あなたへと続く道
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抗がん剤治療の結果

大学病院での抗がん剤治療は2週間を1クールとして2クール行った
 
 
 
治療を続けていくうちに 旦那はどんどん衰弱し 意識も朦朧とする日が多くなった
 
 
会話のキャッチボールができない と言うか…
 
私の問いかけに全く関係のない返事をしたり
 
天井を指差して『ヨットビックリマーク船』と叫んだり…
 
まるで痴呆症のお年寄りの様で
 
 
高熱を出す日も多くなり 頭髪も抜けた
 
 
さすがにもう 黙ってみていられる状況じゃなかった
 
 
そんな時 義理の姉が見舞いにやってきた
 
 
変わり果てた旦那の姿に 義理の姉も驚いた様子だった
 
 
私は義理の姉を病室に残し 飲み物を買いに売店へ行った
 
そして病室へ戻った時『Mくん 信心するってビックリマーク』と義理の姉が言った 
 
 
!?なんで!? 絶対やらないって言ってたし だいだい意識もはっきりしてないだろ�
 
そう思いながら 旦那の耳元で『本当に信心するって言ったの�』と聞いてみた
 
そしたら それまでは夢うつつの様な状態だった旦那が しっかりと目を開け声は小さかったがはっきりとした口調で
 
『やる』と言った
 
 
私がジュースを買いに売店へ行っていた10分程度の時間で 義理の姉が折伏したのか� 嘘だろ�
 
私は何度も何度も旦那に聞き返した
 
『本当に� 本当にやるの�』
 
何度聞いても旦那の答えはYESで しかも『俺の為に 沢山の人が集まって祈ってくれてるんだってさ…  俺がやらなきゃ申し訳ないだろ�』と さっきまで会話もままならなかった人が はっきりと話している事にも驚いたが 何より いくら私が折伏しても『俺はやらないビックリマーク』と言っていた旦那が ものの10分くらいで折伏されちゃった事にもすごく驚いた
 
 
 

抗がん剤治療 初日

抗がん剤治療は 夜の点滴から始まった
 
 
 
夜 ゆっくり時間をかけ点滴で抗がん剤を体に入れていく
 
 
それが終わったら 翌朝注射で また抗がん剤を入れる
 
 
 
とても心配だったけど 完全看護の大学病院の為 泊まりの付き添いは許されなかった
 
 
『頑張ってね!』 と後ろ髪をひかれる思いで 病院を後にした
 
 
 
その翌日
 
 
病院に行ってみると 一目見て旦那の様子がおかしいと感じた
 
 
 
うつろな目をしてぐったりしている旦那
 
 
『大丈夫?』
 
声をかけると か細い声で
 
『抗がん剤始まったらさぁ 凄く寒くなって… 気持ち悪くなって…  夜中ずっと吐いてたし 熱が40度も出たんだぜ 死んじゃうかと思ったあなたへと続く道-70P701351_DCE0008.gif
 
 
 
 
 
あまりにも昨日とは違う旦那の様子に とても驚いた
 
『今も熱あるの?』
 
 
『だいぶ下がったみたいだけど… 』
 
 
『そっか… 頑張ったねあなたへと続く道-ファイル00700018.gif
 
 
 
 
しばらくして 検温に来た看護婦さんに こんなに具合が悪くなって 大丈夫なのか聞いてみた
 
 
『抗がん剤の治療は 辛いのが当たり前です』 
 
と もの凄い事務的な冷たい感じで言われてしまった
 
 
 
 
『また 今夜も点滴入れるの 嫌だなぁ…』
 
一日目で弱音を吐くなんて よっぽど辛かったんだ
 
 
看護婦さんに 『心配だから 夜付き添っても良いですか?』って聞いてみたけど 
 
 
『何かあったら 私達がいますから 大丈夫ですよ』
 
と 速攻却下されたあなたへと続く道-image1535000100010002.gif
 
 
 
 
私ができる事は 励ます事くらいで
 
 
 
『ガン細胞をやっつける為だから 頑張ってあなたへと続く道-image1160007.gif
 
 
って わざといつもと変わらないテンションで 旦那に言ったけど 心は不安でいっぱいだった
 
 
 
あまりにも 前の日と 旦那の顔色も 声のトーンも 別人の様で…
 
 
 
ベッドでぐったりしている旦那を ただ見ている事しか出来なかった
 
 
 
あの時
 
 
 
抗がん剤治療なんかしなかったら
 
 
 
あんなに苦しい思い させなくて済んだかな…
 
 
 
最期の時まで 私が好きだった 旦那のままで いられたのかな…
 
 
 
 
今となっては言い訳みたいになっちゃうけど
 
あの時は本気で奇跡が起きると思ってたんだ
 
 
主治医の先生だって 抗がん剤とぴったり相性が合えば 肺のガン細胞が消えて 腎臓の手術もできるかもしれないって 言ってくれたから
 
 
 
 
でも 結局その後
 
抗がん剤のせいで 旦那は生死を さ迷う事になる
 
 
 
 

負けそうな心

病院へは毎日 片道40分最低2往復はしていた


何故なら 食事の支度 掃除や洗濯 息子の保育園へのお迎えなど 全部私がやらなければならなかったから…


かと言って 旦那の病院に義両親が行ってくれるわけでもなかった



息子への愛がないのか 私への嫌がらせなのか…


とにかくパチンコ三昧の両親を 私は信じられなかった




治療法があるとわかったんだから 旦那にも信心してもらいたいビックリマーク 一緒にお題目をあげたいビックリマーク


そんな思いから
抗がん剤治療を始める前日 意を決して旦那に信心の話をしてみた




答えはNOビックリマークビックリマーク



『俺は何があっても絶対にやらないビックリマーク』それが彼の答えだった





折伏って難しいものなんだな… 自分の力のなさに落ち込んだ


唯一の救いは『お前はやっていいよ』と言ってくれた事


やっていいと言ったって 当時の私は会合にも参加していなかったし 聖教新聞(学会の新聞デス)も 朝一番で義母が破いて猫のトイレにしてしまうので 触る事すらできなかった

部屋でゆっくりお題目をあげる時間もなく 家事をしながら胸中題目 病院への往復の車中で題目 寝ている旦那の横で胸中題目

それしか できなかった


それが精一杯だった



私の方がくじけてしまいそうだったけど 私の実家がある地区の同志の皆さんが 旦那の為に唱題会をしてくれていると義姉から聞いた時 涙が出るほど嬉しかった



私が子供の頃から 可愛がってくれた地区のみんなの顔が浮かび ありがたくて 嬉しくて 感謝の気持ちでいっぱいになった





学会の同志ってあったかいな…

私が負ける訳にはいかない!



みんなのお題目が私に力をくれたんだと思う





そしていよいよ 旦那の抗がん剤治療が始まった





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