その昔、今は亡き大原麗子さんがサントリーのCMで、どこかに小女性を残したまま「少し愛して、長く愛して。」とおおきな瞳に涙を溜めていた。
まだ小さかった私もひどくその世界観に魅了されて、大人になったら絶対こんな女性になるのだと誓った。
真っすぐに誰かを愛し、真っすぐにそれを伝え、真っすぐに表現する。
かわいい・・・。
私が男だったら絶対離すもんかぁぁぁぁぁぁと抱きしめる、と言ったら、周りの大人たちの苦笑をかった。
大人が創るこの世界観は、大人のかなり手に入れられない世界だと今は知っている。
小女性も少年性も、勝手に残ってくれない。
その大切さがわかる人のところだけに残ってくれる。

それとは反対に、辛い(からい)人生にぽつんと灯る、ほっこりとした心通う見逃しそうなエピソードに、
心をえぐられるほど自分を重ねしまうこともある。


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ひと皿を食す時間で話し終えてしまうエピソードは、深意だ。
どんなに長い時間をかけて作るレシピだって、そのひと皿を食す時間は短い。
ふと気付くのだ。
食す時間の短さと、レシピはほぼ影響されないことに。
そしてわかるのだ。
食す時間で語られるエピソードの大きさと深さに。
そして知るのだ。
食す時間を紡ぐことで、灯りを灯らせて点るのだと。

生きる人に平等に与えられている深夜という時間、だけど、集える食堂を持つ人は少ない。
集える食堂にはなれなくとも灯らせることをしたい、と思う。