マジックみたいなミュージック | …

i am so disapointed.

さて、今日はNegiccoのアルバム「ティー・フォー・スリー」のリリース日前日、つまりCDショップ店頭で買うことができるようになる日であり、いつからかフライングゲット転じてフラゲ日などと呼ばれるようになったそれである。

つい3ヶ月前までNegiccoの曲など1曲も聴いたこともなかったくせに、いまやこのアルバムを手に入れるのを心待ちにしている状態であり、これが絶妙に嬉しいわけである。

とはいえ月曜日、昼間は会社に行っていろいろやらなければならない日である。4月27日の中野サンプラザ公演の日から、バッグにはずっとNegiライトが入っている。家の人には気づかれないようにやっているのだが、いちいち隠し場所に置いたり取り出したりを繰り返すのが面倒であり、ならばいつでも持っていればいいという発想である。Negiライトはキングブレードなどと比べて、コンパクトなので助かっている。

今週、テレビ神奈川の「saku saku」にNegiccoがずっと出演するということであった。月曜から金曜の朝7時から放送されているようだ。ポケットWi-Fiのワンセグ機能を活用してiPhoneで視聴しようかと思ったのだが、残念ながらテレビ神奈川は受信できないようであった。

テレビはあまり自由には観られないようになっていて、お笑い番組の録画のために購入したハードディスクレコーダーもあるのだが、アイドルのファンであることを悟られないように、そういう番組は録画しないようにしている。どうしても観たい番組があった場合は、近所のまんが喫茶というかインターネットカフェで観ている。道重さゆみがモーニング娘。'14を卒業する直前などは、観なければいけないテレビ番組がいくつかあり、よく近所のまんが喫茶というかインターネットカフェを利用した。

熱心なファンであれば応援しているアイドルが出ているコンテンツはすべて視聴したいし、発言はすべて把握しておきたい。それは、きわめて自然な心理であろう。

しかし、私の場合は別にそうではないな、という気がする。以前はそうだったのが、いまはそうでもない。もちろんすべてを把握できるはずなどなく、そういった思いが強くなりすぎることは、もしかすると危険なのかもしれないという気もする。

うまくは言えないが、アイドルの応援に征服欲が入ってきてはいけないような気がして、だから享受させていただくぐらいのスタンスがちょうどいいのではないかと思う。

Negiccoのメンバーは東京での仕事のため、朝から車で移動していたようなのだが、Nao☆がブログを更新し、クマさんが車中で生サバのおにぎりを食べはじめ、その匂いが充満していることに対して、苦言を呈していた。「うちのクマ」という言い回しも含め、朝から笑わせてもらった。「#サバ」というハッシュタグを付けているのも微笑ましい。

8月20日、所沢航空記念公園野外ステージでNEGi FES 2016の開催が決定したようだ。堂島孝平、土岐麻子、アイドルネッサンスがゲスト出演ということである。日程的に参加するのはかなり難しそうだが、このNEGi FESというのはフードスタンドも新潟にちなんだものだったりするらしく、何だかとても楽しそうである。

仕事が終わったので電車に乗って、錦糸町に行った。とてもいい天気で、東京は30度を超えたらしい。アツいというか、ナツい。錦糸町のオリナスはエスカレーターで1フロア上ったら、また次の階に上るためには少し歩いて回りこまなければならないというユニークな構造になっている。タワーレコードに着くと、店頭近くのかなり目立つ位置で、「ティー・フォー・スリー」がディスプレイされていた。

ツイッターのタイムラインに流れてきたやつでは、タワーレコード新宿店のが1曲ごとの説明が手書きで書かれていたりして、かなりアツかった。

予約券のようなものをレジに持っていき、ついに「ティー・フォー・スリー」のCDとインストアイベント整理番号付優先エリア入場券1枚とネギ券3枚を手に入れた。レジ内の店内BGM演奏用プレイヤーのようなものに、3回に1回はNegiccoをかけるというような紙が貼られていた。インストアイベント整理番号付優先エリア入場券に記された番号は、かなり先の方であった。

帰宅して、ノートパソコンのCDトレイに「ティー・フォー・スリー」を挿入した。iTunesで読み込み、インポートしたのだが、やはりiCloudミュージックライブラリへのアップロードがうまくいかない。とにかく早くiPhoneでも聴くようにしたいので、iPhoneのiCloudミュージックライブラリを一旦無効にして、「ティー・フォー・スリー」だけ直接インポートし、それからまたiCloudミュージックライブラリを有効にするという、ひじょうに面倒なことを泣きながらやった。泣きながらという部分は嘘である。

そして、聴いたのだが、これはとても内容の濃いポップ・アルバムである。全曲試聴用トレイラー映像を視聴して、期待していたよりもずっといい。まあ、あれはいわば映画でいえば予告編のようなものであり、こっちが本編なのだからそれも当然だとも思えるのだが、予告編で期待したほどの本編ではない映画というのもわりとあるので、やはりこれは素敵なアルバムだと思うのだ。

あの、じつは行けなかったことが悔しくて仕方なかったのに、ブログではまったくその素振りを見せなかった5月5日の先行試聴イベントにはもちろん行けていないので、アルバムをちゃんと聴くのは正真正銘、これが初めてである。

1曲目の「ねぇバーディア」はすでに何十回も聴いていて、改めていい曲だなと思った。そして、2曲目の「RELISH」である。全曲試聴用トレイラー映像では、「こんな世界が君を待っていたなんて 素敵だと思わない?」という部分が流れるが、目の前がパッと明るくなるような、素晴らしいポップ・チューンである。

それにしても、本当にいい歌詞である。特に「雨降る日には 雨の音を聴こう」というフレーズに、ハッとさせられた。そして、「白いシャツの裾が5月の風に ほら 膨らんでいくよ」というのも、今日の陽気にぴったりである。

たった1度の人生、素敵な日々を味わいつくそうというメッセージが込められたこの曲、歌詞には「Girls」とあるように、女の子に向けられているのだろうが、私のような苦みばしったナイスでメロウなガイにとっても、わりと響いてくる。

「素敵じゃないか」といえば、ポピュラー音楽史上最高の名盤の1つ、ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」のオープニングを飾る曲であり、安易に名前を出すといろいろな人たちに怒られがちだが、この日常がパッと明るく輝きはじめるような感覚に、近いものを少しは感じるのである。

「マジックみたいなミュージック」はどこか懐かしさを感じさせるダンス・オリエンティッドなポップスであり、歌詞にもある「どこかで聞いた Disco Music」「踊りだす Funky Music」という感じである。一瞬、ニュー・オーダー「ブルー・マンデー」を思わせるドッドッドドドドドというビートが出てきて、そこがすごく好きである。あと、変なシンセのような音もほどよいアクセントになっているし、なんといっても間奏のサックスが最高である。いつの時代のどの曲かは定かではないのだが、確かにあの音楽の魔法を感じた夜のムードをヴィヴィッドによみがえらせてくれる。

「恋のシャナナナ」は、まず「金曜の夜は Friday Night」といった身も蓋もない歌い出しの歌詞が象徴するように、かなりゴキゲンなダンス・ポップである。

「憂鬱な Weekdayも 忘れて 夢見ましょ」という部分がとても重要であり、これは「君の香りが揺れる」「恋が生れる予感」といったこの楽しい時間が、泡沫の夢にすぎないことをあらわしていて、これは退屈なウィークデイの労働に耐えて、週末の楽しみに命をかけるイギリス労働者階級のウィークエンダーという概念に通じるものを感じさせる。

そのペーソスがうまく表現されているのが、スウェード「サタデー・ナイト」のビデオである。今日の日本においては、経済的格差が認識されつつあり、労働者階級文化がそのうち花開くのではないかという予感を感じないでもない。

最近、モーニング娘。'16がリリースした「泡沫サタデーナイト!」にも似たような背景を感じなくもないのだが、おそらく深読みのしすぎであろう。

「Good Night ねぎスープ」はヒップホップ調のビートが心地よく、全曲試聴用トレイラー映像ではねぎスープのレシピのような歌詞が歌われていたが、じつは同年代の女性に共感されそうなタイプの内容を持った曲であった。致命的ではないが軽いストレスにやられそうな日常、体をあたためてぐっすり眠ることの大切さが歌われている。日常生活における危機とサバイバルという、じつはとても深刻なテーマを取り上げた曲である。

「江南宵唄」は、アルバムで初めて聴いた曲の中ではいまのところ最も気に入っている。とにかく特殊なポップ・ミュージックである。ニュー・ウェイヴでファンキーでダンサブルなポップス、そして、これまでのNegiccoには見られなかった新しい歌唱法が取り入れられ、それが新境地ともいうべき未知のエロスをもかもし出している。

中毒性がひじょうに高い。この曲をちゃんと把握するためには、まだ何度でも繰り返し聴かなければいけないような気がする。

タイトルにある「江南」は新潟の地名らしく、歌詞に出てくる「曽野木屋」というのも実在するようなのだが、情報がまったくないため、ミステリアスなままである。

この曲の後だけに、「カナールの窓辺」の大人ポップが、よりオーガニックかつ爽やかに聴こえる。シングルのカップリングだったのであまり数多くは聴いていなかったのだが、本当にいい曲である。心地よさの中に、希望がある。

少し安心して落ち着いていると、次の「虹」がまたものすごくユニークな曲で、興奮を覚える。全曲試聴用トレイラーでは最も捉えどころがないように思えた曲なのだが、語りのような歌で、かといってラップではないのだが、こういうのもあるのかと、とても新鮮な驚きを感じた。

そして、「SNSをぶっとばせ」である。「CDジャーナル」で安田謙一さんが「ザ・ジャム歌謡」などと書いていたが、バンド・サウンドでモータウン・ビートなポップなアプローチがカッコいい。ポップス本来ののワクワク感を感じさせてくれる。バンド・サウンドのこの曲で、最もアイドルっぽい可愛い歌唱が聴けるというのも、またおもしろい。

いろいろなタイプのサウンド、曲調の作品が並んでいるにもかかわらず、とっ散らかった感じにはならず、アルバムとしてのトータル性は保たれたままである。それだけNegiccoの歌の存在感、また、作家にあたえるイメージが強力だということなのだろうか。

次に、「矛盾、はじめました。」「土曜の夜は」と続く。それぞれ先行シングル、先行トラックとしてリリースされていて、アルバムの核ともいえる曲なのだが、それが終わり近くになってやっと出てくるというところに、このアルバムの充実ぶりを感じる。

「矛盾、はじめました。」を聴くと、会場で何度も流れていたリリースイベントの雰囲気を思い出す。わずか2ヶ月ほど前のことなのだが、Negiccoのことを好きになりはじめて、ものすごい勢いで情報をあつめていた頃を、すでにやや懐かしく感じはじめている。

それにしても、完成度が高い。「土曜の夜は」は独占先行配信されていた「KKBOX」で何度も聴いていたのだが、このアルバムの流れの中で聴くと、また違ったよさがある。

散々言われているし、私もこのブログで何度も書いてきたように、シュガー・ベイブというか、山下達郎へのオマージュである。しかし、懐古趣味にはけしてなってはいなく、あのファンタジーを信じる思い、そのときめきを現在にリアルにヴィヴィッドによみがえらせる試みである。歌詞やメロディーやアレンジや歌や演奏が、本当に緻密に計算され、音楽の魔法を実現している。

「おやすみ」は「ねぇバーディア」のカップリングとしてリリースされたのとは異なる、ピアノとストリングスを主体とした、よりアコースティックなアレンジで収録されている。Negiccoの歌の魅力、表現力がより実感できるような気がする。演奏、アレンジも素晴らしく、思わず聴き入ってしまう。これは果たして、アイドルポップスなのだろうか。

そして、「私へ」である。ピアノ弾き語りのようなアレンジで、「おやすみ」からのアコースティックなサウンドを引き継いでいる。ここでも、歌の表現力がじゅうぶんに味わえる。坂本真綾の歌詞は、Negiccoメンバーの境遇、心境に近いところもあったようで、より感情移入して歌えているように思える。明らかにこれまでのNegiccoのレコーディング作品では味わえなかった、アーティスティックな境地であろう。

CDを買って帰り、iTunesにインポートしてから3回通して聴いた。同世代の女性を主なターゲットにした大人ポップというような認識を持っていたのだが、実際に聴いてみたところ、そのような枠には収まりきるはずのない、とても内容の濃いポップ・アルバムであった。

まだまだ聴き込まなければ、その全貌を把握することはできないような気がする。しかし、現時点での感想を、ドキュメンタリーとして書き残しておきたかった。

そうこうしているうちに23時30分、「saku saku」再放送の時刻になったのでテレビで視聴した。楽しかった。観てよかった。

Nao☆が「牧場物語」の話と「何を言う!早見優!北天佑!」という村上ショージのやつをやっていてよかった。あと、Kaedeが虫がぶつかってくる話や服の中に入ってくる話をしたり、Meguが松阪牛のトトロトロのやつが入ったレトルトカレーの話をしていた。明日も早起きして観よう。



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