修学院にある修学院離宮です。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
 

江戸時代初期、後水尾上皇が明暦元年(1655年)から4年をかけて完成させた離宮・修学院離宮。当時は上御茶屋と下御茶屋からなっていました。上御茶屋は浴龍池を中心とする池泉回遊式庭園。

明治17年、下御茶屋とともに宮内省の管轄となります。明治18年、林丘寺の寺地の半分が返されて中御茶屋と称しました。

現在、修学院離宮は宮内庁の管轄であり、拝観には事前申し込み要です。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

上御茶屋の御幸門。

 

古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

浴龍池のほとりの高台に建つ隣雲亭へ続く道。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

隣雲亭。

現在のものは、文政7年(1824年)の再建。

浴龍池を掘った際の土を盛った高台の上にあります。

隣雲亭の場所は海抜149メートルあります。京都の土地は北へ行くほど高くなっており、京都駅前に建つ京都タワーと同じ海抜だそうです。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
 

隣雲亭の内部。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

隣雲亭から見た浴龍池。

浴龍池の名は、池の中に中島、万松塢、三保ヶ島の3つの島が浮かぶ様が龍に似ていることからの命名。池の中央に見えているのが万松塢。向かって右手に中島、更に右に三保ヶ島があります。後水尾上皇はこの池で舟遊びをしたそうです。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

万松塢。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

万松塢の背後に御茶屋山。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

千歳橋。

中島と万松塢を結ぶ中国風の橋。

19世紀に京都所司代が寄進したもの。

古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
 

中島。

上に窮邃亭が建ちます。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋
 

窮邃亭の内部。

後水尾上皇の時代の建造物。

現在は閉じられていますが、正面の戸は開くようになっており、かつては後水尾上皇がここから浴龍池を眺めたとのこと。

 

古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

三保ヶ島。


古都の礎-修学院離宮 上御茶屋

 

御船着場。

浴龍池は谷川を堰き止めて造られた水深0.5~1メートルの大変浅い人造池で、近くに寄ると池底が見えます。

 

 

 

修学院離宮;京都市左京区修学院藪添1-3