ザビさんのこの話しはとりわけ印象深かった。あの時の会話の中でもお互いが手のひらで転がしたり、転がされたり、そのどちらもが心地好かったのだ。「絶妙なバランス」と言い換えてもいい。

ザビさんのブログをぜひ読んでほしい→http://blog2.studio-xavi.com/?eid=1404676

個々のイデオロギーはあるにせよ、俗に言う「反乱分子」がなぜ存在するのか、この話の中に重要なヒントが隠されているような気がする。

「放し飼い」が“野放し”になったり、「管理」が“好き勝手”になったときに、「飼い慣らされるのはごめん!」とばかりにバランスが崩れ(たと感じた瞬間に)牙を剥いたのがロックなのだし、世に言われるロックという音楽のすべてが自由を謳歌するロックンロールや相手を想うラヴ・ソングになったら、これすなわち平和なのではないかと思うのだ。

ザビさんの話しを聞きながら、僕が望む鳥かごの大きさは、若者がちょっと背伸びしたり悪ぶってロックンロールできるくらいの鳥かごなのだと感じていた。

理想郷を求め今日も何処かで誰かがシャウトする。