与次郎稲荷の伝説 | 大和女の怪談話

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今回は、前回の記事で書かせていただいた与次郎稲荷神社のお狐さんの伝説を紹介します。

秋田駅を降り、歩いて行ける距離に千秋公園があります。
この公園は城跡を整備した公園です。
千秋公園の入り口付近に、このような石像がありました。

与次郎という名の古くからこの地に住み着いていた狐をモデルにしたゆるキャラです。

この狐さん、とにかく足が速いことで有名なのだそうで。
飛脚をはじめとした足軽衆から高い人気がありました。
今ではスポーツに打ち込むアスリートの方々から崇敬があるようです。


『与次郎稲荷の伝説』

慶長9年の8月、秋田藩の初代藩主・佐竹義宣公が水戸から秋田へ入国しました。
しかし入国してからというもの、公は夜な夜な悪夢にうなされ眠れぬ日々を送っていたそうです。
弓を弾いて厄払いを行うも効き目はなく困り果てていると、ある日庭に一匹の大きな老弧が現れ、こう言いました。
「私は300年に渡りここに住み着いている者です。ここに城が建てられてからというもの、居場所がなくなり困っております。どうか私に居場所をお与えください。
もし私の頼みを聞いてくださったなら、この地を守護し、さらに殿様のお役に立ちましょう。」
義宣公は、この老狐を哀れに思いながらもこのように返しました。
「お役にたつとは?」
「はい。私は足の速さに自信があります。殿様が急用の際には私が飛脚となって江戸まで6日間で往復し、任務を完遂してまいります。」
すると義宣公はおおいに喜び、こう言いました。
「では、北城の茶園に住むがよい。お前に与次郎という名を与えよう。」
こうして与次郎は住む場を与えられ、義宣公に仕えることとなったのです。

義宣公は江戸へたびたび飛脚を送らなければなりませんでした。
そのような時、義宣公は庭の前に立って与次郎を呼びました。
すると、どこからともなく旅装束に佐竹家の紋入りはんてんを羽織った飛脚がやってきて、風のような早さで江戸へ向かい、必ず6日目には戻ってきたのでした。それが6年も続いたといいます。
義宣公は、この与次郎狐をことのほか寵愛されました。


この頃、山形県に飛脚宿がありました。
そこの宿主は、最近めっきり佐竹家の飛脚が宿に泊まらなくなったことを不思議に思い、周囲に聞き込みを行いました。
すると佐竹家の飛脚は、まるで風のようにものすごい早さで過ぎていく。あれは人間技ではない、狐に違いない。という話を聴きました。
よし、そいつを捕えてやろう。
宿主は狐が好きな油揚げを罠にしかけ、与次郎が来るのを待ちました。
与次郎は、油揚げの臭いで自分を罠にかけようとしている人物がいることに気付きました。しかし今ここで逃れたとしても、正体がばれた以上無事ではいられまい。与次郎は、義宣公の書状が入った箱を人に見られないよう木の上に隠し、自ら罠にかかりました。
宿主は、罠にかかった与次郎を網ごと暴行し、なんと殴り殺してしまいました。
与次郎は死んでしまいましたが、さすが神通力を持つ老狐、最後の力を振り絞り、身体から抜け出して白虎姿の霊となり、ものすごい早さで木から書状箱を取って江戸へ向かって飛んでいきました。そして書状を無事に江戸へ届けたのでした。


宿主は、人間から狐の姿となった与次郎の亡がらを料理して食べてしまったといいます。
もちろん、そのようなことをして無事でいられるわけがありません。
この宿主はこの後狂い、阿鼻叫喚をあげて悶死したと伝えられています。
その死に様は目もあてられぬほど酷なものだったそうです。
しかもこの宿主だけではなく、この宿のあった村の村人が次々発狂し、自ら顔を傷つけ、壊して死んでいったそうです。
その死者なんと17人。
これは、間違いなく与次郎の祟りであると皆口々にささやきました。
そして村の状況は江戸の将軍家の耳にまで届きました。
やがて将軍家の計らいでお社を建て、与次郎の霊を祀ることになりました。
そして村もようやく静かになったそうです。

今、この与次郎狐の霊が祀られている場所が、千秋公園の与次郎稲荷神社ということです。





この与次郎狐さんの祟りはすさまじいものがあります。
俗説ですが、上位の霊の祟りは首から上に障りが出るといわれています。
かなり徳の高い魂を持ったお狐さんだったのでしょうね…。
お狐さんといえば、宇迦之御魂神に仕える眷属として祀られているお稲荷さんが思い浮かびます。
ところが与次郎稲荷さんは、眷属としてではなくその霊自体が祀られている全国的にも珍しいお稲荷さんです。

殺されても忠義をつくす与次郎狐さん、霊となっても立派にお役目を果たされております。
今日も土地一帯を視えない力で守っていることでしょう…。