第6回本格ミステリ大賞候補作。

『向日葵の咲かない夏』
道尾秀介

(2005年)


夏休みくらいに読もうかと
思っていたが
ちょっと気になるので
読んでみました。

爽やかな表紙とタイトル。
なかなか良さそうじゃないですか。

 

あらすじ

小学四年生の僕ミチオ
三歳になる妹ミカ
両親と一緒に暮らしている。

夏休みの前日
欠席したクラスメイトS君
プリントと宿題を渡すように
岩村先生に頼まれ
S君の家に向かった。

最近このN町では
犬猫を殺して足の骨を折り
口に石鹸をつめられる事件が
頻発していて
その日、僕は途中の空き地で
同様の手口で殺された
猫の死体を発見してしまう。

おびえながらも
S君の家に辿り着いたが
呼び掛けても返事がない。

油蝉の鳴き声と
「きい、きい」という嫌な音。

向日葵の咲く中庭の正面に
S君がいてこちらを睨んでいた。
しかし足がついていない。
S君は首を吊って死んでいたのだ。

僕はあわてて学校に戻り
岩村先生にS君のことを報告し
家で続報を待っていると
S君の家に行った岩村先生と
警察の人がやって来て
「本当に死体を見たのか?」
と僕の話を疑う。

S君の死体はなかったという。
しかしロープの痕跡や
箪笥が動いた跡があり
何かがあったことは証明された。

そして一週間後。

S君は別の生き物に生まれ変わった。
僕、蜘蛛になったんだ

信じられないことに戸惑う僕。

見つからないように
ジャムの空き瓶にS君を入れ
一体どういうことなのか問い詰める。

「僕は岩村先生に殺されたんだ」
「僕の体を見つけてほしい」

僕はミカと一緒に情報を集める。

クヌギ林にいたお爺さん古瀬泰造
S君の事件に関わっていた。

泰造はあの日の朝
クヌギ林を走る足音と姿を見ていた。
Sの死は自殺ではなかったかもしれない。
その犯人が『性愛への審判』という
本の作者とかかわりがあるのでは
と思いを巡らせる。

学校で集会があった日
僕とミカとS君で岩村先生の家まで
尾行して先生のいない隙に
中へ侵入して
僕はそこで見てはいけないものを見て
S君と岩村先生の秘密を知ることになる。

駅に戻った僕は
古瀬泰造というお爺さんに会い
「性愛の審判 六村かおる」という
メモを受け取った。

僕たちには心強い味方がいる。
トコお婆さんだ。

トコお婆さんに相談すると
不思議な力を使って
いつもヒントを出して
もらっていた。

僕たちはメモを解読し
『性愛への審判』の作者が
岩村先生であることを
突き止めたが
警察に報告する前に先生に見つかり
「余計なことを話そうなんて
 二度と考えるな」
と忠告される。

これ以上は危険だから
もうやめようかと
あきらめていた矢先、
S君の死体が
発見されて大騒ぎになった。

S君の飼い犬ダイキチ
ビニール袋に入っていたS君を
くわえて戻ってきたらしい。

S君は半分ミイラ化していた。
口に石鹸の成分があり
あの犬猫殺しの犯人の仕業かと
世間が騒いだその夜
またも犠牲者が出る。

それは
無残にも足を折られ
口に石鹸をつめられた
トコお婆さんだった……

 

解説

本書のポイントは
「生まれ変わり」という概念にある。
死んだ人間が蜘蛛に生まれ変わって
自分を殺した犯人を主人公と一緒に
追いかける展開がまず面白い。

特に前半は
ミチオとミカとS君の
少年探偵ばりの活躍で
一度読み始めたら
止まらなくなるだろう。

しかし中盤で
ミチオがS君の瓶に
女郎蜘蛛を入れるあたりから
何かが狂いはじめる。

変態性癖の教師、
ヒステリックな母親
死体の足を折る犯人……

55ページにあるミチオのセリフ。
この世界は、どこかおかしい

本当に狂っているのは
ミチオの言うように
この世界なのかもしれない。

その兆候は冒頭からあり
読者は妙な違和感を覚えながら
読み進めることになる。

その違和感の正体がジワジワと
明らかになるにつれて
この世界の異常さに気づいて
気持ち悪くなってくるかもしれない。

人によって好き嫌いが
はっきり分かれる作品です。

 

欠点は?

  • 主人公の母親の態度にイライラさせられる。
  • 足ってそんなに簡単に折れるものだろうか?死体だからもろいのか?時間が経っていたらそうだけどス〇〇さんの件はどうも納得がいかない。
  • 岩村先生の性癖は必要だったのか?
  • 読後の後味がよくない。「アスファルトに長い影が一つ」のところはゾッとする。

 

感想

全然、爽やかじゃねえ。
でもこういうことを
思いつく発想はすごいと思う。
小説でしか表現できないトリック。

これはネタバレじゃないけど
(ある意味ネタバレか?)
俺の中では
名前を使ったトリックかと思ってた。

この物語の小学生は
カタカナで表記されていて
主人公は「ミチオ」と呼ばれているが
はたしてそれは上の名前なのか(名字)
下の名前なのか、
どちらにもとれる。

先生は「ミチオ」と呼んでいる。
普通クラスの目立った奴しか
名前で呼ばれないはず。
ミチオは目立つ存在ではなかった。

だから先生もミチオを
上の名前で呼んでいたはずだ。
つまり「ミチオ」は漢字で「道尾」
作者が「道尾秀介」だからね。

妹のミカはTシャツに「M.M」の
イニシャルがあった。
妹は「ミチオ・ミカ」なのだろうと。

とすればミチオは
「ミチオ・〇〇」となり
はたしてどこで名前がでるのか
イニシャルが「M.S」になって
ミチオ=S君?というのも
面白いなとか考えていたのだが。

ミチオの名札が出た時
すっかり作者のワナに
はまったとわかった。

ただ、この物語の
一番大きな仕掛けは
だいたい予想つくかも。
俺も途中で「やっぱりそうか」となった。
はっきり「何」かはわからないけど。
しかしこれは
きちんと伏線を張っているからだと
評価したいです。

俺はわりと好きな作品。
人によって感じ方は違うので
どんな感想を持ったか
聞いてみたくなる作品ですね。
中にはファンタジーだと
信じてる人もいて……
俺にはサ○コホ○ーでしたけど。

小学生が夏休みに
読書感想文でこれを読むのは
あまりおすすめしない。
(小学生がこの作品の本質を
きちんと理解するのは難しいと思うので)

★★★★☆ 犯人の意外性
★★☆☆☆ 犯行トリック
★★☆☆☆ 物語の面白さ
★★★★★ 伏線の巧妙さ
★★★★★ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 ◎
エッチ度 -
泣ける度 -

総合評価
 7点








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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。 






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1分でわかるネタバレ

〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
S君 ---●S君 ---自殺【首吊り:ロープ】
トコお婆さん ---●古瀬泰造 ---衝動【圧殺:地面に叩きつけた】
ダイキチ ---●ミチオ ---防御本能【刺殺:包丁】
古瀬泰造 ---●ミチオ ---憎悪【刺殺:包丁】

<結末>
S君はミチオの一言で
自殺してしまった。
死体を隠したのは泰造。
その泰造をミチオが追い詰めて
自殺に見せかけて殺す。

蜘蛛になったS君は
ミチオの妄想で、
妹ミカもトカゲで、
スミダさんは百合の花。
トコお婆さんは三毛猫。
全てはミチオの妄想の世界だった

そして火事を起こして
家族を失ったミチオは
親戚の元へ引き取られる。
 

どんでん返し

この作品のどんでん返しは
「人間」のように
描かれていた人物が
「動物や虫だった」というもの。

S君 →蜘蛛
ミカ →トカゲ
トコお婆さん →三毛猫
スミダさん →百合の花


このうち、
S君は「生まれ変わり」として
蜘蛛になって登場する。
ミカやトコお婆さんは
いかにも人間のように登場し
ミチオと会話している。

S君が蜘蛛であることを
ミカやトコお婆さんが
受け入れているので
生まれ変わりを信じてしまうのだが
実はこの
「生まれ変わり」という
設定自体が嘘
で、
そんなものは存在しない。

もちろん
ミチオが動物の言葉を
理解できるわけでもない。
すべて主人公ミチオの
妄想が作りあげたものだった。
読みながら
どこかに違和感を感じた
読者も多いと思う。



本来なら
地の文に人間のように
描いてある
のは反則だが、
この反則は
ミチオが語り手のパートだけで
泰造視点のパートでは
きちんと描き分けられている。

  • 地の文が精神異常者の語りであれば偽りであっても許容範囲ではあるが、ミチオの精神がおかしいことを見抜くのはかなり難しい。


作文に
ミカが生まれた時のこと
を書いたのも
ミスリードのひとつ。

“僕は、今年で三歳になった妹のミカが、お母さんのお腹から出てきたときのことを書いた。病院の処置室の外で、お父さんと二人して長椅子に座り、そわそわしながら待っていた、あの思い出を。岩村先生は「気持ちがよく伝わってきます」と書いてくれた。”(P.15)
  • 実はミカは流産したので生まれていない。では嘘かというとそうでもなく、これは死んだミカをお腹から取りだした時のこと。「産んだ」場面ではない。産んだとは一言も書いていない。岩村先生は「そうか……」という気持ちで優しく話を合わせている。


③ミチオがチャーハンを食べる場面で
2皿のチャーハンが出てくる。

“一階のダイニングに下りた。食卓の上に、チャーハンが二皿、ラップをかけて載せられていた。それぞれの皿に添えられたスプーンのうち、一つは、プラスチックの柄がついたやつで、トレミちゃんという、音符の形をした赤ちゃんが柄の部分にプリントされている。”(P.37)
  • チャーハンが2人分用意されているのだから、ミカが人間であると誰もが思う。このミスリードの最大のポイントはチャーハンを用意した母親もおかしくなっていること。ミチオ以外の第三者がミカの存在を認めることでミスリードの補強になっている。


妊娠中の子供を流産した母は、
人形をミカと名付けて
まるで生きているかのように
ふるまっていた

これと対になるように
ミチオはトカゲをミカと呼んでいる。

  • 食事の場面でミチオがトカゲをミカと呼ぶと“「ミカって呼ぶんじゃないよ!」”と母が激怒したがミチオからしたら人形をミカと呼んでほしくなかっただろう。


ちなみに
もごもごと口を動かしているミカ(P.39)は、
チャーハンを食べているのだと思わせて
さきほどミチオが捕まえた
小さな蠅を食べている。

ついでに言えば
製麺屋の小父さんも
ミスリードに加わっている。
彼が「ばあさん」と言って
老いた三毛猫を
トコお婆さんの生まれ変わりだと
信じていること
が原因。

  • といっても小父さんはトコお婆さんが死んでいるのを認めているし、本当に生まれ変わりだと思っているわけではない。生まれ変わりを肯定することで寂しさを紛らわせているだけだろう。


個人的に
一番やられたのは
トコお婆さんが死んだ日の
夜のニュース
だ。

また、画面が変わる。写真だ。物思いに沈んでいるような、その横顔。僕が見慣れた横顔。
――――警察では、これまでに発見されている、動物の不審死、さらに、今日発見された小学生の遺体の件との関連を調べています――――
「どうして……」
口が、勝手にそう呟いていた。
写真に写っていたのは、トコお婆さんだった。”(P.273)
  • この描写はどう見ても人間です。これが猫だとしても、事件の報道で「猫の写真」が出ることは絶対にないです。ではこれは嘘なのか?真相を知った時に、これは反則だと思ったんですが、よく考えたらこのミチオの語り自体が妄想の中のものなので、実際のニュースにはトコお婆さんの写真は写っていない。それをミチオが妄想で写真を付け足していたのでしょう。う~ん、ややこしい。

 

 

伏線解説

次にトリックを見破る伏線。

【ラテックスのようなお腹】

ミチオが妹の遺骨の一部を
机の上に持っていて
妹を回想する時に変な表現がある。

“妹の遺骨の一部を、僕はいまでも大事に持っている。当時僕が使っていた、背の高い硝子のコップに入れて、ラップをかけ、机の上に置いている。それを見るたび僕は思い出す。小さな指を並べた、あの可愛らしい手。ラテックスのつくり物のようにすべすべした、あのお腹。死に際、僕の膝の上で、全身を痙攣させながら、「忘れないでね」と言った彼女の、あの綺麗な丸い眼。”(P.6)
  • ラテックスというのはゴムみたいな素材。人間のお腹がゴム?変な表現です。死の間際に、ミチオの膝の上にいるって状況もちょっと想像しにくい。病室だとしたら膝の上というのはおかしい。事故で亡くなる直前なのか?周りに他の人はいないのか?
  • このことからミカが「人間ではなさそう」なことは誰もが疑問に思ったはず。それを打ち消したのが先程上げた人形をミカと呼ぶ母親のミスリードでしょう。

 

【ミチオが描いたトカゲ】
ミチオがトカゲの絵を描く。

“「おい、いいのかよ、机に落書きなんかして」
隣の席のハチオカが、頭を低くして言った。
「何だそれ――――ワニ?」
「何だっていいだろ」
「ああ、トカゲか」
トカゲじゃない!
僕は思わず高い声を上げた。”(P.9)
  • こんなに冒頭にしっかりヒントが出ているとは。ミチオはミカを想いながら落書きしていた。

 

【ミカのしっかりした口調】
ミカの3歳とは思えない
しっかりした会話の対応
もヒント。

【スミダさんはいつも誰かと一緒】

スミダさんは「百合の花」
そのため自力では移動できない。
スミダさんが移動する時は
必ず誰かに連れて行かれている。
(P.157)(P.161) 


【スミダさんの正体】
図書館のミチオ視点と
泰造視点の違い

スミダさんの正体を
見破る手掛かりがある。

ミチオ視点。

“夏休み中なので、児童書のコーナーと閲覧スペースが親子連れで混み合っていた。閲覧用テーブルの横を過ぎるとき、僕はふと足を止めて、そちらに眼をやった。小学生が、がやがやと集まっているその中にスミダさんの姿を見た気がしたからだ。”(P.240)


泰造視点。

“館内は意外と混み合っていた。学校が夏休みの最中だからだろう。並んだ閲覧用テーブルのそれぞれに、白い百合の花が飾られていて、子供たちがそれを珍しそうに眺めている。”(P.133)
  • 子供たちに囲まれるスミダさんは想像できないが、花だったらわかる。泰造視点の方が先なのが上手い。ここで「百合の花」が出ても全く気づかない。

 

 

ラストの考察

ミチオが火事に巻き込まれた後、
エピローグで家族が会話している。
最後に家族が和解して
終わっているようにも思えるが、
真相は
ミチオ一人が生き残り。 

 

“太陽は僕たちの真後ろに回り、アスファルトには長い影が一つ、伸びていた。”(P.462)


つまり
人間として残ったのが
ミチオ一人だということ。

おそらく、
父は「カメ」に
母は「カマキリ」に
生まれ変わらされたのでしょう。

ミチオはこの世界を終わらせたかった。
そのために花火に火をつけて
家を放火した。
死ぬつもりだったのは間違いない。

しかし最後に両親が
自分たちの身を犠牲にして
ミチオ(とミカ)だけを
外に逃がした。

あるまとめ記事に、
“火事場面での「お父さんとお母さん、2人で逃げて」=死んで。「僕はここに残るから」=生きる。という意味だと理解できます。
P457、「僕は『早く行って』と言いながら、一歩後ろに下がった」
早く行って=あの世に行って、後ろに下がった=外に近づいた。”

―――と、
あたかもミチオが
作為的に両親を殺したように
考察してありますが、
それは違うかなと思う。

火事のあとでも、
ミチオの妄想が続いていることを
根拠にしていますが、
冒頭では現実を受け入れて
過去を回想しています。
妄想が続いているなら
成長したミカが

出てこないとおかしい。

作者本人がTwitterで
この記事に言及していますが、
「ほお」と思ったのは
その考えが無かったからでしょう。
 

引用したから
これが正解というわけではない。
Twitterでエゴサするのが
好きな作家さんなので
たまたま引っ掛かったというだけです。

“熱くなった瓶を胸に抱えて、僕は妹の名前を呼んだ。部屋全体が、ゆっくりと左向きに回転した。身体の右側に、大きな衝撃を感じた。全身の感覚が、だんだんと消えていくのがわかった。それでも僕は、眼だけは閉じたくなかった。歪んで、ぼやけた視界の中で、お父さんとお母さんが、僕の方に両手を差し出すのが見えた。お母さんの口は、そのときたしかに、僕の名前を呼んでいた。三年振りのことだな、と、最後に思った。”(P.458)


ここの「部屋全体が
ゆっくり左向きに回転」のところで
ミチオが窓から落下
していることを意味しています。

その後、
右側に衝撃、
つまり地面に着いたのですが、
これを自分で逃げたとするのは早計。
ミチオ自身のアクションは
この前後に何も
書かれていないからです。

外に落ちたミチオが
目を閉じる前に
両親の姿が見えたなら
それは両親が
窓際にいたことを意味します。
ではなぜそこから
自分たちも飛び下りなかったのでしょう?
助かるチャンスを
なぜ無駄にしてしまったのか?
ここをよく考えないといけない。

父親がミチオを外に投げ落とした
書いてありますし(P.460)、
これは両親が身を呈して
ミチオを助けたと考える方が正しいと思う。
その後の
「両手を差し出した」のは、
助けを求めるためじゃなく、
一人で生きてという
メッセージだったと俺は思う。

あるいは、
右側に衝撃を感じたのが
部屋の中で転倒したからで、
「両手を差し出した」のは
母親が「両手を差し出して」窓を開けて
父親が「両手を差し出して」
ミチオを投げ落した描写だとすれば
状況ともピタリ一致します。
(こちらの方が可能性が高い)

どちらにしても
それまでの会話や
逃げる描写の無い事からも
ミチオが両親を殺して
生き残りたかったとは
とても考えられません。

「物語を終わらせたい」なら
両親を殺すより
自分を殺す方が確実でしょ?
……というのが俺の考察です。

100人いたら100通りの解釈で
読書を楽しんでほしいのが
作者の狙いなので、
結局は「好きに解釈してください」
ということが正解でしょうね。

 

 

タイトルの意味は?

『向日葵の咲かない夏』
というタイトル。

咲くことのできなかった向日葵は
ミチオの「自分だけの閉じた世界」を
表現しているものと思われます。

この世界で
生きていくことが幸せなのか
不幸なのかはわからない。
アブラムシにつかれて
咲くこともできなかった花は
存在する価値があるのだろうか?
ミチオが生きていく価値は
あるのだろうか?
咲かない向日葵を通して
ミチオ自身の心の葛藤を
表現しているのかもしれません。

冒頭で過去を回想しているミチオは
“「彼女を思い出したりしたら、
きっとまた自分が壊れてしまうと、
わかっているから。”
と言っている。

「また」ということは、
今は壊れていない。
ミチオは妄想することを
止めたということです。

あの「向日葵の咲かない夏」の出来事が
ミチオの屈折した精神の
改善のきっかけになったのなら
もう大丈夫でしょう。
そう思うと
この暗い物語にも
一筋の光が見えた気がする。

 

 

 

 

生まれ変わりは「あった」のか?

ミステリ評論家の佳多山大地氏が
「謎解き名作ミステリ講座」の中で
この作品の「生まれ変わり」が
実は本当にあったのではないか?という
面白い指摘があった。

その根拠に、
①ミチオはS君と岩村先生の関係を
知らなかったはずなのに
蜘蛛になったS君に
岩村先生があやしいと言わせるのは
都合良すぎること。

②トコお婆さんの言葉が
ミチオの想像なら
「臭い」のことや
「英語の名前の変換」が重要だと
どうしてわかったのか?

③なぜトカゲのミカが
岩村先生に駅名を訊かれて
困窮する兄に
M大前という駅名を
教えることができたのか?

P.106には
ミカがミチオに
「母がランドセルの中を
勝手にのぞいていたこと」を
教えてくれる。
ミチオの妄想とも言えるし、
生まれ変わったミカの指摘とも
受け取れる。

確かに……
ミチオが知らないことを
妄想で答えたら
偶然合っていたと考えるには
苦しい部分もある。

でもやっぱり、
生まれ変わり説はないかなぁ。

そもそもミチオの視点は
妄想だらけなので、
最悪なことを言うと
岩村の性癖やビデオの件や
六村かおるの本自体も
すべて妄想で
実は存在しなかったものを

 

 

自分で都合よくまとめたという
乱暴な解釈もできる。

そうなると
長々と何を読まされたんだって
怒りたくなってしまうが……

しかし多少は
ミチオに都合の良い偶然を
ある程度自分でコントロールして
妄想したものと考えたほうが
よさそうですね。

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※初読:2014.6.27
※再読:2016.5.28