座・高円寺のホームページより

わしを知っとるものはおるか わしはリアではない……
教えてくれ わしはなにものだ
リアの影法師―

座・高円寺の7番目のレパートリーとして2013年に誕生した『リア』は、
渡辺美佐子が、女優人生60余年で初めてのシェイクスピア作品への、
そして初めての男役への挑戦となった作品です。

主要な登場人物が多く、複雑にからみあう原作を、
劇作家・演出家の佐藤信と生田萬の手により、
嵐の場面を中心とした、シンプルなリアの物語として構成しました。
観客の想像力を喚起するシェイクスピアの力強いせりふと、
重厚な物語のエッセンスを絞り出し、
裏切りと怒り、悲しみと絶望の中に、幸福の光を見出す希望のリアの姿を描き出します。

出演者はたった3人。
「リア」を演じる渡辺美佐子、
「影」を演じる花組芝居の植本潤、
「道化」を演じる俳優座の田中壮太郎。
経歴も個性も魅力もさまざまな三人が共鳴しあいながら紡ぎだす物語は、
真理を求める人間の旋律として、私たちの記憶の中で響き続けることでしょう。

いよいよ今年でファイナル公演。
最後の『リア』です、どうぞお見逃しなく!




というわけで、

千秋楽観てきました。

82歳の渡辺美佐子さん、スゴイね。

リア王の台詞、なんか、うん、すごく、マッチしてた。

初演の時とは反対側の座席だったから、見え方がまた違って。


少しセリフも変わったような、舞台美術はほぼかわらず。


老いるということがとても絶望的で、苦しくて、悲惨な、そういうものに思える物語なんだけども、不思議と老いることへの恐怖は感じずに、なぜか、ほっこりあったかい気持ちになったりもした。

リアが悲劇の王で終わるはずが、なんか、ものすごく、穏やかな、幸せな世界に旅立ったように見えて。

4大悲劇~~~~~、ぐわぁ~~~~、ってのがなかったな。

未来への希望、生きる力、そういうのも不思議ともらった舞台だった。




今回で二度目の観劇。

2年前、病気発覚すぐだったんだよね、この舞台観たの。


思ったんだ、「死にたくない」って。


こんな風に、また舞台に立ちたいって。

80歳を超えるニンゲンがこれだけのことをやっている、わたし、まだ死ねない、って思った。


で、いま、生きてるし、あの舞台を見てから、既に、二回も本番の舞台に立たせていただいてる。


まじ、ありがたいこっちゃ。


脇をかためる、2人の俳優。


やっぱり、今回も、素晴らしかった。


植本さん、いつか、いつか、カラット芝居で共演したい・・・夢のまた夢・・・なのかもしれないけど、でも、カラット舞台で、やりたい、って本当にそう思ったなぁ~

美しい身のこなし、所作のひとつひとつに無駄が無くて、嫌味がなくて、美しい。

本当に洗練されているというか、邪魔じゃないというか、そして目力もすごいし、声もすごい、一人で何役もやるのだけど、それがわざとらしくも無く、でもってわかりにくくもなく、静かな迫力をもって迫ってくるような。感性の人って感じ。


田中さん、こちらは植本さんとは真逆なかたなのではないだろうかと・・・勝手に想像。

ものすごい安定感とそしてやっぱりいい声と、でもってフットワークの軽いこと軽いこと、でもすべてがあざとくなくて、まるで、本当にあんな人なのかしら?と思うくらい、愛らしい道化。とても繊細な道化。普段はどんなお芝居をされているのか存じ上げないけれど、あの役がぴったりハマリ役に思えたよ。

すごく親しみをもって、舞台上の彼の役を見ちゃうっていうか。まあぁるい空気感みたいな。


で、主役、リアの渡辺美佐子さん。もう、もはや、存在勝ちって感じ。

長年の舞台人としての経験の全てが表現になってそこに居るっていう。

命そのもので演じているっていう。


とにもかくにも、ほんとうに美しい舞台。だったなと、


演劇とか芸能とか芸術なんて世界は・・・なんちゅうか汚いのが当り前だったり、裏切りとか、恩知らずとか、日常茶飯事。やっぱり汚い世界。なんだと思う。

汚くなければ這い上がれないし、這い上がるためには汚れることも多々ある、そういう世界でもあるんだけども・・・でも、本当に心に響く、美しい芸術ってのは、そいう汚い世界の、泥水みたいな中から、それに交わることなく、その中でも染まることなく、乗り越えて、耐えて、しのんで、で、咲いたときに、感動するのかなって。蓮の花みたいに。


てなことも思ってみたり。




真摯な心、謙虚な心、尊敬の心、感謝の心、そんなんが土台にしっかりとある、そんな方々の舞台。
観ていて心地よい、そして、心が揺さぶられるそんな時間でした。

とにもかくにも、いいもの観れた。


いいものに触れれた。


幸せ。