存在しないものはそもそも認識できません。(そしてまた認識できるものがすべてとも限りません)
人間が言及してるもの、それが何かの事である限り、それは何かとして存在していますし、また、何の事か分らなくても、それはただの音だとか、記号だとか、特に意味は無いのかもしれませんが、それでもそれらはそれぞれの形式でちゃんと存在しています。
存在していないものに気づくことはできません。
だから、空想は空想として、誤解は誤解として、間違いは間違いとして、この世界にあるものだと考えられます。これが存在の形式です。
※出来上がりを見たら長かったので三つに分けました。