昨日の続きです。
日本、韓国、中国を含めた東アジア共同体に向けて。

以下、転載します。



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愛天・愛国・愛人(久保木修身会長:回顧録より)

日・韓・中の新しい関係

日本と韓国・中国に横たわる深い溝

先程私は日本の伝統的「和」の精神を、自国民だけの連帯のためではなく、隣国との関係で、あるいは世界との関係で生かすべきであると述べました。日本の一番近い隣国が韓国であり、中国です。まず、これらの隣国との関係で、日本の和の精神を生かせないものでしょうか。



これらの隣国は、ご存じのように「近くて遠い国」と言われています。歴史的に、最も因縁深い間柄であるにもかかわらず、日本が加害者となってこれらの国を蹂躙した過去が、心情的に遠くしているからです。怨念の溝が横たわっていると言っても過言ではありません。



特に日韓の関係は深刻です。日露戦争以降第二次世界大戦の終了まで、日本が韓半島を植民地化した歴史は、韓国人の心の中に深い怨念を残してしまいました。そして、現時点での両者の不幸な関係は、大半は加害者である日本側に責任があるように思います。過去の事実を正当化したり、あるいは無視したり、忘却したりする態度が、しばしば日本人に見受けられるからです。



日本人は、過去を水に流す民族です。しかし、被害者は水に流されてはたまらないと考えます。このギャップが教科書問題や、日本の政治家の不用意な発言問題に表れています。日本は、もう過去の過ちを正当化したり、責任転嫁したりすることをやめて、率直にその非を認め、素直に謝るべきなのです。人間関係の常識が、国家関係においても通用しないはずがありません。



韓半島を支配した軍部をはじめとする日本人は、あまりにも傲慢でした。彼らの統治政策はいわゆる「皇民化政策」です。韓国人を日本人つまり天皇の臣民にするという政策です。それも「劣等な朝鮮人を高級な日本人にしてあげる」という思いあがりの気持ちがあったといわれています。日本語を強要したり、名前を日本名に変えさせたり、神社参拝を強制したりしたのは、日本人の善意の押しつけでした。日本人にさせてあげるのだから、ありがたいと思えということなのでしょうが、韓国人から見れば、よけいなお世話だということになるでしょう。



戦争が終わって、日本が敗れたと知った時、韓国人がまず何をしたかというと、軍の本部を襲うということではなくて、日本人が建てた神社を焼き払ったそうです。よほど腹に据えかねていたのでしょう。こういう歴史があったことも、韓国人がどういう気持ちだったかということも、日本人の大半はすっかり忘れてしまっています。否、教えていないのですから、本当に知らないのです。ですから、韓国人の怨念は晴れることがありません。



日本人の和の精神は、調和の原理です。調和の本質は、共感であると述べました。相手の立場に立って、考えてみることです。相手の痛みをわが心の痛みとする心は、本来日本人の美徳とするところなのです。しかしその和の精神は、不幸なことに隣国との関係では発揮されませんでした。



『韓国論壇』代表の李度氏は、日本での講演でこんなふうに述べています。



「第二次世界大戦の時、アメリカは多数の日系人を強制収容所に集団監禁しました。そのことを自ら告発したアメリカ人が現れた時、日本のジャーナリズムは拍手喝采を送りました。日本人以外のアジア人は、日本人もこのアメリカ人と同じような良識を発揮し、自ら犯した過誤に対する自責の行為をみたい」



そして、さらに李氏は、日本人がもし威厳を持って歴史の本当の記録を認めるなら、我々アジア人は惜しみない拍手喝采を送るだろうと語りました。



日本人は、アメリカが日本に対してなしたことに敏感であるならば、日本人が隣国に対してなしたことにも敏感になるべきです。されたことには敏感で、したことには鈍感だとすれば、日本はエゴイズム国家だと断定されても仕方ありません。



李氏はこう結んでいます。「日本人が本当の歴史を認めるまでは、日本人は彼らの隣人たちから信頼を得ることは絶対期待できませんし、日本人がいくら平和愛好国民たることを自己宣伝しても、日本は隣人たちが日本に抱く恐怖と脅威のイメージを拭い去ることはできないでありましょう」



日本人の中には、日本が植民地化しなければ、ロシアが韓半島を占領していたとか、日本が統治していたおかげで、今日の韓国の発展があったという人もいます。しかし、日本はあくまで加害者であることを忘れてはなりません。足を踏んだ者はまず、足を踏まれた者の痛みを感じ、素直に謝ることが必要です。



隣国の怨念を解く道は、まず素直に過誤を認めることです。そして、真心を込めて尽くしていく以外に方法はありません。これは人間関係でも同じです。親や兄弟、親族が日本人から殺されたという人がたくさん韓国には存在します。そういう人に対して、怨念を解くのは、どんなに罵倒されようとも、足蹴にされようとも、真心を込めて尽くすこと、これ以外にはありません。傷つけられた隣国の人々の心を思って、涙するような心情があれば、やがて韓国人の心を溶かして、心を開いてくれるものだと私は確信しています。



謝りすぎたら、必要以上に補償を請求されると心配をする人が多いのですが、それはあまりにも政治的すぎます。政治を動かすのも、やはり人間の心でなければならないはずです。補償問題を心配する前に、隣人と共有する心があるかないかをまず心配すべきです。隣国に真の友人を持てない現実を心配すべきなのです。




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主体的に東アジア共同体を築いていきたいと思うなら、まず何をするべきかは明白です。
隣国との関係作りに尽力し、努力してきたドイツと、自国の利益のみを懸命に追求してきた日本。ここにきて大きな差が出来てしまいました。

まだギリギリ間に合うかもしれない。

が、最後のチャンスであることは言うまでもない。




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