小中学校の頃、演劇教室や映画教室なるイベントが年に1~2回あり、この時間がとても好きだった。

寒い体育館でおしっこチビりそうになりながら観た『黒部の太陽』。『ゴジラの息子ミニラ』を見終わった後、校長に「おもしろかったか?」と訊かれ「うん」と返事をしたら「今はそれでいい」と言われたこと。“ハリ”という愛称で親しまれていた社会科の先生による演劇教室の時の熱演。フィルムの回る音。かなり気になった役者の楽屋。。。

映画や芝居の内容なんてロクに覚えちゃいなかったけど授業の数万倍楽しみだった。

ライブ・コンサートもそうだけど映画や演劇を観るというのは自分史を築くようなものだから人々は劇場やホールに出掛けることの重要さにもっと気づくべきだ。。。早く着きすぎたガランとした会場でそんなことを思っていた。





昨日は御殿場市立南中学校で行われた映画会に出掛けてきた。

上映される映画は『ふたたび SWING ME AGAIN』という、JAZZを題材にハンセン病患者の差別や偏見を扱ったもの(公式サイト→http://futatabi.gaga.ne.jp/)。ただ単に映画や音楽が好きで観に行ったのだけど、地元にあるハンセン病患者療養施設“駿河療養所”の会長、小鹿美佐雄氏の話しなども聞けたことは非常に有り難かった。

学校側の意図である生徒が差別や偏見について考え、そこからイジメなどの諸問題についてまで意見が及ぶことを期待しての選択としてはとても素晴らしい題材の映画だと思う。



財津一郎さんは大好きな役者さんなんだけど吹奏楽やJAZZを演ってた(カジった程度だけど…)から、どうしてもトランペットを吹く時の指の動きとか気になったwwそれにしてもウッドベースを弾く犬塚弘さん(クレイジーキャッツ)はさすがだった。ライブハウスのオーナー役で出演されていた渡辺貞夫さん(何人知ってたかな…)のサックスも聴けたし♫



しかしただっ広い学校の体育館は寒かった!生徒席の女子中学生さんも「寒い寒い」と言っていた。スカートじゃ寒いよな。いろいろあるのも分かるけど制服とか何とかならんのかな。まぁそれはそれで自分史か・・・。



JAZZじゃないけど映画を観ながら頭の中をずっとこの曲が流れていた。ガキ共にこそ聴いてほしいナンバーだ。





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~ ストーリー ~ (ホームページより)
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ふたたび SWING ME AGAINStory ストーリー貴島健三郎、78歳。男は50年の時を経て、友との約束を果たすため、最後の旅に出た。出会ったばかりの孫と共にーー

いつも心にジャズが流れる街、神戸。

大学生の貴島大翔(21)には、密かに憧れるジャズバンドがあった。“COOL JAZZ QUINTETTE” ――

それは、たった1枚のLP盤を残して忽然と姿を消してしまった幻のバンドである。大翔は家に保管されていたコレクションの中に偶然そのLPを見つけ、熱烈なファンになった。



ある日、父・良雄が重い口を開いた。亡くなったと伝えていた祖父は生きている。ハンセン病療養所から50年ぶりに戻るから、我が家へ引き取ることにした、と。

大翔には、生まれて初めて会う祖父・健三郎との接し方がわからない。頑固一徹。会話もない。ところが何の気なしに聴かせた一枚のレコードに、健三郎の表情が一転した。

「嘘だろ?爺ちゃんが、COOL JAZZ QUINTETTEのトランぺッター?」

しかし、健三郎は多くを語らなかった。
そんな健三郎が、黙って家を出た。

「人生でやり残したことがある。50年前のバンド仲間を探したい」

巻き込まれるようにして、大翔はこの旅に同行することとなる。

こうして、急ごしらえの祖父と孫の旅は、かつてのバンドメンバーを訪ねる形で、神戸から京都、そして和歌山へ・・・。50年ぶりの再会に戸惑いながら、健三郎の訪問に喜び、泣き、笑い、興奮する友人たち。

そんな中、一人の女性の存在が明らかになる。彼女は、COOL JAZZ QUINTETTEのピアニストで、ハンセン病の健三郎の子供を産んだことで、家族からも子供からも引き離され、一人さびしく死んで行ったのだという。健三郎が一番会いたかった人とは、この女性=祖母だったのだ。

大翔は、この旅を通して祖父から父・良雄を経て、自分へと繋がる家族の絆を知るのだった。

2人の旅が終わりを迎える時、そこには思いがけないサプライズが待っていた。

神戸の憧れのジャズクラブ「SONE」で、50年間果たせなかったCOOL JAZZ QUINTETTEのライブを実現出来ることになったのだ。

感動のラストステージが、今、幕を開ける――。

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