連日、みなさんからの励ましのメッセージほんとにほんとにありがとうございます。言葉にこんなに救われた日はありません。
地震から6日も経ちましたが目の前の現状はとっても厳しいです。
3月11日
日勤リーダーにていつもの様にステーションで過ごしていると大きくて長い揺れ。
一瞬にて別世界に。
スタッフもみんな恐怖で涙ためて患者さんを避難。もちろんエレベーターはストップ。全職員で階段を使っての避難。
遠くで大きな煙。川からは木のくずや、船も流れてくる。電気もストップでもちろん電子カルテも使えない。
落ち着いて行動なんて無理だったなー。休みのスタッフもすぐにかけつけてくれて手伝ってくれていた。
車のライトしかない街。
真っ暗の中病院からもってきたペンライトで照らしながら家に帰宅するが、ぐちゃぐちゃの家
余震もあり恐怖でなんとか、指輪とおふとんだけ持ち出して車へ。
この時はがっちゃんとも連絡とれず。
携帯も充電なくて、がっちゃんとも連絡取れないし不安と恐怖で車の中でひとり過ごしたよ。ラジオも聞いてたけど身近で起こっている現実におびえる。遠くでずっとサイレンも鳴り響いていた。
空港も津波にのみこまれたみたいだったし。。。
なんとか見れたミクシィでみんなの言葉にすごく励まされたー。
3月12日 夜勤
一睡もできず朝。明るくなり鳥の鳴き声。それだけで生きてることを実感する。
7時過ぎ、病院へいくことに。まだがっちゃんからも連絡なくて。
決心して空港へ。津波にまきこまれた街はグレー一色に。車や、家も流されている。がっちゃんの職場につくと私と、同じ思いで来ていた家族がいた。
名前を呼ぶと、屋上で手をふっているーがっちゃん生きてたー。
みんなで屋上に避難していたよ。
数メータ離れたとこにいるのに助けてあげられない。悔しかったなー
安否を確認して病院にもどり仕事へ。
夕方には、自力で脱出した泥まみれのがっちゃんが病院へ歩いてきていた。あーよかった。
生きていてよかったー
病棟は、家族と離れて運ばれてきた患者さんがたくさん。食事もおにぎり1個と、笹かま3つだけ。
「ごめんね。少ないよね。一緒にがんばろうね。」
お水もでなくてペットボトルの水を少しずつ。
自家発電の音が一晩鳴り響いて寒くて暗い病棟。
夜が明け6時過ぎになると、病院前のグランドから自衛隊のヘリが飛び立ってはすぐに、別のヘリが患者さんを救出してくる。
みんなそれぞれ闘っている。
3月13日
夜勤明け。家にもどってみる。電気、水道、ガス全てだめ。カセットコンロはあるのにボンベがないし・・・
隣のスーパーやドラックストアもガラス割れていて営業できず。外でテントをはって営業。長い列。野菜や、果物はもうないし、飲み物とお菓子と、洗顔シートくらいかな。
1時間以上並んでやっと買える状況。
夜は真っ暗。余震もあるし怖いね。キャンドルのあかりだけでは何もできず。しりとりしてすごすトイレも20分かけて避難所まで。
街ってこんなにくらかったかな。
3日ぶりに足をのばしておふとんで眠れる幸せ。涙こぼれる。
3月14日
冷凍食品の自然解凍と、唯一のこってたレタス。
あー早くあたたかいの食べたい。みんなみんな大変なのに ろうそくや、おにぎり、飲み物、カイロとかわけてくれる。有り難い。
3月15日
勤務が終わり帰宅。電気も水も、ガスも復旧していた。涙
4日ぶりのお風呂。
シャンプーも4回でやっと泡立つくらい。
お湯がたまらなくしあわせ排水口には抜け毛で水がつまるくらい(苦笑)
やっと携帯も使えるーーーー。
3月16日
日勤リーダー
みんなガソリンなくてスタッフも荷物をもって病院に泊まっている。張り詰めた緊張状態が続いています。
久しぶりにテレビを見て災害の大きさを客観的に感じています。
悔しくてやりきれなくて恐怖で流した涙もかれ果てました。
福岡のみんなも節電や募金などいろんな協力をしてくれているそう。
メッセージがほんとにほんとに嬉しい。読み返しています。
明るい朝ってこんなに元気になれるんだったかな・・・
白いご飯ってこんなにおいしかったかな・・・
温かいインスタントコーヒーってこんなおいしかったかな・・・
歯磨きってこんなにスッキリしたっけな・・・
平和なことが当たり前になっていましたね。
すごく楽しみにしていた、20日は帰省できませんが、
必ず笑顔で九州に帰省します。
5月4日の結婚式も延期にしようと思います。
式場ときちんと話して改めて連絡いたします。
生きていることに感謝。
今、目の前の現状を受け止めて希望をもってできることをやっていきます。
緑あふれる大スキな杜の都仙台の一日も早い復興を願って・・・