妄想でどこからが現実か

あなたは説明できますか?

俺はラストのプールサイドを除いて

あとはほぼ現実だと説明できる。

その方が簡単で何も矛盾しない。

思わせぶりな描写が多かった映画というだけ。

だから個人的に

評価が低いのかもしれません。

 

 

……さて、

あなたはまだ「妄想派」ですか?

それとも「現実派」?

 

 

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