「彼」の苦悩【69】『智香の話②』 | 彼と彼女と僕のいた部屋

「彼」の苦悩【69】『智香の話②』

「私が居候いそうろうしていたのは、中学から同級生のコだったの。同い年ね。私、中学、高校とハンドボールをやっててね。同じハンドボール部で一番仲のいいコのマンションが私の居候先だったの」
 友喜はマグカップの取っ手をなでる智香の右手を眺めた。
「そのひとは大学へ行ってるのか?」
 智香は首を左右に振った。
「ううん、行ってない。高校を卒業したあと就職したの。それで一人暮らしをはじめたの」
「高卒で就職か。頭が下がるな」
「そのコ、私と同程度の学力があったのに、なぜか大学へ行かなかったの」
 友喜は腕を組んだ。天井を見上げたあと、智香に視線を戻した。確認するようにゆっくりと口を開く。
「『行かなかった』じゃなくて、『行けなかった』のほうが正しいんじゃないか?」
 智香が両眼を開いた。
「え?」
「智香と同じくらいの学力はあった。けど、進学はしなかった。それって、金の問題じゃないのか?」
「お金?」
「つまりはさ、実家の経済的状況が良くないってことだ。高校と違って、大学の学費って高いだろう? ま、俺も親に学費だけは出してもらってるから偉そうなことは言えんが」
「……」
 智香は黙りこくってしまった。
 おそらく智香の頭には同級生の女の子の「実家の経済的状況」という言葉がなかったのだろう。
 智香は沈黙したまま、マグカップを手にした。マグカップを見ないまま、コーヒーを一口飲んだ。
 智香がマグカップを机の上に置いた。
「私、やっちゃんの実家のことなんて考えたことなかった。やっちゃんが大学よりも仕事を選んだのも、やっちゃんの意志だと思ってた」
 智香の目は泳いでいた。動揺しているようだ。
 友喜はめはじめ、湯気が出なくなってしまったコーヒーの入ったマグカップを見下ろした。
(智香の居候先の親友は『やっちゃん』というのか。しかし、智香も結構恵まれた環境で育ったんだな。親が裕福だったんだろう。あるいは、親友だからこそ相手の経済的事情をわからなかった、とも言えるな)
 このとき、友喜は自分の父親の顔を思い浮かべていた。友喜の家も友喜を大学に上げることができるほどの余裕があったのだ。
 友喜は智香の話を聞きながら、自身の生まれた環境をかえりみていた。