存在するものとしないもの① | 哲子の部屋

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哲学系メモ帳と哲学に向かないヒトビトの観察日記。

存在しないものはそもそも認識できません。(そしてまた認識できるものがすべてとも限りません)

 

人間が言及してるもの、それが何かの事である限り、それは何かとして存在していますし、また、何の事か分らなくても、それはただの音だとか、記号だとか、特に意味は無いのかもしれませんが、それでもそれらはそれぞれの形式でちゃんと存在しています。

 

存在していないものに気づくことはできません。

 

だから、空想は空想として、誤解は誤解として、間違いは間違いとして、この世界にあるものだと考えられます。これが存在の形式です。

 

※出来上がりを見たら長かったので三つに分けました。

 

存在するものとしないもの②へ続く

 


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