山口の神社仏閣★椎尾八幡宮 稲荷社 摂社 鳥居 拝殿編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



昨日Sママからのお誘いで、ある場所の月桂樹(ローリエ)を採りに行ってきたRieruです★

Sママが許可を取ってくださり、大木の月桂樹を2人離れて毟(むし)りました。
収穫後は約2mの距離を取り、約20分ぐらいおしゃべり・・・(電話は別にして)家族以外と話したのは随分とお久しぶりで時間が過ぎるのがあっという間!
彼女のお子さんのうち下の娘さん2人(上にもいらっしゃる)はうちの娘たちと同学年で、それぞれ県外の大学と高校に通われており、ずっと娘さんたちの帰省が叶わないまま過ごされています。同じ母親として胸が痛い・・・本当に心配ですよね。
買い物を済ませて自宅に帰ると、リビングでうちの娘らがスマホゲームアプリの『荒野行動』で、銃を撃ちまくってる・・・


イテテ


(約1時間ほどして満足したのかそれぞれ自分たちの部屋に戻っていきました)


最近は『すゑひろがりず』さんのゲーム実況で満足していているからか、全くゲームをしなくなった女は、桜が満開の頃、岩国の椎尾八幡宮へ参りました。
『椎尾』は『しいのお』と読むようで、岩国市内には同じ名前の八幡宮がもう一社あります。(いつか機会があれば訪ねてみたい)
こちらは岩国城下の氏神ということで、前々から訪ねて見たかったのですが・・・

なんか階段がすごい!

AM 7:28

そして赤いのぼりが、これでもか!と立っていて私的には圧がすごい!・・・という理由で避けておりました。
平らな道はいくらでも歩ける自信があるのですが、坂や階段は途端に怯んでしまいます。


まずは立派な神額が掛けられている第一鳥居をくぐります。

中腹の稲荷社へ到着☆


赤いのぼりは、全てこちらのものだったんですね。

おきつねさま〜、お邪魔致しまするぞ!(←すゑひろがりずさんたちのゲーム実況の影響か)


稲荷社の御祭神は宇迦之御魂神で、御神徳は五穀豊穣・商売繁盛・社業興隆・料理・出版・開運だそうです。

稲荷社を正面にして右を見ますと、また階段が・・・


頑張って上がりますかね。

ふうふう。

・・・また階段。


折れるな心。

振り返り見れば、岩国の町が。


平日のこんな時間で、こんな場所に身を置いていることにテンションが上がります。

階段の途中、右側に摂社を発見☆


栗島社・淡島社・柿本社・和霊社を祀っておられるようです。

しかし、通路が狭し!


そしてスリルが味わえます。

やっと第二鳥居をくぐる事が出来ました。(←大袈裟な)


朝早い時間は逆光でシルエットに・・・昭和11年12月建立です。

参道を進むと、昭和13年建立の鳥居が。


あ〜、この時間帯は本殿の方向から日が昇るのですね。
次回参る機会があれば、午後からの参拝も良いかもしれません。

拝殿前にて、謹んで参らせていただきました。


吉川家の家紋・・・吉川家一門の氏神なんですね。

境内の説明板には、このように書かれていました。

椎尾八幡宮略縁起

御祭神  誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命
  相殿    猿田彦神

當宮は後水尾天皇の寛永3(1626)年に、時の岩国二代藩主 吉川美濃守廣正公が、吉川歴長朝の守護神である駿河八幡宮(この駿河八幡宮は、吉川氏の始祖 経義公がその昔、駿河国有度郡吉河邑(今の静岡県清水市)に住し、其の地方の豪族として有りし頃、文治2(1186)年に鎌倉の鶴岡八幡宮より勧請したるに起因す)の心霊を、郡内由宇村より現地に奉遷し、同時に太古、岩国山東北の谷に古き社祠あり。山麓の谷々は現在和木町に属する瀬田、関ヶ浜部落で、其の地に椎尾と称する地名あり。古き社祠にて猿田彦神を祀る。此の神、伝えによれば、遠き神代の昔、皇孫御降臨の砌(みぎ)り、道案内として此の岩国山を御通過の折、暫く伊勢ヶ丘の峯にて御腰をかけ給い因縁あり。其の神跡を、偲びてか、往古より道中安全の守護神として広く旅人に崇められ、聖武天皇天平2(730)年大宰小典山口忌寸若麻呂、この山を越す時、「周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよあらき其の道」と(万葉集巻四)に詠めり。それより後、後土御門天皇文明12(1480)年宗衹法師諸国行脚の砌り、この山に差しかかり無礼あり。彼が馬、俄(わず)かに倒れて進まず、宗衹は困り里人に助けを求めた処、里人この時、此の神「人の不浄不敬を咎め給う事、諸神にまされり、旅人神慮に添わざる振舞あらば其の誤りを謝して祈り給え。」と話す。宗衹神前に額づき誓願誠心を尽すと馬、不思議に前の如く進み、宗衹この時、万葉の歌を飜詠して、「周防なる岩国山を越えむ日は手向けよくせよ荒木楚の神」と詠めり。是より此の神を荒競の神とも云い、別名 荒木曽神社とも称さる。則ち、藩主 吉川廣正公、この神霊と八幡大神とを合せ祀りて、現地山陵を切開き祠殿を建立して、茲に、号を椎尾八幡宮と称し、爾来 吉川歴代藩主にあっても代々厚く崇敬せられ、更に岩国藩国家万民の鎮護社として、また、當町郷人の産土神として、広く世人の敬仰さるる宗社として現今に至れり。

・・・長うごさいましたが、なるほどです。

拝殿の彫刻に、いつものようにため息。


あっ、こんな場所にもある!と、驚きつつ、絵馬のデザインをチェック。


寄り来る神宝・・・

じつにいろんな絵馬がありました。


今回割愛した摂社のものも。宝船のデザインのものもありました。

他の摂社はいつか機会があれば・・・って、その摂社のうちの一社の鳥居が!


・・・アナタが斜めって撮影したんじゃないの?


アイタタタ


(え?そうかも・・・いや、違う!自信が無いので、またいつか改めて訪ねたいと思います←テキトーだな)