僕の音への愛着というのは幼児体験からの刷り込み…レコードだから擦り込みだな…から来ていることは間違いない事実。
例えば超一流のオペラ歌手がコンサートホールで歌う子守唄の感動と母が耳元で歌う子守唄の安らぎの違いと言えば分かりやすいかも。
小澤紗来さんをサマサマテッドの実希ちゃんから店でCDを聴きながら紹介されたときには何故か(間違いなく酒のせいである…爆)正直ピンとこなかったんだけど、先月、時の栖にて初めて生を観て胸が高まった。滅多に感じない“高揚感”というのだろう。まぁ実希ちゃんの感性を信じ切ってたんだけどさ。
時の栖で紗来さんの歌声を聴いたときには御殿場生まれの御殿場育ちである、正真正銘、土着派な僕ですら異系ながらも郷愁を感じた。
昨夜のTwitterで『強いて言えば「クリちゃんレコード世代です」』と呟いたのも(まったく反応なかったけど笑)あながち冗談ではなく、紗来さんの歌声やメロディーにはクリちゃんレコードに通ずるものがあったのだ。
時の栖のライブ前だったか…例によって紗来さんに「音楽のルーツはなに?」と尋ねると、しばし少考の末「みんなのうた」との返答には少々困惑しながらも、驚きと共に妙に納得したのだった。
ここ最近、私の娘(息子しかいないけど)ほどの年齢のアーティストから音楽的なパッションを受けることへの新鮮さ…猫沢はるかさん然り…への、ある種の畏敬の念には我ながらとても新鮮なものだ。
例えば僕が幼児の頃から擦り込まれた「クリちゃんレコード」の体験者以外の人々が紗来さんの音楽をどのように理解するのか…僕の興味は尽きないのだ。