命の絆をツナグ会のブログ

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我が子が亡くなり9年たちました。今いじめをしている子供達に何かを感じてもらいたいと思いブログを立ち上げました 。教育現場にいる人へのメッセージです。教員がかわればきっと学校も変わります。学校が変わればきっと現場も変われると思います。


優しい子供でした。中学1年10月にいじめにあっていると告白されました。いじめられている。泣きながら。もっと早く行動していたら。今と違っていたかな。もう今生きていれば20歳。でもあたしの中では、14歳のまま。いじめを訴えた息子。話し合いをして、終わったかのようにみえた。だがいじめは、続いていた。何度も話し合いをした。息子が行きたいと言っていた学校へあたしは通わせたかった。いじめは確かにあった。教室の中での、無視、シカト、仲間はずれ。悪口。携帯にあった、息子と関わるなと言ったあの加害者。無視しろと命令。携帯に確かにあった。あたしは目撃したのだから。いじめがなかったなら、どうして、息子は登校できなかったのか?把握していたはず。学校に、あれほど行きたいと訴えていた。時間は経った。2年になって何度か行った保健室登校。初めて打ち明けられた、おれ、2年の体育祭に出たかったな。運動好きだったから。それから、学校に行ってみようと約束をした。2日後に。その2日前に息子は逝ってしまった。
学校とのやりとり、すべてを話し合いをした。最初はいじめはあったかのような話し合い名前はわかっている。その頃に行われたアンケート。それは学校はストレスチェックだと言い張り開示しなかった。県教委にも行った。加害者の名前も当然しっていた。ウチの子の死はなんて報告されてるのか、聞いたら病死に文部科学省には報告されていた。自死ではなかった。明らかに隠蔽され、寄り添うように見せかけていた、校長は異動。教師も保身守りにはいった。あの時あたし達が聞いた話し。生きている子供を守りたいと言ったあの養護教諭は、嘘をついた。月日が流れ事実は隠蔽され、裁判をおこすことにした。お金のためではない。息子の人権を守るために。裁判中には、全然関係のないものまでが証拠書類にあがっていた。ここまでするか?
信用していたのに。負けて初めてわかった。権力という存在。権力にまけた。この5年間。苦しかった。お母さんは病気にもなりやっと生きています。こんなあたしですが、やり残したことは、たくさんあります。2度といじめで人の命がなくなることに心痛めてます。どうぞ生きてください。