昔の話① | 創価学会員を夫にもって

昔の話①

今日はエホバの証人から離れた話。


母は私がお腹にいる時に家にいても暇だからと、伝道に来たエホバの証人と研究(勉強すること)を始めた。

「見よ」っていうブロシュアで楽園に惹かれたとか言ってたかな。

母はかなり長い間、伝道者止まりでバプテスマまで10年以上かかった。

私も子供の頃はよく奉仕(伝道)に連れて行かれたし研究も楽しんでやってた。

いつから集会が嫌になったのか…


小学校の時、イジメってほどじゃないけどからかわれるようになった。

お祭りに行けないのが寂しかった。

世の人(エホバの証人じゃない人)と距離をおかなきゃいけなくて、学校が終わった後や休みの日、集会があるからと遊びを断った。

隣に同級生が住んでたんだけどその子の家には良く友達がたまっててそれが羨ましかった。


中学の時には集会に行くのが嫌で仮病を使ったりしてた。

子供の頃は夢にみていた永遠の命もいらないと思った。

会衆があまり好きじゃなかったのかもしれない。

母はちょっと特殊でエホバの証人の中でも少し浮いていた。

娘から見ても、子供みたいに無邪気で素直。

でも精神的にちょっと弱い人で扱いにくかったのかもしれない。

それに私は子供の頃から勉強してるのに中学になっても神権宣教学校にも入らずちょっと問題児…

会衆の中でも距離を置かれているように思えた。


高校の時、引っ越しで隣の会衆に移ることになった。

その会衆は若い人がたくさんいてとても活気がある会衆だった。

その頃、毎日部活に明け暮れ研究もせず、たまに日曜の集会に行くくらいだった私にみんな優しくしてくれた。

こんな仲間と一緒に頑張れるならとだんだんやる気になってきた。

大会や集会に行けないのが寂しく感じた。

それで私は3年間続けるつもりだった部活を2年で辞め、すぐに神権宣教学校に入校。

初めての割り当ても無事にやり遂げ達成感に満ちすぐにでも伝道者になりたいと思ってた。

でもなぜか2、3回くらいは割り当てを果たしてからと思いとどまった。

今ではそれで良かったと思っているけど。

その頃の会衆は本当に活気があったから、小学生や中学生合わせて7、8人が続けて入校してて割り当てがまわってくる頻度が遅かった。

研究も親とたまにする程度だった私に長老が会衆の姉妹との研究を勧めてきた。

必要で他県に出ていたんだけど、結婚のために戻ってきた姉妹だった。

戻ってきてすぐに研究を始めた。

とても綺麗でやさしくて素敵な姉妹。

私はすぐに好きになった。

それから少しして結婚式だったんだけど、私は何かお祝いをしたかった。

でも会って間もないし、高校生で結婚祝いなんて慣れてないから何をしたらいいかわからない。

結婚式当日、私の会衆の若い兄弟姉妹は歌を歌ってCDも作ってプレゼントしていた。

高校生以上の人はみんな伝道者以上だった。

伝道者じゃないのは私だけ。

よって客席に残る会衆の若いのは私だけ。

前にいた会衆の姉妹に「何であなたは歌わないの?」って聞かれた。

「伝道者じゃないから」って答えたけど寂しかった。

どうでもいい人の結婚式じゃなくて私の憧れの司会者の結婚式だったから…

それもやる気のない研究生じゃなくて集会のために部活もやめ頑張ってたのに…

CDのジャケットに載せるための写真を撮っているのを見るのも寂しかった。

この会衆に来て初めて味わった寂しさ。