腰痛女の私、開院と同時にすっかり馴染みになった整骨院のドアを開ける。
土曜日よりも回復した私の顔を見て、整骨院の先生たちに安堵が浮かんでいる。
それではこちらにどうぞと促されてベッドにうつ伏せにされ、身体にペタペタと吸盤をつけられてピリピリ電気を流される。
いつもならまどろむけれど、向こうとなりにお耳の遠くなったばぁばがいらして、法事で座りっ放しが良くなかったのよと施術を受けていた。
御年お幾つなのだろう。
法事の話しから昭和23年第二次世界大戦後の自身の半生を語っている。
その年から翌昭和24年と25年のはじめまでに親族を6人失ったと話している。
最初は祖父、それから母と続いて次は夫の・・・、だから法事もいっぺんに行われて大変だわと話している。
お耳が遠いだけ、彼女の話しもそれに答える整骨院の先生の声も丸き声だ。
そして引っ越しの話しとともに、このばぁばのお父上の話しに変わった。
「あたくしの父が東京のど真ん中で本屋なんかを営んでおりましたから、ずっと目黒でもって住まいを構えておりました。」
本屋ですか~?という先生の相づちに、
「そうなんです、京橋というところに店がありましてねぇ。今は文教堂ってございますでしょう。
 そちらを作ったひとりが父でございました。」

$エッセイスト料理家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』-河豚と茄子の梅味噌うどん

「戦後の混乱期でしてねぇ。」とばぁばは話しながら、当時を懐かしみその夏も暑かったけれど、
最近のような暑さでなかったと情緒を忍ばせていた。
「おうどんをよくいただきましたねぇ。」
東京は蕎麦じゃないのですか?という先生に、
「当時はうどん粉で打ったものですよ。扇風機の風に当たりながら作るのも一苦労でしたわね。」
施術を終えて、そうっとお迎えの車を待つ姿は、洋服にも顔にも手にも、
歴史を刻み付けたようにシワが何本も走り、笑うといっそう蛇腹が閉じるように細くなった。

だけど、歴史を持つ人は凛々しい。
オマージュを込めて。