どやがお【どや顔】とは。
《「どや」は「どうだ」の意の関西方言》
得意顔の こと。
自らの功を誇り「どうだ」と自慢している顔。
(どやがお【どや顔】の意味 - 国語辞書 - goo辞書引用)

私にとっては、愛しい相手にされれば愛おしさがつのる表情だ。
どや顔は人間だけじゃなくウチの猫だってするし、その表情の可愛らしさといったら見てるこっちがむぎゅーーっとしたくなるほどだ。
こうやって一方では愛おしさつのる萌える表情も、する相手が違うと途端にごめんあさーせとなる、私の感情と反応は勝手極まりない。
そんな相手には、とことんサディズム化していく私は腹黒くていじわるだ。


エッセイスト料理家ROMAKOの『好きな人と好きなモノを好きな時に好きなだけ食べる』-ワインセラーにうつるわたし

その筆頭で一番の手法は無視すること。
無視とは話しかけられても知らんぷりをするというあからさまなものではなくて、むしろその反対だ。
自分がされたら一番傷つくとわかっているのに、そうやって相手を忘れていく。
せっかく面になった付き合いを点に戻して行く作業だ。

先日、私の妹分のような存在の彼女が、とても素直に真っすぐに自分の心を綴っていた。
人がネガティブなシーンで感じたことや思ったことを綴ると、一番傷ついた本人のエネルギーが大き過ぎるが故に反発をもたれたり、
過剰な反応が返って来たりすることを予想して躊躇してもいいのに、そんなことにへこたれる様子もなく、
てにをは句読点小気味良くぽぽぽーんと綴ることで、気持ちの整理をつけようとしていたのを読んで、
私はその実直さをうらやましく思い、自分が同じ様な場面に遭遇したら真似をしてみようと思った。
そうしてそのことを思い出して、今日は私が綴っている。

私から勝手に付き合いを点に戻されて行くその人だって、毎日賢明に過ごされているのは知っている。
だけど、どうしてもその素直じゃない、いちいちな反応に私は疲れてしまった。
競い合うことも、自分の優位性を立たせることも、自分を押し進めることも、その交戦的な歩みも、
私にとってはちょっとキツくなって、言えないではなくて言わないことが随分増えた。
それと同時に聞かないことも増えた。
子どもじみた考えと感じ方だと思われてもいい、聞くなというオーラではなくて、聞いたら言うけど?というドヤ顔に、
私が付き合いきれず疲れていることに気付いてしまった。
いつも壊される雰囲気に参ってしまったのだった。
人の振り見て我が振り直せと言った先人の知恵を、私仕様に解釈する。
素直じゃない人からは、その大事さを学び尽くすことで礼節を。
学ばせてくれてありがとうと思っていれば、その人を忘れることに罪を感じなくて済みそうだし。
おわり。