また夏が終わる。嗚呼サウダージ。
↑↑(唄、ガットギター、リズム全てがホントに最高。2009年。サウダージな一枚。)
詳しくはコチラ→Fred Martins(フレッヂ・マルティンス)/ Guanabara
どもrhodesです。
札幌の夏、何だか年々暑くなっている気がします。
本気で地球温暖化を感じます。
しかしまあ、そんな夏ももう終わりです。夜はとても涼しい風が窓から入ります。何だかサウダージです。
サウダージという感覚がどんなものか、よくわかりませんが、このアルバムを聴いている僕が感じているものがまさにそれなんだろうな、と勝手に想像しています。
琴線音楽さん 、いつも名盤の情報をありがとうございます。とても参考になります。
ソンナカンジ。
ビル・エバンスとRHODESピアノ
↑↑(ビル・エバンスの隠れた一枚。非常にツウ好みなトゥーツ・シールマンとの掛け合い、そしてRHODESピアノとビル・エバンスが衝突してます。演奏といいジャケといい、理性ある人の眼には○リッていることがはっきりと判ります。)
どもrhodesです。
ご無沙汰しておりました。札幌も今日はとても暑く、30℃くらいになりました。
そんな訳で今日は久々に僕にとってのジャズ・ジャイアンツの一枚を紹介します。
ビル・エバンスと言えば、「ワルツ・フォー・デビー」や「お城のエバンス」で誰もが「初めてのジャズ・ピアノ」として通る人物かと思います。
しかし、彼のことを深く追いかける人たちにとっては、初期の「光」とは裏腹に、後期はクスリにまみれたステージ、そして魑魅魍魎が跋扈するディープな音源たちの乱発という、「影」が知られるところであります。
某アジアの模範アイドルが逮捕されたことを受け、つくづく人間は弱く、そして業が深い生き物だなあと思い、今日の二枚を選びました。
↑↑(同じく巨匠の1970年のRHODESな一枚。FROM LEFT TO RIGHT。咥え煙草。片手にスタインウェイそして片手にRHODES。ウーム、HMV恐るべし。これが1000円ちょっとで買えるとは・・・・。)
カインド・オブ・ブルーで注目されてワルツ・フォーデビーで全ての音を支配し、そしてすぐに右腕ベーシスト失った彼。
きっと後期の寂しさは尋常でなかったんだろうな。
ソンナカンジ。
ブラジル音楽 meets RHODESピアノな名盤
↑(40年以上第一線なアントニオ・アドルフォおじいちゃん。FENDER RHODESではなくてRHODESピアノと書いたのは、恐らく彼が使ってるのがそれだから。)
どもrhodesです。
(コレすごい。久しぶりにツボな一枚に出逢いました。新品なのに何故かディスク○ニオンで525円で売ってました。多分値付けミス。)
↓↓
↑↑(ブラジルの作曲家/ピアニスト、アントニオ・アドルフォが2人の娘キャロル&リサと共に出したDESTINY。2007年
。ボサノヴァmeetsアイズレー、サポーテッドバイ、ワウワウ・ワトソン的作品。ゲストにアジムスのドラマー、イヴァン・コンティらが参加。)
究極のザ・RHODESピアノワウカッティングギターミュージック、と言う趣きのアルバムです。
アイズレー、マルコス・ヴァーリ、クルセイダーズ、アジムス、ワウワウ・ワトソンっぽい音が満載で、彼らを好きな方にとってはツボであること必至です。まるでリオとNYとLAを行ったり来たりして録音したみたいな音。ジャケはこれ以上ないくらい60年代的ですが、サウンドはおもいっきり70代マナーです。
聴き終えて、ふと近年のブラジル音楽と僕の関係について客観的に分析しました。
マルコス・ヴァーリの新作などを聴いても割とすぐに飽きてしまい、結局はスタン・ゲッツとチャーリー・バードのJAZZ SAMBA など普遍性のある古典を沢山聴いてしまいます。同様にこのアルバムも、「僕にとって普遍的なGOOD MUSIC ブラジル編」として長く聴ける気がします。ガットギターとRHODESが同列というかなんというか。
↑↑(Stan Getz / Charlie Byrd のJAZZ SAMBA。1962年。さすがにローズはまだ売ってません。)
今宵の二枚に共通なのは、消費する音楽じゃなくて所有する音楽、というところでしょうか。
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第七夜) 最終回
どもrhodesです。
マイケル・ジャクソンの追悼特集、本日をもってひとまず終了とさせていただきます。ご愛読ありがとうございました。
先日大型CDショップを覗いてみたところ、そこにはマイケル追悼コーナーがあり、大学生くらいのカップルがディスプレイに釘付けになっておりました。スリラーのPVが流れておりました。ウンウンそうだろう、そうだろう、と微笑んだ僕であります。
僕は、こうして幾つかの記事を書き連ねてみることで、
マイケル(とそのブレインたち)の凄さを再確認いたしました。
この稚拙な特集中に登場した関係者たちは、皆70年代後半から80年代前半にかけ、ものすごい輝きを放っています。彼らの作品を掘り下げながら、マイケルの功績を惜しむのもまたよろしいかと思います。
そんな訳でオフザウォール、スリラー、と回想してきた札幌ファンク馬鹿が最後に取り上げるのは、81年のジャクソンズのライブ盤です。
ここにジャクソンズ・ベスト・ライブ貼ります ←この7月に再発されました。
すでに入手困難に!?すごく売れてるらしいです。
本作の「ROCK WITH YOU」、是非とも聴いていただきたいです。
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第六夜)
↑↑(マイケル死すもジャイケル来日。O田さん情報ありがとうございます。)
どもrhodesです。
第六夜。なんとジャイケル・マクソンの緊急来日が決定した模様です。
それはさておき、スリラーの中で僕がダントツで好きなのは、最後のバラード曲「THE LADY IN MY LIFE」であります。しかし、これはとんでもなくイイ曲なのに、何故かシングルカットされませんでした。
先日ご紹介した「SHE'S OUT OF MY LIFE」 とはまるで対照的な扱いを受けております。
スリラーの中で、この曲をフェイバリットに挙げる方にあまりお目にかかりませんが、ギターのイントロからもう、
ただならぬオーラを放つ、奇跡のスロウです。自身による多重コーラスの完成度も凄すぎです。
↑(スリラー2001年の再発の特別企画盤。マイケルすごくいい表情!トラ!)
音源貼ります。興味ある方はご確認ください→ THE LADY IN MY LIFE
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第五夜)
どもrhodesです。
マイケル追悼も第五夜。2ndアルバム、スリラーについて。
さてコレはいまさら何も言う必要がない、世界で一番売れたレコードな訳ですが、僕は彼の死後、FMの特集番組により、「実は再発盤だけの曲」や「お蔵入りした曲」のこと、初めて知りました。
2001年の再発盤スリラーに収録されて初めて世に出た「Carousel(邦題はメリー・ゴーラウンド)」。皆さんはコレの存在を知ってたんでしょうか!?
先日生まれて初めて聴き、驚きました。コレがボツになったとは、まったく、なんてレコード!!そしてなんて才能!!なのでしょうか・・・。
噂によると、このような当時お蔵入りした曲が、まだまだ山のようにあるとのことです。しかしまあ、本当に曲がイイ。特にこのトラックはマイケルのひとり多重コーラスワークが、鳥肌モノです。
おお。RHODESのイントロが美しいフルレングスのバージョンもあったので貼ります→Carousel (Full)
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第四夜)
オマケでここに恐ろしくファンキーな→ブラザーズジョンソンのストンプの動画貼ります←
どもrhodesです。
しつこいですがOFF THE WALLばかり聴いています。
写真の方もマイケルの黄金期を支えた重要人物です。ベーシストのルイス・ジョンソンです。彼のベースラインを聴いて、
「こういうスカスカなジャズベの音、時代だよなあ。」
と、いつも思っていました。
しかし・・・どうもマイケルのアルバムにおける数々のプレイもミュージックマンスティングレイベースのようです。ガクぅ。
つくづく自分の耳はいい加減だ、と。
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第三夜)
→ここにGregの1st貼ります。気になった方どうぞ 。←2001年に再発CD日本盤出たきり。本国でも日本盤が60ドルくらいで取引されてます。今後かなりプレミアつくと思われます。
どもrhodesです。
ずっと、OFF THE WALLしか聴いてません。Rock With Youだけで訳知り顔になっていた自分を激しく責めながら、何度も何度も聴いていると、いろんな発見があります。
例えば、OFF THE WALLには「The Most シングル曲らしからぬ曲オブ マイケル・ジャクソン」が収録されています。
「She's Out Of My Life / あの娘が消えた」
素晴らしい邦題です。ディスコ全盛の時代に、これほどのスロウがシングルとして切られるのは誠に稀有なことだと思います。何がEpicにそうさせたのでしょうか。
マイケルが鬼気迫る感じでレコーディングし、途中どうしても泣いてしまうものだから、幾度も録り直しになり、現場はみんな困り果てたということです。
この曲はほぼ全て、スティービーのバンドにいたグレッグ・フィリンゲインズが弾くRhodesピアノに支えられています。ベースはルイス・ジョンソンでギターはラリー・カールトン。
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第二夜)
↑↑(つい先日も書いたシーウィンド77年の傑作。ハワイのバンドだがJerry Heyらホーン・セクションとRhodesの渋さが北米で話題になった。)
どもrhodesです。
マイケル追悼特集の第二夜。「Off The Wall」がどれほど良いアルバムだったのか、ホーンの面で少し。
70年代後半以降、ファンク/ディスコ/ブラコン界にはSEAWIND HORNS-ジェリー・ヘイ隊(ジェリー兵隊)-というすごいブラスチームがいました。実は彼ら、シーウィンドのオリジナルメンバーです。
「Rock With You」でのホーンアレンジとプレイは本当にカッコイイです。ジェリーはOff The Wall全体のストリングススコアも書いてます。
<SEAWIND HORNS>
Jerry Hey :Trumpet & Flugelhorn & French Horn
Larry Williams :Piano , Key , Sax & Flute
Kim Hutchcroft :Sax
ソウルやファンクを聴いて「このホーン部隊カッコイイなあ」と思って裏ジャケをみると大抵はジェリー・兵隊だったりします。大袈裟かも知れませんが、Off The Wallで高い評価を受けたから、その後の気持ちいいホーンの「型」が確立したんだと思います。
ソンナカンジ。
追悼特集 マイケル・ジャクソン(第一夜)
どもrhodesです。
いまだに彼の死を受け入れることが出来ません。これほどひどい空虚感を僕にもたらすとは・・・。
追悼の思いを込め、しばらくはマイケルについて書いていこうと思います。読者の皆さんが少しでもホントのマイケルの歴史について知ってくれれば、彼もきっと天国で喜んでくれることでしょう。
パフォーマーとして、または奇行の人として知られる彼ですが、シンガーソングライター/ミュージシャンとしての彼と、そのパートナーたちをピープルツリー的にフォーカスし、再評価してみることにします。とりあえず関連性のある沢山のレコードを、ただやみくもに貼りつけて勝手なことを書きますので、皆さん好きなように掘り下げてみてください。
僕は数あるマイケルの楽曲の中で「Rock With You 」が最も好きなので、まず第一夜は、クインシー・ジョーンズとロッド・テンパートンについて。
↑(1stソロアルバム、オフ・ザ・ウォール。クインシープロデュースで1979年作。Rod TempertonがRock With Youなどを作曲。)
↑(ジョージ・ベンソンのギブ・ミー・ザ・ナイト。同じくクインシープロデュースで1980年。曲はほぼ全てRod Tempertonのペンによる。世界で一番オフザウォールっぽいギターボーカルアルバム
。)
↑(クインシー・ジョーンズ本人名義1981年の名作。マイケルはコーラスで参加。4曲はRod Tempertonが書いてます。)
↑(件のRod Temperton。英ファンクバンドHeatwaveのキーボーディストだった。ポップミュージック史上もっとも重要な作曲家の一人なのに、日本での知名度は異常に低い。)
さて、3枚の名作アルバムを世に出た順に挙げましたが、どれもクインシー・ジョーンズとロッド・テンパートン両氏が中心となったものです。
マイケル : 「誰か僕をプロデュース出来る人いないかな?」
クインシー : 「ああ、ワシどう?そんでロッドも渋い仕事するんだよね。」
かくしてこのモンスタートリオ(2ndのスリラーにも続くドリームチーム)が生まれました。
マイケル自身も一人の青年として良い曲を書けるようになった頃であり、クインシーは1曲目にそれを収録するなど彼のプライドを尊重しつつ、ディスコ/ファンク/ポップの絶妙な味付けでOff The Wallを完成させたと言われています。僕は兄の影響もあり、それをほぼリアルタイムに聴きました。
その後ジャズやファンクを意識的に集めるようになった20歳くらいの僕は、初めて「Give Me The Night」と「The Dude」に触れ、聴いた瞬間に「これはクインシー・ジョーンズとロッド・テンパートンの仕事だ!」ということが分かりました。
直感でそういうことが分かるのって、他にあんまり無いんです。
オマケ有り 。
ソンナカンジ。