カイロプラクティックについてのブログ

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カイロプラクティックについて、様々な事を語るブログです。

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二つの技術の元となったものが
同じものであるということは、
あまり考えられないというか、
多くの人はそれほど重要視しないのですが、
しかし、こうしたものを見ていくことで、
整体とカイロプラクティックの
共通するものが見られ、それによってお互いの
技術においても深い交流が生まれる
ということもあるかもしれません。

少なくとも、個人的には、
そのどちらかの技術を取得しているとするなら、
同じような出自をもつものには、興味が出てきて、
どのようなものか知ってみたいと言う気もしますね。

誰でも、こういうことは起きると思うんですが、
整体の関係者にしろ、カイロプラクティックの
関係者にしろ、やはり、お互いの
技術に関しては、かなり興味あるところであるのは
間違いないかもしれません。

実際に、整体院の看板に、カイロプラクティックを
掲げる人もいるので、
その技術においては、
かなり似たものが見られるというのは間違いないですね。

マッサージなどでも、
同じようなマッサージであっても、
やり方がほんの少し違うだけで、
違う名前のついたマッサージ方法になっていることがありますが、
まさにこうしたことと同じことであるのかもしれません。
しかし、技術はほとんど同じという事で、これは気になる所です。
整体もカイロプラクティックも
同じような技術体系ですが、
やはり、どこかしら似た所があるということで、
その共通点が見られます。

やはり、こういう事があると、ほとんどの場合は、
同じものが元となって作られているのですが、
整体とカイロプラクティックについても
それが見られるようです。

まったく異なる所で作られたのにもかかわらず、
非常に似た技術ということで、
こうしたものは、やはり、同じものが
元となっているというのは間違いないような
気がします。

これもはっきりとわかっていることではないのですが、
しかし、どうもそう言う事が言えるようです。

なので、どちらも古代から伝わっている
技術がそれぞれ形を変えて現代によみがえった
という事のような気がするのですが、
しかし、まったく異なる所で同じような技術が
生まれると言う事もあるので、
これについては、本当にどのようなことが
元となっているのかというのはわからないですね。

個人的には、やはり、その出自は同じものがあるというような感じもしますが、
しかし、こればかりはそれ以上の解明が出来ないので、
どうにもわからないようです。
今後もそれはわからないままかと思いますが、
しかし、古代にあった技術が
その元になっていることは十分に考えられますね。
そして、この中東と言うと、まずなによりも
出てくるのがエジプトですね。

古代から大きく文明があった
エジプトですが、やはり、その後、
文明が滅んだと言っても。
周辺のくにに与えた影響は大きくて、
文化的な面から宗教的な面まで含めて、
様々なものがあったことがわかっています。

ここで出てくるのがマニュピレーションで、
これがいつしかシルクロードを通って
アジアに方に伝わっていって、
それが日本に伝わり、武術と一緒に発展していったの
かもしれません。

あくまで仮説ですが、しかし、古代の日本を見ていくと、
どうしても中東とつながる所が
多く出てきてしまい、
カイロプラクティックの元となった
マニュピレーションの影響が
よく確認できるような気がします。

背骨を調整することで、
体の調子を整える技術は
現代では、カイロプラクティックの他には、
日本の整体の他には、ほとんど残っていないのですが、
やはり、これだけ離れた
地にあっても何かしら
その影響がみられるということで、
やはり、何かしらのつながりがある
というような事も十分に考えられます。

そう言う事を考えていくと、
大きく異なる地で
作られたものであっても、
結局はどちらも同じ
技術からできていて、
兄弟のようなものともいえるのかもしれません。
日本の国宝が中東の影響を受けていると
いうと、驚く人がいますが、しかし、
実際に正倉院などに納められているような
ものを見ると、それは日本式の
文化のものではなくて、どこか中東の国の
文化であるということがわかります。

日本と言う国は、昔から単一民族が
生きてきた国ですが、
しかし、同時に中国などから
非常に大きな影響を受けてきたということになっています。

特に卑弥呼の時代から、何かと大きな影響を与えていきた
中国ですが、しかし、それ以外の国と言うと、
いつの時代を見てもあまり見当たらないということに
なっています。

なので、日本と言う国は、文明開化が起きるまでは、
主に中国からの影響が大きかったと言う事になっているのですが、
しかし、実は、それ以上に中東からの
影響が大きかったのかもしれません。

それを示すのが、
現在、正倉院に納められている
国宝の数々ですが、こうしたものが
国と宝とされているからには、
やはり、相当な影響を受けていて、
日本の国ができる上で、
非常に重要な役割を果たしていたということがわかります。

中東と言うと、今でこそ、
危険な地域ですが、しかし、かつては、
文化的にも宗教的にも非常に
栄えた場所で、世界でも有数の都市でありました。
こういう事から考えると、
シルクロードを通ってやってきたということも
十分考えられます。
もしくは、それ以前にかなり発達した技術があり、
それが使われていたということもあります。

古代には、まだ知られていない技術が多くあったと
いわれていますから、
こうしたものがすでに存在していたと言う事も考えられます。

ないが正解かはわからないのですが、
しかし、色々な事が考えられると言う事で、
本当に奥深いものになっています。

ただ、意外と日本の国と言うのは、
中東等と関係の深い国で、
シルクロードから色々なものが
持ちこまれていて、文化的にも
多くのものが影響を受けているということが
わかります。

これは他の国からの影響と言う事と
比べるとかなり特出していて、
正倉院などに納められている
宝物の多くは実は、中東の美術品の
影響を受けたものや、向こうの
美術品とおもわれるものが多数あって、
到底、日本のものとは思えないものが国宝と
されています。

なので、思う以上に中東からの影響と言うものは
大きくて、カイロプラクティックの
元にもなったマニュピレーションも、
この時代に日本に来たと言う事も
十分に考えられます。
それだけ非常に影響力の強い
地域であったということになるようです。