【福岡チャリティライブ】※長文ですが是非読んでほしい。

10.09.2014
今日は福岡でチャリティライブでした。





もうこの病院にお世話になってから2年、KINちゃんが旅立って2年が経ちます。1年半ぶりにも関わらず、皆さんが本当に暖かかくてまるで「おかえり~~~!」と出迎えてくれたようで。本当に嬉しかったです。
カバー曲、オリジナル曲を含め9曲披露してきました。
今日はわりかしMC多めでした。



☆カバー
・Everything/MISIA
・逢いたくていま/MISIA
・涙そうそう/夏川りみ
・ハナミズキ/一青窈

☆オリジナル
・かけがえのないもの
・Stand by...
・花
・街
・Journey



私が挫折をし、音楽を諦めようとしていた時に、光を差し伸べてくれた彼の言葉や情景は今も鮮明に思い出せます。彼と出会ったのは私がフィリピンで留学中だった時のこと、日々の生活に日本語がとても新鮮さを感じた時に始めた「ニコニコ生放送」にて出会った一人のリスナー。



最初は何気なく接していたものの、だんだんと親身なってくださりニコニコ用(仕事用)アドレスに毎日ように応援メッセージをくれました。それも、とってもシンプルなメールでした。

「毎日りんちゃんに癒やされてます。今日も元気に~^^」


いつしか放送でも文面を見るだで彼だと認識できるほどでした。

そんな中、彼が癌であることをブログを通じて知り、帰国間近だった私にはとっても大きな衝撃でした。まず帰国してすること、【バイト】。そう決心してからはまだ先なのにも関わらず求人サイトを毎日見漁ってました。給料計算もしていた気がします。



お金をためて、自分の足、自分のお金で会いに行く。
画面越しに伝えてきた想いをもう二度と会えないかもしれない彼に届けに行きたい。そんな一心で人生初めてのバイトに一生懸命取り組みました。


時給650円。
決して高くはない時給でしたが朝、夕方のダブルシフトで一日9時間も10時間も働きました。慣れない内の最初は片付けに時間がかかったり教育の時間があったりでなれないことばかりでした。
だけど、目標があったからあんなにも頑張れたんだと今思います。



待ちに待った最初のお給料。
自分で働いて初めてもらったお給料は自分が思っていたよりも多くてとっても嬉しかったのを覚えています。
そのお金を大事に使わなきゃ、そう思って3ヶ月間一生懸命節約しながら生活して、やっと福岡への旅を計画できた時、彼のブログには緩和ケアに移動になったという記事と共に写真が掲載されていました。
その写真が、「たたらリハビリテーション」さんでした。



写真を元に住所を調べ、直接病院の方とコミュニケーションを取り、彼自身には内緒でサプライズプレゼントとして生歌を彼の病室でアカペラで歌いました。
喉の癌で声を発することができなくなった状態でしたが、筆談でお話することができました。初めて福岡に来た私に、【天神】の地図をざっくりではありますが書いてくれて、おすすめの場所や明太子は切子がお得、などと色んな情報を教えてくれました。その時の紙を今も大事に持っています。



涙を時折流しながらせっせと地図を書く彼の姿に今も目に焼き付いて離れません。「りんちゃんの曲、携帯に入ってるから病室でも聴いてるよ」と嬉しそうに携帯を見せてくれた、あの表情も。
面会が終わった後、担当の看護婦の方から来月彼の誕生日だと教えていただき、来月もまた来ますと言って病院を去りました。


彼が書いてくれた天神の地図を元に、暮れがかった天神の街を散策しました。初めてする一人旅が福岡でした。本当に、ここでよかったなと今でも思います。



そして初めて福岡に行った日の翌月。
彼の誕生日にまたしてもサプライズで歌いに来ました。
ですが、彼の容態はかなり悪化していました。初めて会った時に比べてかなり痩せ、私の体重よりも軽くなってしまい、手を握る力も本当に弱々しくなってしまい、表情もうっすらとしかわからない、自分で体を動かすことができなくなり、ストレッチャーに乗せられた彼を見て私は絶句しました。
当時18歳の私にはとても受け止められない、あまりにも残酷な姿でした。


彼が敬愛するMISIAさんの曲を歌っている最中、彼を見ていると僅かながら手が動いたり、表情を変えたりしている姿を見て、感情がこみ上げそうになりつつ、最後まで精一杯心から歌を届けました。その時に彼の為に作った曲、「街」。歌詞には今までの彼との描写が浮かぶ部分がいくつかあると思います。


歌い終わった後は緊張が抜け号泣。
「KINちゃん、お誕生日おめでとう。」そう言って涙混じりに担当医さん、病棟の方々と一緒に撮った写真は、今までの職場のロッカーに貼り続けていましたが、今は東京の部屋に飾ってあります。



翌日、彼が息を引き取った事を病院の方からの電話で知りました。



「KINちゃん待っててくれたんだね、りんちゃんのこと。」



そう言われてとっても悲しかった反面、彼に少しでも恩返しができたことにとっても嬉しくなりました。そんな体験を、チャリティライブに偶然訪れていた西日本新聞社の記者の方が記事にしてくれました。「間に合った歌のプレゼント」というタイトルで、新聞デビューを果たしました。



彼がいたこと、彼のお陰で今も歌っている自分がいること。
些細なことだけどとても大事なこと、これからも感謝し続けたい人だからこそこれからも私は毎年彼の命日になるべく近い日程でチャリティライブを開催したいと思います。
 


こんな想いがあるからこそ、私は何があっても歌だけは諦めません。
私の歌が、一人のリスナーさんの命を繋いだのです。
 
 
 
大きなキセキ。
これからもずっと大事にしていきたい。






これからも私の歌が、貴方の中でなにかしらの形で生き続けますように。






たたらリハビリテーションの皆様。
本当にありがとうございました!




R!N