ブログネタ:
夏一番の思い出は?
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夏というと、うりの1番好きな季節。
暑さに食欲がおちる人が多い中、うりは食欲が増す。
うだる暑さに、拭っても拭っても吹き出る汗。
汗をかくのが嫌いな人も多い中、うりは汗をかくのが好き。
さんさんと照りつける太陽と青い空。
走り回っていた子供のころが懐かしいと思う年になってしまったなぁ。
連続のブログネタ投稿のうりです。
先日の日記で暗い話を書いたのだけど、うりの夏1番の思い出は、まだ別にある。
その日は、病院に行った翌日だった。
「次の時に陣痛が来なかったら、促進剤使おうか?」
陣痛促進剤。
世間では、賛否両論言われていて、当時21才のうりは不安になりながら聞いたのを覚えてる。
妊娠が分かったのは、ここからさかのぼること9ヶ月前。
(妊娠は、十月十日といわれているけど、実質は9ヶ月なんだよね)
当時、妊娠検査薬というのは、あまり普及してなかったように思う。
それでも、見つけた妊娠検査薬。
うりは、2種類の検査薬を買った。
慎重というか疑り深いというか、念のためと2個買ったんだ。
うりは、なんだか妙な第六感が働くことがある。
先日の記事「あの日」で書いていることも「今、絶対やらないと駄目!」という思いが頭にあった。
後日、「このことだったんだ・・・・・・」と思えることがあって、自分の勘を信じてよかったと思った。
今までの人生でも、頭をよぎる声や思いを無視して行動したときは必ず後悔していた。
偶然かもしれないけど、必然だって、うりは思ってる。
最初に使った検査薬は、丸い形をしていて妊娠しているとハートマークが現れるというものだった。
初めて使うもので、さっと説明書を見ただけで試してみた。
うりは、ハートが出てくると確信してたの。
でも、結果は、うっすらハートが見えるような見えないようなくらいだった。
「思い込みすぎ」
これは、当時、妹に言われた言葉。
うりは、妹と仲が良くない。特に、これを言った妹とは本当に険悪というくらい仲が悪い。
妹は、何でも否定から物を言う。
否定からは、何も生まれないのに、と、うりは思う。
明らかな間違いならともかく、そうではないものに対して否定から入るのは損をしてるのと同じだと思う。
おかしいなぁ。
うりには、妊娠の確信があった。
何故? と聞かれても理由はない。
お腹の中に新しい命がいると感じていた。
念のためで買っていた2つ目の検査薬も使うことにした。
今度は、よく説明書を読んだ。
「検査棒に尿をXX秒以上かけて下さい」
最初に使った検査薬の時は、軽く尿をかけただけだったのに気がついた。
2つ目の検査薬に、しっかり尿をかけて、1つ目の検査薬にも再度、尿をかけてみた。
2つ目の検査薬は、妊娠していると縦線が現れる棒状の物だった。
「出た!」
うっすらとした記憶だけど、妊娠を示す線が現れた時、うりは声に出していたと思う。
1つ目の検査薬の中にも、はっきりとハートマークが現れていた。
嬉しい気持ちとあふれてくる幸福感に包まれていた。
妊娠している間、最初は「ちびちゃん」とお腹の子に話しかけていた。
安定期と呼ばれる妊娠5ヶ月を過ぎたころ、この子は男の子だと思った。
そう思ってからは「ちびすけ」に呼び方を変えた。
もちろん、この時はお腹の子の性別は判断出来る時期ではない。
この時から数ヶ月が経ってから超音波検査で性別が分かった。
男の子だった。
教えられた時、やっぱり・・・・・・と思った。
それは、アイロンをかけている時に来た。
「いたたた・・・・・・」
腹部に軽い痛みがあった。すぐに治まる痛みだった。
その痛みが、十数分置きに起きた。
そう陣痛がきたんだ。
まっさきに思ったのは、「よかった」 だった。
薬を使って産むというのに、うりは抵抗が強かった。
ドラマなどで見ていた陣痛は、あれは演技なんだなーと思ったのを覚えてる。
陣痛が始まって、病院に連絡して、当時の夫にも連絡した。
それから、うりは、アイロンの残りを済ませてから入院になるからとシャワーを浴びたんだ。
初期の陣痛は、痛みは軽い。
個人差があるのかもしれないけど、うりの場合、初期は痛みは軽かった。
シャワーを浴び終わったころに当時の夫が家に着いて、うりを病院に連れてってくれた。
陣痛が始まったのは、夕方5時くらいだった。
入院の準備は、事前に済ませてあった。済ませておくのが普通かな。
荷物を積んだ車が病院へ向かう。
まだ痛みは、そんなに強くなっていなかった。
名前考えないとね、とか、休日で夜間入院だとお金余分にかかるよね、とか話しながら行ったと思う。
病院についてから、検査やら着替えやらしている間に当時の夫が私の実家の親にも連絡してくれた。
初産なら時間がかかるだろうと言っていたと伝え聞いた。
初めてのお産。
無事に生まれて欲しいと緊張していたせいか、すごく喉がかわいたのを覚えてる。
陣痛の痛みの来る時間の間隔がだんだん短くなるにつれて痛みも強くなっていった。
その陣痛が5分間隔になってから、時間の間隔が短くならなくなった。
お腹には、赤ちゃんの心拍数や陣痛の波を計る機械がつけられていた。
痛みは強くなるのに、時間の間隔が短くならない。
でも、不思議と不安はなかった。
そこからが長かった。
うりより後から入院してきた人が先に出産をしていく。
「お前より後の人のが、どんどん産んでるじゃん」
一応、ずっと付き添っていてくれた当時の夫の言葉。
付き添うのに飽きたのか、5分置きに襲ってくる痛みをこらえてるのを脇目に雑誌を読んでた。
それを見て、気楽なもんだなぁと思っていた。
陣痛の間隔は短くならず、その晩は痛みと痛みの合間に、うつらうつら眠っていた。
そのまま朝が来て、昼になり、実家の親も到着した。
「私に似なかったんだね」
そう親から言われた。
うりは、母から「私が安産だったから、きっとアンタも安産よ」と何度も言われていた。
今、思うと似てなくて良かったと思ってしまう。母とも、今は仲が良くない。
夕方が来て陣痛の間隔が少し短くなり3分、2分となってきて、夕方6時を回った頃、
「お産にしましょう」
と、分娩台に移動になった。
移動になって、すごく安堵したのを覚えてる。
痛みが終わるからではなく、自然分娩出来ると思ったからだった。
陣痛の間隔が止まっている間に何回か赤ちゃんの心拍数がおちることがあった。
「次に心拍数が落ちるようなら帝王切開も考えます」
そう医者から言われていて、祈るようにお腹をさすりながら
「大丈夫だよ。がんばろうね」
そう心で何度もつぶやいていた。
分娩台に上がり、陣痛に合わせて力を入れる。
陣痛は、この時は1分おきくらいになっていたと思う。
うりは、分娩台から機械の数値を何度も確認していた。
心拍数が落ちるというのは、赤ちゃんに苦しい思いをさせているんだということだから。
「がんばれ! がんばって!」
心の中で何度となくつぶやいていた。
「見えてきましたよ。後少しだから、お母さん、がんばって」
看護婦さんの声がしてから、数回、陣痛と共に力を入れると何かが出るのが分かった。
「おめでとうございます!」
そう言われてから産声が聞こえて、無事に生まれたんだと緊張がゆるむのが分かった。
無事に生まれた息子は、分娩台の横の台で処置されているのをずっと見ていた。
元気に泣いてる。
陣痛を感じてから26時間後の出産だった。
あれから十数年が経ったけど、今もしっかり覚えてる。
夏の日。
キレイに晴れていた日。
アメリカの独立記念日に生まれた子。
陣痛の痛みなんて、この子が生まれることに比べたら、耐えるという程のものじゃなかった。
無事に生まれてきてくれた。それが、うりの幸せ。
うりをお母さんにしてくれてありがとう。
うりのところに生まれてきてくれてありがとう。
うりにたくさんの幸せをくれてありがとう。
キミに会えたことが、うりの最大の幸せ。
うりの幸せは、キミが幸せであること。キミが笑顔でいること。キミが生きていてくれること。
大好き。