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解放

日本的革新運動

 所謂保守系に見られる主張の一つに「右翼は在日だ」などといふものがある。然し筆者は、現實として未だに唯だの一人として所謂在日の右翼と出會つた事が無いし、縱しんば何處かに斯樣な右翼が居たとしても、眞に尊王心が篤いのであれば別段問題にしないものである。
 

 而して、筆者自身は在日認定されようが何とも思はない。さういふ了見はそも〳〵に於いて幼稚であるからだ。要するに尊王心の無いホシユのニホンジン(熊襲)より、それがある外國人のはうが餘程尊いと確信してゐる。

 更らには「ヤクザとの關はりが云々」などと下らぬことを述べる御仁もゐる。卽ちそれは任侠系の團體を指してゐるのであらう。ならば筆者は逆に問ふ。さう述べる方は任侠系右翼と稱される人よりも尊王心に篤いのか、と。或は同等の努力や行動が伴つてゐるのであらうか、と。之れに就ては、斷じて「否」である。彼れらの 皇室に對し奉る杜撰なる言葉遣ひが、そのことを能く物語つてゐる。而して何よりも 大御心は一視同仁にあらせられますがゆゑ、それを無視する考へといふものは全く閒違つてゐるのである。

 或は、百歩讓つて保守系が能く口にする「右翼の運動形態が納得いかない」とかいふ言葉を尊重するとしよう。けれども右翼が持つ「思想」に關して否定するのであれば、話は別である。右翼のはうが比較にならぬほどまともではないか。要するに所謂保守系は、外國思想、洋風思想を基盤としてをり、耶蘇曆も躊躇ひ無く使用してゐる。筆者をして言はしむれば、斯かる人は「その國に移住すれば宜い」のである。

 

 尤も運動をカネにして糊口せしむるやうな所謂似非右翼は論外であるが、凡そ思想運動を行なふ右翼のうち、斯樣なホシユの如き見識のと遭遇した試しが無い。客觀的に見て、保守系との根本的な相違點はそのやうなところにあると考へ得る。

 

 以爲らく、今のホシユは世界標準で見た場合、保守ではなく「外國勢力」に他ならない。ゆゑに眞に「保守」を以て任ずる方は、保守を騙る大勢の外國勢力を否定することから始めるべきなのである。
 

 それを考慮しないのであれば、せい〴〵死ぬまでポピユリズムに踊らされてをればいのである。