今日のホットヨガは6年前の私に戻った気分だった。
6年前、初めてホットヨガのクラスに出たときは、苦しくて暑くて筋肉が震えに震えて頭を真っ白にさせて、
インストラクターについて行くのが精一杯だった私。
それなのにひどく新鮮で、自分の中の何かを刺激され、パチンとスイッチを入れらたのだった。
6年続けてきたとはいえ、ヨガをする、ということを教える立場にいない私が語ることなかれかもしれないけれど、
ヨガ歴5年を過ぎた頃から手応えを感じ、出来なかったポーズがとれるようになって歓びと同時にひとつの慣れをもたらす。
この慣れはやっかいで、飽きるという魔物を生む。
この魔物に取り憑かれると、ひどく後悔して自分を萎縮させてしまう。
浸食を防ぐには変化しかなかった。
自分の気持ちとシーソーゲームが始まっていた。
そんな時のインストラクターが思い切っていた今日のホットヨガは、今までのことを自ら棄てれば、
自らも棄てられるという痛みを伴うことにはばからず、変化そのものだった。
果敢に挑むその思い切りは、私を解放してさらなるヨガの中へ誘ってくれた。
改めてヨガの佇んだままその世界へ入る境地の感覚は何事も代え難いという感覚が、今日また新たに私の中に芽生えたのだった。

$エッセイスト料理家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』-ペンネ

ヨガは自分の人生と経験値が全て反映されると思う。
そこに取るポーズは、肉体的に得意で美しいけれど未熟な人生のポーズはマネキンに見えたり、
肉体的にはゆがみ太りたるんでいても、そのポーズから伺い知る経験値の素晴らしさに心を打たれたりする。
何も語らずとも、その佇まいで品性も品格も麗しさもすべて晒してしまうと感じて、怖さも同時に感じている。
そんな話しをじっくりとしたいと思った。
だから彼女を招こう、私のテーブルへ。
そして次のステップへ進もう。