ママが自分の親ばかさ加減を知るときがあるのだ/『ママ友』って・・・
時々ね、あるわけです。この子結構すごいんじゃないのって思っちゃう時が。
(例えばこんなときとか 『立体に強いのだ』 Wed, July 15, 2009)
言葉の言い回しだったり、理解力だったり、記憶力だったりね。
でもね、
(前の穴からも横からも見えているのに、自分自身は完全に誰の目にも触れない状況だと信じている)
(その達成感ゆえ笑ってしまっている上に、その笑い声も聞こえている)
ああ、あたしはしっかり親ばかやってるだけだ、と思う
Richard won 32歳のブログにようこそ。
息子がすごいというよりは、「こどもってすごいなあ」と思うことのほうが実際多いんですけどね。
この子が、左京が、と特定的に考えるよりも、
わあ、このくらいの子(5歳9ヶ月)ってこういうふうに考えられるのね
って。
やはり普段ママ友(ここでは幼稚園を通じて知り合った母親業やってる友達のことを言います)と情報交換したり
左京の友達と触れ合うことで、だいたいわかるんです。
このくらいの子のこんなかんじ、というのが。
そのなかに、時々ぴんと光る一瞬があって、それをあたしたちは見逃さない。
案外見逃さないです。
具体的には書けない。
なので、表現不足で伝わらないかもしれないことを覚悟して書きますが・・・
結果として状況も使われる言葉も彼らの取った行動も違っても、その思考の回り方(『思考回路』という言葉を造った人はすごい)は
だいたい彼らの“全体”の状況を教えてくれるんです。
5歳、6歳の世界。どんなことをみんなで面白いと思い、どんなことをみんなでつまらないと感じているのか。
そこからちょっと外れたすごいことがあったら「わあ!」となりますし、ちょっと外れた悲しげなことがあれば「どうしたんだろう」
「どうしちゃったんだろう」ということになる。ママ友同士で話題に出してみる。
ママ友。
「ママ友」と書くと、そこに派閥があるように言われたり、いわゆる「仲良しグループ」で「排他的」に思うかもしれない。
だけど、そのにはコミュニティとしてのマイナスの力だけじゃなく、プラスの力も存在すると思うんですよね。
あくまでママ友というのは「その子供同士の関係あっての友達」です。
あの子はこういう子、この子はこういう子。その中で自分の子はどういう子なのかを自分自身で導き出す。
あなたの子は(もちろんこんな他人行儀な言い方はしない、なんとかくん、なんとかちゃん、あるいは家族や親族のように
呼び捨てで)こうなのね、こういうときにはそうなのね、と話をしていくうちに、一人視点の限界を簡単に超えられちゃう。
決定的なものさしも教科書もないことをみんな重々解っている。
最後の最後に判断するのは自分自身であり、誰も自分自身の最終的なところにはたどり着けないことは解ってる。
だけど、助け合うことはできる。
「言葉程度で」と思うかもしれないですが、その言葉がどれだけの力を持っているかは、この4年間ブログをやっていて
十分理解しています。十分解る方もいっぱいいると思います。
頼り過ぎないように、依存しすぎないように、やりすぎないように。
そして最後に信じるのは自分自身のことだと忘れないように。
そういうことに注意してやっていくという意味では、ママ友コミュニティも他の社会でもまったくおんなじだよ。
必要以上に恐れないではいっちゃっていくほうが、世界は拓ける。それもどこでも同じ。
(ちなみに、巷でよく言われる「なんとかちゃんのママ」という呼ばれ方は殆どないです。あたしはりかこちゃんと呼ばれているし、
葉月さんと呼ぶひともいるし、そこは仲良しの程度はあまり関係なくそのひとのスタイルだったりします。)
もちろん、もちろん、自分自身を変えなければどうにもならないようなコミュニティに強いて入る必要は、ないです。
一切ね。
もう一度書くけど、そこは「ママ」であろうと独身の「葉月さん」であろうと、同じ。
ここに「こどものためだから」を持って来るから、ちょっと異色な雰囲気かもし出しちゃうんだよね。
こどものために他のお子さんと遊ぶ機会を持ちたいなら、降園後に毎日1時間園庭で放牧してあげれば十分。
眺めていれば、自分の子がどんな風に誰と触れ合っているのか解ってくる。
1日や2日じゃだめですが。その日残っている友達の面々によっても、違ってくるから。
本当はそれで十分なんだと思う。おうちでゲームやおもちゃやお菓子に囲ませてあげる必要はないです。
子供は喜ぶけどね。それはそれ、これはこれ。
ちょうど今次男右京が小さいし、友達もみんな小さな弟ちゃん、妹ちゃんがいて、それでどうしてもおうち遊びの機会は
多いですけどね。それが必ず必要かというと、あたしは必要ないと思っています。
(最近は自分があったかいコーヒー飲みたいがためにやってる傾向あり。お菓子に囲まれてるのも子より自分、みたいな。)
なんだか偉そうに申し訳ないですが、一度書きたかったことなので書いてしまいました。
捨てたもんじゃない世界なのよ、と。
保育園の時(左京は丸2年間保育園に通っています。私立に1年、公立に1年です)はこんなの気にしなくて全然済んでたから、
やっぱり幼稚園特有のなにかっていうのはあるんだろうと思います。父母会の質も違うしなあ・・・。
気を遣い始めてしまったら、延々と気を遣うことにはなります。
我慢しないでものの言えるキャラで居られる場所がいちばんよいね。
(あなたはどこでも・・・とか言わないで、案外小心者だから。平和がいいもの。誰も傷付けたくないもの。)
あたしだって、子供のこと全然見ないで見事に井戸端やっちゃってるコミュニティに入ろうだなんて思わん。
子供同士仲がよくても、それは保育時間だけでいいやって思うよ。
でも、そういうコミュニティはあまりないです。
自分の子に危険が及ぶことはないか、より、自分の子が他人に危害を加えるようなことがないか、を
ちゃんと気遣う女性は、ちゃんといっぱいいる。
子育ての方針は自由であることと、間違いは間違いなのだとはっきりいうことは別なのだと理解している両親も。
なんだかぼんわりとした表現で申し訳ないです。
一緒に子育て楽しめる仲間がいるのはいいよ、って。それだけ。別にママ友推進派ではないです。
いつも右京をきちんと「見てくれて」ありがとう。彼の変化に気づいてくれてありがとう。
あたしもそうありたい、自分の子にしてほしいことは彼の友達にもしてほしい。そうあってほしい。
自分の子にしてほしくないことは彼の友達にもしてほしくない。
それが伝わる態度で接したいと思う。
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過去記事 幼稚園で一気に大勢ママ友を作るには
もちろん向き不向きはある、とそれはなにをするにつけても思いますけど・・・
なんだろ、ある程度は「参加に対する姿勢」でカバーされる、という考えです。
とすると、別に「役員」とか「なんとか長」じゃなくても、あるわけですよ委員会なり係なり。
そういうところから逃げよう逃げようとするひとは、あたし他の面でもそのひとのことは好きになれない。
そういう「姿勢」って、他の行動にもなにか一貫する傾向を持たせるんだよね。
やってもいないのにできないと決める、自分の子にそういう人間になってほしいかね。ほしくないし、
「このくらいのことで人間性とやかく」と言われるならこのくらいのことほほいと引き受ける度量を持てよ、と。
(誰にもそんなこと言われていないので、ただの想定怒りです。思い出し怒りよりタチが悪い。)
あたしも保育園ではバザーの係くらいしかやっていません。
これまた面倒な係ではあったわけですが、みんなすごく声がけをしてくれて失敗なく終われました。
コミュニティとして考えると、正社員からパートになった話を「甘いよ!」のひとことで一蹴されちゃうところではちょっと
あたしは厳しかったですね。それは世の中的には当然そうだけど、そうできない理由があったからそうしたんだ。
ただ、みんな自分自身も、自分自身の時間もしっかり持っていて、“お互い様子伺い”的な面がない。
いわれたいこといわれちゃう代わりに、言いたいことも言えていたから気持ちよく過ごせました。
(公立保育園での経験談です。私立保育園のほうはほんとうに父母会にはノータッチ つか 息子看病の1年。)
あたしはひどく偽善的なことを書いているのかもしれない、けれど、偽善的でもそう見えてもかまわないから、
きちんと動ける人間でありたいです。いざというときに立ち止まるだけにならないように。柔軟に。
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11月に入り、幼稚園では劇の練習が始まりました。
幼稚園の劇ってみんなそうなのかな? 左京の幼稚園の劇は殆ど「ミュージカル」です。
発表会は12月の最初の週。毎日練習するわけでもない1ヶ月ちょっとの間で、彼らは台詞も振り付けも覚えちゃう。
年長さんは役決めもきちんとしていて、自分たちで話し合って決めるんです。
年中さんのときはよほど多くなければ好きなものに好きなひとがなってたから、リトルマーメイドのフランダ役、7人いたもんね・・・
そのうちひとりが左京でした。
今年は左京は自分で「かっこいい(ゴウカザルみたいで←ポケモンの強いの)」と言って選んだ「サル」の役です。2人だけ。
お話は『オズの魔法使い』。あたし・・・この話一切知らないので・・・どんな役かまったくわからん。
ただ、ママ友情報及び左京のお友達が教えてくれたところによると、(左京は自分のことあんまり言わないんだもん)
かっこいい踊りで、他の役より踊りの時間が長い、だとか。そしてちゃんと台詞もある。
去年フランダを選んだ理由のひとつが「フランダは台詞がなくて踊りと歌だけ」だったと予測される左京が・・・
よくそこまで・・・(笑)
とってもたのしみ。
先日うちに遊びに来たユリちゃんとふたりで、劇の台詞を言っていました。大声で。
今年はユリちゃんも同じクラスだから、おばちゃんは発表会の楽しみが増えたわ。
ふたりで叫びあっていたのは、西の悪い魔女(あってる?)の台詞らしい。
「みろころしらずのおろかもの!!(・∀・)」
「申し訳ないんだけど・・・それ、『身の程知らず』じゃないの?み、の、ほ、ど、しらず:*:・( ̄∀ ̄)・:*:」
「ちがう!」
「ちがう!」
「み!ろ!こ!ろ!しらず!(・∀・)」(ふたりで)
その後、みろころしらずのおろかものは延々と繰り返されました。
本当に『みろころしらず』なのかどうか確かめる楽しみも増えました。
(さっきまた劇の台詞のひとことで、「ひとさらい」って言ってから「ひとさらいってなに」って訊いてきた・・・
わかってないで言ってるの、とってもかわいい。)
長いな~この記事も
最初書こうと思ったのは「案外見逃さないです」までだったのに、何故こうも? まとめられず申し訳ないです。
※こどもの顔が明らかに分かる写真をネット上に載せることは大変危険です。私の場合、次男はまだ保育所に預ける等長時間離れることがなく、
かつ今後顔に変化のあると考えるため載せており、長男の場合はそのままでは顔の造作の分かりにくい写真のみをピックアップして載せています。
あるいはそのように画像編集しています。みなさまのところでこどもの写真を扱う際には十分お気をつけください。
/ / /この注意喚起文は毎回同じです。(2008.3.19~)/ / /