ザ・ローリング・ストーンズを初めて聴いたのは1974年。親戚の叔父さんにもらった『スルー・ザ・パスト・ダークリー』、あのジャケが六角形で有名なヤツだ。まぁ六角形じゃなかったんだけどさ。



そのスルー・ザ~をターンテーブルに乗せ針を落とした瞬間、それまでテレビから流れてくる歌謡曲しか知らなかった田舎少年にこの世のものとは思えない衝撃が走った…と書けばカッコいいんだろうけど、当時10歳だった俺には難し過ぎた。


でもなんとなく「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」や「ホンキー・トンク・ウィメン」は、ホントになんとなくだけどカッコ良さを感じていたのかもしれない。ちなみに「マザーズ・リトル・ヘルパー」や「2000光年のかなたに」、「シーズ・ア・レインボウ」なんて全く理解できなかった。


そのベスト盤も1曲目と12曲目にしか針を落とさず2年が過ぎ俺も晴れて中学生へと進学。そこで運命的な出会いを果たす。1977年は俺の音楽人生においてもっとも重要な年である…たぶん。


その中学で技術課の教員をしていた新米先生がベースを弾く人で、ある日突然スタジオに誘われた。それから先生の家に行きニューミュージックマガジンの「とうようズ・トーク」を読まされ4本のカセットテープと2枚のレコードを渡された。


レコードはフェントン・ロビンソンという人の『マンディ・モーニング・ブギ&ブルース』と『ザ・ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』。4本のカセットにはそれまで聞いたことのないようなバンドの音源がたくさん入ってた。


シン・リジィ、UFO、カンサス…洋楽といえば我々にはキッス、クイーン、ローラーズが全盛の頃。ハードロックが盛んな御殿場の先輩たちはレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ブラック・サバスなどを聴いていた。アイアン・メイデンはまだデビューしてなかった。


そのカセットの中に聴いたことのある曲を歌っていたバンドがあった。ハンブル・パイの『ホンキー・トンク・ウィメン』、ライブだった。スティーヴ・マリオットのソウルフルなボーカルとバンドのハードな演奏に一発でノックアウトされた。


それからストーンズのベスト盤も聴きまくった。翌年の正月のお年玉で『ラブ・ユー・ライブ』を買った。初のストーンズ・リアル体験はここから。フェントン・ロビンソンやポール・バターフィールドのブルースが染みついていたのかC面のエルモカンボサイドのカッコ良さに目眩がした。


以後、邦楽ロックと並行してストーンズにどっぷりハマったかというとパンクが出現し…その辺の話は次で。