さまざまな喜び・・・
喜怒哀楽
人には、それぞれ「喜怒哀楽」があります。
日々の生活の中で「喜び」をもっての生活をしていくことは、幸せな生活に繋がっていくのだと思います。
その「喜び」のなかでも、さまざまな「喜び」がありますので、今日はその「喜び」についてお話していきたいと思います。
まず、「喜び」の中でも、人を苛(いじ)めて喜ぶ「喜び」や、人を苦しめて悦に浸る「喜び」、人の陰口・悪口を言っては満足するという「喜び」・・・などがあります。
こういう類(たぐい)の「喜び」は、人が苦しい目に遭ったり、不幸になっていく姿をみて喜びを感じる・・という陰湿な「喜び」です。
こういう「喜び」・・
皆さんの中にはないでしょうか?
人間誰しも、こういう類(たぐい)の陰湿(いんしつ)な「喜び」を持っているのだそうです。
平たい言葉でいいますと
「ざまあみろ」・・という言葉なんかがそうですね。
この陰湿な「喜び」は、心のなかでどんどんエスカレートしていくもので、中々止まらなくなる。
それどころか、ますます加速していく・・というのが現状のようです。
「いじめの問題」もまさしくこの類の一種です。
何も子供の世界だけでなく、大人の世界にも身近なところでも、「いじめ」は存在しています。
心の根に存在している、この陰湿な「喜び」を取り除かない限り、さまざまな事件・事故というのは中々消滅していかないのでは・・と思います。
次に「喜び」として、自分のことで喜ぶ「喜び」があります。
日々の生活のなかで喜ぶ「喜び」は、大方はこれなのかも知れません。
趣味に生きがい・喜びを感じる、というのもそうです。
また、お金が入ること、地位・名誉を手に入れること、自分の身近な欲求を満たすことに喜びを感じる「喜び」もあります。
このような「喜び」を求めるために、一生懸命努力していく生き方が多いかと思います。
生活向上のためだったら、良いことだとは思います。
但し、度が過ぎると人を傷つけても、人に迷惑を掛けても関係ない・・ということになりかねないのです。
また、同じ「喜び」でも人のことで喜ぶ「喜び」もあるのです。
人が困っているのをみて「何とかして差し上げたい」と思い、その人が良くなるように共に努力していき、その方が良くなってきたら、自分のことのように喜ぶ「喜び」です。
そこには、何の駆け引きもなく「純粋」に喜ぶ「喜び」です。
「本当に良かったですね。」・・
たまには、手を取り合い喜んだり、涙したり、と人のことを我が事として喜んでいくのです。
以上掲げた「喜び」は、同じ「喜び」なのかもしれません。
けれども、喜ぶ「こころ」の方向が違うのでしょうし、喜ぶ「価値観」が違うのです。
人として同じ「喜び」を持って生活していくのなら、人のことで喜ぶ「喜び」を持ち合わせての生活をしていきたいものです。
もちろん、自分自身の「喜び」も共有しながらですけど、ただ人を苦しめて喜ぶ「陰湿な喜び」だけは、持たないように努力をしていきたい・・・ものです。
皆さんはどうですか?
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今日一日の過ごし方・・・
しぬる日を 心にあすと 定むれば
けふの一日(ひとひ)ぞ 大事なりける
自分の死を明日・・・と心に定めれば、今日一日の過ごし方こそが大事となる。
このように仰せいただいた御教歌です。
人は生まれてきたら、何時かは命尽き果てて亡くなるものです。
その時期が早いか遅いのかはありましても必ず亡くなります。
お互いは、明日をも知らない凡夫(ぼんぶ)ですから、何時・どこで尽き果てるかがまったく分かっていないのです。
もし、明日命尽き果てるかもしれない・・・と思えば、今日出来る限りのことを精一杯、必死にやるのかもしれません。
もちろん、自分のこともそうですけど家族のこと・仲の良い友達のこと・・・など色んな人のことまで考え、
これだけはしておきたい・・・
これだけは残しておきたい・・・
これだけは伝えておきたい・・・
このような、さまざまな事柄が思い浮かんだりするのかもしれません。
そのイザ・・・という時を迎えたとき、何を残せるのでしょうか?
子供たちに財産を残しておくこともそうかもしれませんし、地位・名誉を残していくのもそうかもしれません。
でも、それ以上に残していきたいのは、自分に積んだところの功徳(くどく)なのでは・・・と思うのです。
功徳(くどく)というのは、自分自身のことで難儀・苦労することもそうですけど、他人(ひと)のことで難儀・苦労をしていき、他人が良くなっていくことを純粋に喜ぶ喜びに浸(ひた)るところにあるのです。
その功徳を積み重ねていくことによって「芳(かんば)しい香りのする人間性」が築かれていき、他人(ひと)を幸せにする心豊かな人間になっていくのです。
その積み重ねた功徳こそが、唯一臨終を迎えた時に持っていけるものなのです。
心に徳を積み重ねていけばいくほど、果報(かほう)のもとで円満な生活を営むこともできるのです。
そのように、心に徳を積むための難儀・苦労をしていく心得は、
しぬる日を 心にあすと 定むれば
けふの一日(ひとひ)ぞ 大事なりける
このように仰せくださっておられますので、今日一日の過ごし方を心入れ替えて新たな気持ちで迎えていくことが大事なことです。
そのことを仰せいただいた御教歌です。
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「好きこそ物の上手なれ」
御 教 歌
勤むれば 嫌ひもやがて 好きとなる
好きをするのが 楽しみとなる
何事も勤めていけば、嫌いであったものもやがては好きとなるのである。
その好きとなったものを励んでいくところに、そこに楽しみがあるものである。
このように仰せいただいた御教歌です。
ことわざで云う
「好きこそ物の上手なれ」
は、まさしくこの御教歌のお心と同じ意味合いです。
好きなことには、自ら進んで工夫したり、絶えず勉強していくので自然と上達するものです。
ここで大事なことは、自分が苦手なこと・嫌なことをイヤイヤながら仕方なしにしても、そこには上達するどころか、何時まで経っても苦手・嫌いなままで変わることはないのです。
苦手・嫌いなことを自ら創意・工夫して取り組んでいくところに、やがては好きとなる過程もありますし、楽しみとなる因(もと)もあるのです。
別のことわざに
「好かぬは得(え)せぬの唐名(からな)」
とありまして
「嫌いだとか好きでないとかいうのは、実は出来ないということを体裁(ていさい)よく言ったにすぎない。」
ということですので、やらない前から「これは苦手・嫌なこと・・」と自分で決め付けないことです。
仕事においても、自分の好きな職に就ける・・ということは少ないかもしれません。
いくら、野球が好きでたまらない・・といってもプロ野球選手になれるのはごく一部の人だけですし、いくら歌が上手だといっても歌手になれるのはごく一部の人だけですから・・・
そう考えれば、社会に出ても、最初から中々思うような仕事をさせてもらえない訳でしょうから、苦手・嫌なことであっても歯を食いしばってでもやっていくのです。
そうしていきますと、次第に嫌なことでも好きになっていき、やがては楽しみとなっていくものです。
そのためには、耐え忍ぶことを身体で覚えいくことも大切なことであり、決して無駄になることはないのですから、そのことを信じて嫌なことにも背を向けず、前向きに行動を起こしていくことが大事なことなのです。
そのことを仰せいただいた御教歌です。
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