近年稀に見るスピードでの梅雨明けとともに、間違いなく人を殺しにかかっている暑さが到来しました。こんにちは。こりえです。



先日、しばらく針がとまっていた腕時計を修理に出しました。3年ほど前に、仕事を頑張った自分にと購入した、少し背伸びした金額の時計です。いいものなのにシンプルなデザインでとてもお気に入りです。


せっかくなので、去年からずっとなおしていない母の時計も持っていくことにしました。

母が最期のその瞬間にまで身に付けていた腕時計。私がもっている母の遺品の中ではもっとも母が使い込んでいたものでしょう。

それは私には少し大きく、つけるためにはくさりをひとつふたつ外す必要があったのですが、なかなか時計屋さんに行く機会もなければ、また、母のサイズ感を変えることへの少しの寂しさもあったのです。


家から歩いて5分もかからないところにあるその時計屋さんは、家をそのまま解放している形の時計屋さんでした。がらがらと扉をあけると、そこにはさまざまな時計の山と、そこから顔をのぞかせるおじいさんがひとり。ちくたくと心地よい音が流れる、まるでジブリの世界のような時計屋さんでした。


私の時計の修理は少し値段が張りましたが、母の時計はサービスとのことで無料で調整してもらえました。


持ち主が生きているのに針の止まった腕時計と、持ち主がもうこの世にいないのにも関わらず今もしっかり動いている腕時計。

物にはいのちは存在しないのだということをぼんやりと考えました。





こりえ
koriezo.info@gmail.com