抽象化 --- 無限は有限の中に存在できる (1) | Chandler@Berlin

Chandler@Berlin

ベルリン在住

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ここで抽象化ということを述べておこう.抽象化というのはある考えから「なにか特定の具体例とは関係ない考え」を導くものである.この blog は正確さよりも理解したというような感覚を重要視しているので,ここで「なぜこんな『抽象化』などということを考えるのかという動機」を述べておかねばなるまい.抽象化をするのは,具体例では十分ではないからだ.足し算とは何かということがもし理解できれば,「無限の組み合わせの足し算」が可能である.記憶には限りがあるため,個々の例をいくら覚えても有限の組の足し算しかできない.「どんな数でも足し算はできるし,その方法もある.」ということを理解できることは強力である.

機械に問題の具体例を教えこむことによって計算しているように見せる方法もある.これは計算の手順を教える方法とは異なるアプローチである.1+1 の答えは2 である.1+2 の答えは 3 である.ということを覚えこませると,1+2 は? と尋ねると 3 と答えるので計算しているように見える.しかし,覚えていない答えを答えることはできない.具体例では十分ではないというのはそういう意味である.

1, 2, 3 という具体的な数字ではなく,それらを全てまとめて「数」という概念に抽象化することができる.抽象化によって「無限の種類の問いに答える」計算ができる機械を作ることができる.ここでの無限というのは,どんな数でも足し算できるということであって,普通の人でもできることだ.1 + 10 はできるが,1 + 128 はできないというようなことはない.時々「無限」という言葉がでるとどんなものでも不可能と考える人がいるが,そんなことはない.何か一つ数を選ぶということは無限の可能性の中から一つ選ぶということだ,そしてその数が何であれ,1 を加えることはできるだろう.もちろん数の大きすぎて計算することは一生かかってもできないかもしれないが,しかし,どんな数でも,具体的な数が示されればそれらを足し算することは可能であることは理解できるだろう.

高校数学で一番重要な概念は微分積分だと私は個人的に思っている.それは,収束という考えを通してでてくる,「無限は有限の中に存在可能である」という考えである.たとえば,0 と 1 の間には無限の数が含まれている.無限平面を一点を除いて半径1の半球に投影することができる.など例は多数ある.ピタゴラスは有限の区間には有限の数しか入らないとしたため,これに反対したゼノンはパラドックスを唱えて間違いを指摘した.

個々の数ではなく数を抽象化して,数そのものを考えることで無限を扱うことができる.これは実に強力な考えである.λ計算では計算するということを3つの定義に抽象化する.3つの定義はそれぞれ函数を対象とする.これは具体的な函数ではなく,任意の函数である.つまり無限の種類の函数を考えることができる.