9.1エディオンアリーナ大阪での試合を終えて、感じたことが留まらなかったので帰ってきたぜアメーバブログ
私のカードは
アントーニオ本多&坂崎ユカ&辰巳リカvs
沙希様&操&マーサwithユキオ・サンローラン
そもそもアントンさんとのユカリカの関係性というのは…むかしむかし…某グループで一緒に活動をしていました。
アントンさんは最初からメンバーとして決まっていて、オーディションの特別審査員としていらっしゃってました。
そのオーディション会場にはユカちゃんもいて。
2013年に私はそのグループのために長野から上京をしてきました。
上京したてのグループ活動が始まった直後は、元々ただの田舎の会社員で、素人に産毛が生えた状態の娘だったので、グループの中にプロレスラーや音楽活動をしているメンバーがいる中で、自分はなにができるだろうって少ない脳みそで日々考えては、悩んでいました。
だから、DDTプロレスの会場でチラシ配りをさせていただいたのも、新木場でやっていたビアガーデンプロレスに一週間毎日通うっていうのは必須で。
チラシ配りをするだけならプロレスも観れて楽しいからいいのだけど、生活費も稼がなくてはだから、朝からバイトに行って夕方から新木場に移動してって毎日でした。
さらにダンスの振り入れとかダンス練もしていた気がする。
当時は何者かになりたくて、ただ頑張りたくて、マスクをつけたアイドルレスラーみたいな衣装なのに、まだまだプロレスのこともよくわからない、、
だけどもっとプロレスのこと知りたい!それならやってみるしかないのでは?って気持ちが勝って、内心では不安もあったけど、プロレスを始めることを選びました。
プロレスは何者でもない私の唯一の希望だったんです。
晴れてわたしは、ユカちゃんと一緒に東京女子の練習生となることに。。
その頃から考えるといやまさか!
東京女子のリングでアントンさんと一緒に闘える日が来るなんてこれっぽっちも思わないでしょうよ。
私たちのオファーを受けてくださって、本当にありがたかったし狂喜乱舞でした!
精神を鍛える公開特訓も行い(ゆーちゅーぶで観れるけどどうにもこうにも消してほしい)
9.1を迎えました。
始まってほしくない試合なんて初めてでした。
闘いが始まったら終わってしまうから。
もったいないという感覚が1番近い。
それだけ特別な気持ちだった。
アントンさんの入場曲が鳴り響いて。
その瞬間からはっぴーのドーパミンがどばどばと溢れて仕方なかった。
憎き美軍と対峙して、でもなんとか3人で連携を決めることができた!
アントンさんのごんぎつねの話が始まって、聞きたいけど聞きたくないって葛藤していたらわたしの目の前にきつねがやってきた🦊
必ず勝つ、パミを取り戻すって強い気持ちでいたのに、気がついたら終わりのゴングが鳴っていて、高い高いエディオンアリーナの天井がぼやけた視界の中でうっすらと見えた。
パミは変わってしまった。
でもね、リングの上では嘘はつけないから、思い切りやりあえたって感触が確かにあるんです。
ハイパーミサヲはまだどこかにいるんだと感じた。
精神面は地獄のような公開特訓のおかげで鍛えられたし、なぜ負けてしまったのか…あとあとになって対策が甘かったのかなって気がつきました。
全てを捨てて変わることを選んだパミに、強力な技も身につけているパミに、一筋縄では勝てないと体感しました。
でも諦めないでいます。
#パミロス でしょみんな、
なにより、わたしがまたハイパーミサヲに会いたいから諦めません。
過去のことを知らなくても少ない情報を探してなにかを感じとってくださったり、あの頃から追ってくださっている方が今でも応援してくださっていて。
ねー。。☺️
とてつもなく暖かい気持ちになりました。
これからも変わらず1番大切なものです。
負けてしまったんだけど、夢みたいな幻みたいな流れ星みたいなきらきらな気持ちも、痛みや悔しさだけは妙にリアルで、全部混ぜ込んで味わった感覚は二度とない。
こんな気持ちになったのもすべてはプロレスに出会ったから。
プロレスを続けてきたから。
わたしもプロレスの魔力にやられたひとりなんだなーって思う
続けていれば、またこのタッグで闘えることがあるかもしれない。
またいつかの日のために、心身共に鍛えていきます!!!