厳しい現実 | 母の大腸がんステージⅣ お気楽闘病記

母の大腸がんステージⅣ お気楽闘病記

2011年11月 母が62才で大腸がんステージⅣと診断されました。今さらながらぼちぼち記録していきたいと思います。
ざっくりとした記録なので闘病の方の参考にはならないかもです^_^;

心タンポナーデの退院から2週間過ぎたころ、主治医より話があるのでご家族とお願いしますとの連絡があり、本日母と姉と私の3人で病院へ行きました。いつも曖昧な表現しかしない主治医の遼が、今日は珍しくはっきりと結論から切り出しました。
ざっくり言うと、母の状態と経過を外科のカンファレンスにかけたが、もう使える抗がん剤は無いとの結論に達しました。もう当院で行える治療はありません。今後痛みなどの症状が出てきたら緩和ケアが必要ですが、当院には緩和ケア科が無いので近くの緩和ケアのある病院に紹介状を書きます。とのことでした。
がん患者が1番恐れていることは、もう何も治療できないと言われることだと思いますが唐突に突きつけられた母は、泣いてうなだれていました。
それでも母は最期はこの病院で、と思っていたので「どうしてもこの病院で最期まで面倒みてもらえないですか?」と聞いたところ、「この市立病院は急性期病院の為、治療を目的としない場合は入院もできないのです」とハッキリ言われてしまいました。
今の母は一時的なものかもしれませんが顔色や体調も良く、食事も摂れているので、どうしても抗がん剤を諦められないのですが、これだけハッキリ言うのならいくら頼んでももう抗がん剤はしてくれそうにありません。
とにかく、緩和ケアの病院は母の住む町には無く、1番近いところでも車で40分程の病院で、常に混んでいて予約が取りにくいとのことなので、年明けになるそうですがとりあえず初診の予約は取ってもらうことにしました。
母は「つまりもう死ぬのを待つだけになったのね…」と言っていますが、私はまだ諦めきれません。
今となってはもう本当に遅いかもしれませんが、ちゃんと癌の専門病院へセカンドオピニオンに行き本当にやれる抗がん剤や治療はないのか聞いてくるつもりです。
早速明日からセカンドオピニオンの病院へ電話したり、紹介状や資料を市立病院から取り寄せなければ!
厳しい現実を突きつけられましたが、私はまだもう少しバタバタあがきたいです!