子供と試験と酒と涙と漫画とB'zのブログ

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税理士受験と我が子の成長を記録したり愚痴ったり遊んだりします。

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毎年そうだが、この時期ストレスがすごい。多分。


やんなきゃいけないのに、やりたくなくて、でもやらなきゃヤバいと分かってるけど、やはりやる気でねーよってなこの状況。

今年はプレッシャーに負けてる。のが分かる。


受験会場は、最近は近い事が多いのでそのストレスは少ないが、緊張感も少ない気がする。


少し遠くで、泊まり掛けもいいかもとおもう。


沖縄受験で終わったら海へ!とか、最高だよね。

まぁリーチかかってからだろうが。


結局、国徴はものにならんかった。思ったよりも、暗記理論が多いことと、虫食い状態での暗記で、何してるのか?が把握出来なかったこと、計算という、どこからどれだけ徴収出来るかの判定、そもそも興味が沸かんかったのがわかった。おーはらの授業の説明不足と、投げやりさ(少し噛み砕きすぎた説明して、後は各自で頑張って下さい。)で、理解が追い付かなかった。授業の質は、最悪。理解不能な事なので覚えるの頑張って!なイメージが多過ぎて頭に入らない。

興味ない、意味、理由がないもんを単純に覚えるって、辛すぎる。

そういうもんだとわかったので、切り替えた。

たっくなら違ったのかな?多分合わないなこの科目は。


相続や、固定資産のが興味ある。

だが、相続は、理論が多い!


今年は独学な簿記メインですな。

何のために生まれてきたのか?何をするためなのか?

たまに考えるこのテーマ。


答えはない。

生まれた命に、全て役割がある。


そんな事わからない。

あるかもしれないが、役割に出会えないかも知れない。

無いかもしれないのに、出会えたと思い込んでるだけかもしれない。

これが自分の意味なんだと自分が思えればそれでいい。


思えなくても、それでも、いい。


そんな事言わないで、もっとがんばれ、やる気出せという人もいるだろうし、何もやる気出ないし、やりたくないし、なぜここにいるのかわからない人だって、辛い思いしてる人だってたくさん居るだろう。


それで、頑張る人も負ける人もいるだろう。

辛い人は助けてあげたいと思うし、それを偽善という人もいるだろう。

偽善て何?にせ物の良いこと?ほんとはそんな事したくないのに、仕方なく手伝ってる?助けてる?良いことしてる?

そんなのしてない人いる?

つーか、助けたいと思って、助ける行動する事のどこに嘘の要素がある?

他人の気持ちなど分からないのに、そういう人は、自分でやらない理由を他人のなかに押し付けている?

見返り求めて人助けしたら駄目なのか?偽善なのか?医者は?警察は?自衛隊は?全部偽善だろう。



何のために生まれたのかは分からないし、人生に意味等そもそもなく、ただ生まれてそのうち死んでそれだけだろうなと考えながら、歩いていた。


自分に何ができても、出来なくても、許されたい。誰かに必要とされたいと思う。

居ても居なくても変わらない、雑草のような存在でも、それを許されたい。

それじゃ駄目かな?  
最近いつの間にか手を怪我している。

何かで切れていて既にカサブタになっている時に気付く。

あれ?こんな所怪我してる。しかも治りかけ。

そんな気付き。

遅すぎじゃない?


毎年恒例年末鬱、かつ、生活に希望が見いだせない。

死ぬというより、消えてなくなりたい。塩かけたナメクジの様に。テーブルにこぼれた水が跡だけ残して蒸発する様に。または、常温で放置したアイスの様に人生が終われば良いのに。

いつのまにか怪我をしてるように、いつの間にか意識がなくなっていればいい。

眠りに堕ちたまま、現実に戻らなければ良い。

意識は何処へ行くのだろう?

そこにあるのだろうか?どこに在るのだろう?


意識が自分ならば眠りに堕ちる時に自覚出来ないのは何故だろう?自分が消えていく感覚。

そしてどこからか戻ってくる。本当にここにあるのだろうか?

何故戻ってこられるのだろう?

もう戻らなくても良いのに。


そうすればもう辛い思いをしなくて済むのに。
人付き合いがめんどいのではない。
めんどくさい人がいるのだ。


気分の善し悪しは大概他人の影響に因るものだ。


認めなくてもいい、批判もするな。


社会人として駄目だ。そんなことは分かってる。大人として駄目ということだ。親としてもか?
多分そうだろう。


馴染みたいが馴染めない。
馴染めないのに、馴染んだふりが出来ない。

コンプレックスは子供時代、病気。

この事実は変えられないし変わらない。

意味が、捉え方が、考えが変わる時が来るだろうか。


ときどき考えるようになってから10年位。


プラスにはなっていない。


誰かの役に立ちたいんだ、と気が付いてから日が浅い。


何が出来るかわからない。何も出来なくても、何も出来ないと見下されても誰かの役に立てる事があるかもしれない。


それとも、子孫が出来たことでもう役目は終わったかもしれない。


環境に捕われて動けない。
気持ちの上下が激しい。感情の起伏が大きい。何故だろうか。

以前から自分はこうだったか?
一人暮らしの時はもっと思考が自由だった。

今はどこかに枠がある。

いつのまにか囲まれていた。

近すぎず、遠すぎず、常に距離を保って、見えないけれど、それはある。

あると思っている。考えているわけではなく、動物園の、動物達との堺の堀のように。


なんとなく、そちら側へは行けない。行っては行けない気がする。


誰に捕われているのかな。自分だろうか?自分が想像する、他人の視線、想い、感情の自分に向けられている、と思い込んでいるものだろうか。

これはつまり自分だ。他人ではない。

他人がいるから浮かぶ思考だが、それを思うのは自分。
でも他人がいなければ思考しない?

どうだろう?

知り合いのいない場所に行きたい。住むのではなく旅をし続けたいという想い。

言葉と生活がどうにかなれば、それは可能だ。


きっと最初に旅をしてから、全てが、変わった。

いろいろな事が、疑問に思えてきたような気がする。

また旅をしたら変わるだろうか?

どこで消えてしまってもいい。不安定に思えるほど、自分の形が定まっていない。

どうしたいのか?何が出来るのか。
カシューナッツ食べるとガンジス川でよく食べていたのを思い出す。


過去ばかり懐かしむ今の状況は不健全。

わかるが今に不満が有りすぎてやめられない止まらない。

簿記論やればやるほどできなくなってく。
いや、やっても出来るようにならないが正確か?

なぜか?

練習した形式とまるで違う資料が多いこと。

財表のように通常の処理の流れが問われる事が少ないこと。

推定が多いのと解答にかかる手数が多いこと

資料の読み取りが難しくできなそうな問題の見極めが難しいこと

かつボリュームが多いこと。

逆進問題がよくでること。

全範囲で処理方法が多くその全てを理解してないと解けないこと。

これらが絡み合い複雑になっている。これが簿記論の試験がきらい、苦手な理由。

他の科目では比較がほぼなく税法は有利な方法と指定されるためほぼ一つの方法が解ければ出来る。

比較にしても、複雑な思考、メモはいらないため時間がかからない。

計算のみのため、全範囲が様々な組み合わせで問われること。
税法理論の組み合わせを計算でやるため複雑で処理に時間がかかるのだ。何処かの記憶があやふやだと繋がって失点しやすい。

やることは各仕訳が問題みてすぐ頭に浮かぶこと。

あとは財表の比じゃない集計力。税法理論なみの各処理方法の違いの理解。

問題だけなら全科目中、1番難しいと思う。


あんなに穴だらけの推定が仕事で必要か?学者になるのではなく財務諸表つくる能力が必要ではないのか?つまり財表で十分では?

解けるようになる気がしない。個別問題をいくら解いても総合または第1、2問の個別とは別物。

自分は偶然できて、他の受験生は偶然ミスばっかしないかなぁ。

他人の不運を願うことしかできん。
いーよ〇〇しなくて。

なんで〇〇したの?

〇〇しといて。



ほぼこれに集約される嫁の口調。



手伝ってあげたい。

何かしようかと思うとき。

何かしたときの報告の返事等に使われる。





好きにしたらいいとしか思えない。何もしたくない。