篠原美也子文庫

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第七夜

1994/05/04-1994/06/01



【真夜中の青春小説】
【たったひとつの朝を待つ幾つもの夜】

【1】
<記:篠原美也子>
1994/05/04



何から書けばいいんだろう?


何を書いても、



「何故?」と問い返されそうで、


正直僕は、ひどく考え込んでいる。


始まったばかりの予備校生活は、


ひとまず順調。


積極的に友達を作る雰囲気ではないにせよ、


帰り道、ファーストフードのコーヒーを片手に


あれこれ話をする程度の友達はできた。


今年滑った大学にも


「一浪すれば確実」


と言われている。



「何かあったのか?」



と聞かれれば、



「なにもなかった、」



と答えるしかないだろう。



けれど、気持ちを痛めるものが必ずしも


大きな傷口とは限らない。


はやりのドラマみたいに、


派手に傷つくことができれば、


大声で泣いたり、


誰かに助けを求めたっていい。


辛いのは、人に話すほどじゃない、


まして、涙なんか流すのは、


恥ずかしい、かすり傷だからだ。


僕は逃げようとしているんだろうか?


戦おうとしているのだろうか?


負けなんだろうか?


それとも勝とうとしているのだろうか?



「死んでしまいたい」



ということは、


一体どちらなんだろうか?



【2】
<記:カッチョマブー>
1994/05/11


「死」


というものに


「夜」



というイメージを持つようになったのは、



いつの頃からだっただろうか。


「死」というものを知って間もない頃、



それは眠りの延長のようなものだと何となく思っていた。



眠りはまず視覚から失い、



その後、聴覚や、


その他の感覚と共に意識が薄れていき、


やがて深い闇の中に滑り落ちるように消えていく。


そして、気がつけば「朝」というものであり、



「死」はその眠りから、



「朝」を取ったものである。



こう考えていたのだ。


このころから



「死」=「夜」



というイメージが


頭の底にこびりついたのだろう。


それから今までに、死んだほうがましだ、


と思うことが何度かあった。


もう、これ以上悪いことはあるまい。


そんなとき「死」はたまらなく甘く、


誘惑に満ちたものに思えるのだ。


そして今、その甘い誘惑に


翻弄されそうになっているのも事実だった。


ただ、


「何故?」


と聞かれても、


本当に解らないのだ。



理由があったとしても、


それはきっとほんの些細なことなのである。


【3】
<記:モリケンタロウ>
1994/05/18


僕の「いのち」とは一体、


何なのだろうか?


18年間の僕の人生を振り返ってみる。


その中には、過去の僕がやった様々な出来事が


「記憶」としてある。


そして、これからも僕はもっと多くの出来事を、



「記憶」として積み重ねていって、



その積み重ねの集大成こそが、


僕の「いのち」そのものなのだろう。


だけど、それの完成と同じくして、


僕は「死」というものを迎える。


だから、僕の命すべてを振り返ることは誰にも、


僕自身でさえ、出来はしないのだ。


それなら、僕の「いのち」なんて



何の意味もなさないものなのだろうか?



そんなもののために僕は、


今までも、これからも、


幾つもの夜を数えていかなければ


ならないのだろうか。


「朝」が決して訪れないことを解っていながら。


死ぬということは、


この行為に自ら幕を引く儀式に思える。


そして、その時、


その言葉は何かしら厳粛で、


魅力ある響きを放つのだ。


今僕は、訳もなくその魅力に惹かれているようだ。


少なくとも、


今それを否定する理由なんて、


今の僕の心にはないのだから。


【4】
<記:ワライトトモニアラワレルオトコ>
1994/05/25



僕は朝を待つ。


「死」とは本当に闇なのだろうか?


「朝」は本当に生の証なのだろうか?


「死」は生きている僕の無い物ねだりなのだろうか?


僕は


生きたいのだろうか?


死にたいのだろうか?


僕は


生きる為に生きているのだろうか?


死ぬ為に生きているのだろうか?


「生命」とは


活動する肉体なのだろうか?


それとも


「記憶」という色が無ければ、


全くの空白であるこの、


精神なのだろうか?


「生」とは、


この世界から形を持った


「固体」として存在することなのだろうか?


「死」とはこの世界から形を無くし


世界に溶け込むことなのだろうか?


それとも、完全なる発生、


完全なる消滅なのだろうか?


生物は何故、


意味も無く存在し続けるのだろうか?


それとも何か重大な意味があるのだろうか?


「死」は「無」なのだろうか?


「死」が「無」であるなら何故、


「死」は存在しているのだろうか?


世界には「有(ゆう)」のみが在る。


それだけなのだろうか?


世界にはいずれ「朝」が来る。


しかし、僕にはまだ、


夜明けは来ない。


僕に「朝」が来た時、


果たして、僕は在るのだろうか?


【5】
<記:ヒデサンアラタメタカシタケンイチロウ>
1994/06/01



幾つもの夜が過ぎ、


幾つもの朝が訪れ、


月日は流れていった。


僕は二十歳になった。


今、この年齢なりに


いろいろ考えてみると、


人は大人になるとき、


ピュアな心を失う。


たとえ、その心を持ち続けたいと願っても、


それが叶わないことを


人は無意識のうちに知っているから、


それに抵抗する手段として


理由のない「死」への憧れを抱くのだろう。


死ぬことに憧れる気持ちは、


子供の頃にかかる「麻疹(ハシカ)」のように、


誰の身にも訪れる。


そして、その思いが去ったとき、


人は大人になるのだ。


たった一つの朝を待つ幾つもの夜が終わりを告げたとき、


僕は理由の無い「死」への憧れが、


心から過ぎ去っているのを感じた。


そして、もう二度とあの頃の自分には、


戻れないということを実感した。


たとえ、


人の命が


朝には生えいでて


栄え、


ゆうべには刈られて


枯れる青草の様であっても、


春には花を咲かせ、


夏にはしぼむ花の様であっても、


「記憶」の中でしか存在しないあの頃のことを、


僕は生涯忘れることはないだろう。



[完]




採用+最終選考

1994/05/04
【1】<篠原美也子>


1994/05/11
【2】<記:カッチョマブー>
:ナナミヤキヨカズ
:トニーJ with ヒダカサヤ
:オオマラマスジロウ
:ワタルヘンドリックス
:オガワゲンノジョウ
:ウンコッコ
:ケムヤマユミ


1994/05/18
【3】<記:モリケンタロウ>
:オガワゲンノジョウ
:コニシヒロユキトコニタン
:ヒデサン
:マゴコロ
:エリーハネール’94
:カッチョマブー
:ワタルヘンドリックス


1994/05/25
【4】<記:ワライトトモニアラワレルオトコ>
:トレジャーハンター
:ムカイカゼ
:デジャラスK
:カッチョマブー
:オガワゲンノジョウ
:コマドリ21
:ボウグンマーソン
:ヒデサン
:ワタルヘンドリックス
:トニーJ with ヒダカサヤ
:ナナミヤキヨカズ
:ケムヤマユミ


1994/06/01
【5】<記:ヒデサンアラタメタカシタケンイチロウ>
:オカノタク
:スズメ
:オガワゲンノジョウ
:ワタルヘンドリックス
:アサノシンサク
:ミナミサキケン(タケシ?)
:トニーJ
:デンジャラスK
:コマドリ21サイ
:ジャニスノオマメ
:ボツラクキゾクフッコクチュウ
:オイカケテネコハマ



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