とつぜんですが、
今いじめに悩んでいるひとはいるでしょうか。
実際にいじめられている人もそうですが、
クラスにいじめがあって「イヤだな」と思っている人もふくめて。
私の中学校はいじめがものすごかったです。
私自身は直接ターゲットにされた、
というほどのことでもありませんでしたが、
(まったく無傷だったとはいいません)
毎日罪のない誰かが、
悪意をもった誰かに傷つけられるのを目の当たりにしてきました。
いじめている子達が、
いじめている相手のところへ近づいていって、
あげつらって笑ったり、
陰口をたたいているのを見て、
心から不思議に思ったものです。
いじめられている子のことが嫌いなら、
関わり合わなければいいのに。
きらいだ、
目障りだ、
むかつく、
といって近づいていっては、
悪意をぶつける子達を見て、
私は本当に不思議だったんです。
嫌いなら、
イヤなら、
むかつくなら、
近づかなければいいのに、
わざわざ近づいていくんです。
私は都条例も同じ構図だと思っています。
理解できない表現がある。
不愉快な表現がある。
そのこと自体は各個人の自由です。
それを批判することも自由です。
でも、
その表現を規制することは、
その人の権利ではない。
見たくなければ見なければいい。
子供に見せたくなければ見せなければいい。
自分の理解できないものには、
近づかないっていうのが大人の振る舞いだと思います。
でも、
わざわざ近づいていって、
表現そのものを消し去ろうという人が、
残念ながら存在するのです。
たしかに、
青年誌には性描写があります。
でもそれを見たくないなら買わなければいい。
子供が買っていたら取り上げればいい。
親が取り上げることで、
子供は「良くないもの」と認識するのだから、
それで十分ではないでしょうか。
特に、
現在すでに存在する18禁作品に比べ、
今回の都条例規制しようとする対象は、
ソフトな性表現です。
当然、
それすら見ることは許されない、
と考える人もいれば、
それくらいならむしろ子供に必要だ、
と考える人もいるでしょう。
そのどちらも尊重されるべきなのに、
子供に見せる権利は、
今回の都条例によって奪われてしまったのです。
これは、
家庭教育への権力の介入だと私は思います。
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